第2回目の飛鳥旅行(2005.10)の第3日も「山の辺の道」でした。山の辺の道を南から北にたどるコースです。橿原神宮前から近鉄で大和八木に出て桜井まで行き、タクシーで大神神社に出て歩き始めました。前回(2001.11)と違うことが二つあります。一つは殆ど総て「山の辺の道」を歩いたこと、もう一つは桜井に戻らずに、天理に出たことです。このコースは飛鳥の藤原京から平城京(奈良)へと辿る道で、万葉集にも多く読まれ、二上山など山脈(やまなみ)を遠く眺めながら歩き、振り返ると耳成山(みみなしやま)など大和の山(丘)々を望むことができます。
三輪山の麓にある大神神社を参拝し、山の辺の道を歩いて景行天皇陵、崇神天皇陵を廻り、天理で石上(いそのかみ)神社を訪れました。山の辺の道は見るべきところも多く、遠景の山々を眺めながらのんびりと里道を歩くコースで、とても心を和ませる風景でした。万葉集に出てくる歌の歌碑がところどころにありました。
今回も三日間かけた飛鳥の旅をしめくくる、良いコースでした。
藤原京から平城京に向かう道は三つあり、東から西に、上つ道、中つ道、下つ道と呼ばれ、「山の辺の道」は上つ道の東側すなわち山側にあり、天理の石上神社を越えたあたりで上つ道に合流します(地図参照)。今では大阪から東京に伸びている東海自然歩道の一部になっています。
東海自然歩道は、大阪府の明治の森・箕面国定公園から東京都の明治の森・高尾国定公園を結ぶ総延長1,376キロに及び、都市住民のレクリエーションの場として、昭和49年に約22億円を投じて環境庁と沿線十一都府県が協力して完成されました。
(出典 http://www.asahi-net.or.jp/~yk3h-ikd/toukaisizenhodou.htm)
山の辺の道コース2
詳しくは地図を参照して下さい。
大神神社の酒樽
1 大神神社(おおみわじんじゃ) [三輪明神(みわみょうじん)]
櫻井市三輪1422 0744-42-6633
背後の三輪山が御神体で、樹木につつまれた境内に本殿はなく、拝殿と三ツ鳥居があるだけです。酒と薬の神様として知られ、造り酒屋の軒を飾る杉玉は三輪山の杉で作ります。
神社から参道を少し下って右側に入ると、酒栄講の献上した酒樽が飾ってあります。その下を良く注意して見ると、山野辺の道の小さな案内があります。
今回は、この案内を見つけたことが成功の要因でした。
玄賓庵2 玄賓庵(げんぴあん)
玄賓僧都が隠棲していた庵(いおり)で、木像不動明王座像(重要文化財)が伝わっています(2005年11月の奈良旅行でこの像を拝むことができました)。謡曲で有名な「三輪」は玄賓と三輪明神の物語を題材にしたものです。
玄賓僧都は弘仁9年(818年)に亡くなりました。
檜原神社3 檜原(ひばら)神社
櫻井市三輪町1422 0744-42-6633(大神神社)
三輪山の裾の檜原山を御神体とする神社です。山に向かって拝殿と三つの鳥居があるだけの簡素な境内ですが、ここからの眺望は素晴らしいものです。眼下遠くに、箸墓古墳が望めます。
井寺池を巡って帰ってきたら、若い娘とお婆さんが来て休憩所を開いたのでにゅうめんを食べました。
景行天皇陵4 景行天皇陵(渋谷向山古墳)
3段に構築された前方後円墳です。周囲には濠がめぐらされ、このあたりの古墳群の中でも最大級のものです。景行天皇は十二代目の天皇で、熊襲を親征し、後に皇子ヤマトタケルを遣わして、東国の蝦夷を平定したと伝えられています。周辺には陪塚がいくつもあります。
崇神天皇陵5 崇神天皇陵 (行灯山[あんどんやま]古墳) 天理市柳本町 0743-63-1101
権力を象徴するかのような全長約240mの壮大な前方後円墳です。周囲には濠がめぐらされ、御陵をとりまく老松が美しく、山の辺の中でも最も大和らしい風景です。
崇神天皇は十代目の天皇で、三輪山麓に存在した部族集落の神祀(かみまつ)りを束ねていたのではないか、といわれています。
石上 神社
6 石上 (いそのかみ) 神社 天理市布留町384 0743-62-0900
布留山(ふるやま)の北西麓の高台にあります。
日本最古の神社の一つで、物部氏の総氏神です。神武天皇東征の折、国土平定に偉功を立てた天剣、布留御魂剣(ふるみたまのつるぎ)とその霊威を布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)を御祭神としています。
歴史の本に出てきた国宝七支刀(ななつさやのたち)も収められています。
出典 「山の辺の道」 近鉄 発行