「絵本太閤記」

    目 次

0. はじめに
1. 絵本太閤記
2. 連獅子
3. 御所五郎蔵
4. 新聞歌舞伎評
5. 感 想

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0. はじめに
 今月(2014年9月)は、「秀山祭9月大歌舞伎」夜の部を見に歌舞伎座へ行きました。演目は「絵本太閤記」、「連獅子」と「御所五郎蔵」の3本で、吉右衛門、仁左衛門、松緑などが出演しました。

1. 絵本太閤記
[演 目]

1. 絵本太閤記(えほんたいこうき) 1幕
  尼ケ崎閑居の場

[配 役]
   武智十兵衛光秀   吉右衛門
   武智十次郎光義        染五郎
   佐藤虎之助正清    又五郎
   嫁 初菊     米 吉
   光秀母 皐月   東 蔵
   光秀妻 操 魁 春

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[解説と見どころ]
 『絵本太功記』は、寛政13年(1799)7月、大坂の豊竹座で初演された時代浄瑠璃です。武智光秀(明智光秀)が小田春永(織田信長)の不興を買い、本能寺の変を経て、非業の最期を遂げるまでの13日間を、全13段の構成で描いた作品で、初演の翌年には歌舞伎で上演されました。
 原作の十段目にあたるのが「尼ヶ崎閑居」の場で、歌舞伎の様々な役柄が揃い、各々のしどころや見せ場が満載であるため、相応しい演者が揃わないと上演できないとも言われている名作です。
 光秀の謀反を快く思わぬ母の皐月の閑居へ、光秀の妻の操が、嫡子十次郎とその許嫁の初菊を伴ってやって来ます。折からそこへ、ひとりの旅僧が宿を乞うところに、初陣の許しを求めに十次郎が現れます。死を覚悟した十次郎と初菊との哀しい恋の様子が前半のみどころ。討死を覚悟する十次郎の哀愁を帯びた凛々しい若武者の風情や、初菊のクドキを中心に、別れを悲しむ各々の心と姿を義太夫の旋律に合わせて描きます。
 十次郎が出陣すると、竹薮の陰から光秀が現れます。光秀は立役が演じる大役のひとつ。竹槍を作り、一間の内へ突き出すまでの様子とその心理を無言のまま、竹本の語りに合わせて演じることで、その凄味と大きさを表出します。この件は、光秀の見せ場となります。さて、光秀が久吉だと思って突いたのは母の皐月で、その述懐と操のクドキは双方のしどころ。さらに、瀕死の十次郎が戻り、戦の様子を語るのが十次郎の見せ場。この様子を見た光秀が苦悩の様子と共に、父親としての本心を垣問見せる件は、親子の情愛と悲壮感溢れる場面です。
 場面はうって変り、光秀は傍らの松の大木に上がって物見して、物語は最高潮に達します。ここへ旅僧から本来の大将の姿に戻った久吉が現れます。その変わり目、また駆け付けた正清の勇壮な姿が各々のしどころ。そして、互いに後日の戦場での再会を約束し、絵面の見得で幕となります。
 重厚な義太夫狂言をご堪能ください。

2. 連獅子
[演 目]
河竹黙阿弥作
2. 連獅子(れんじし) 長唄囃子連中

[配 役]
   狂言師右近後に親獅子の精   仁左衛門
   狂言師左近後に仔獅子の精        千之助

[解説と見どころ]
 歌舞伎の舞踊作品の内、「石橋物」と呼ばれる一系統に属する作品は、能の「石橋」を素材としたもので「獅子物」とも呼ばれています。数ある作品の中でも、河竹黙阿弥の作詞、三世杵屋正治郎の作曲により、明治34年(1901)、二世市川段四郎と七世松本幸四郎が演じた『連獅子』は、その代表的な作品です。後に平山晋吉が書いた間狂言(あいきょうげん)の「宗論(しゅうろん)」が加えられた形が定型となり、歌舞伎の人気舞踊のひとつとして上演を重ねています。
 先ずは、前ジテのふたりの狂言師が登場、文殊菩薩が住む清涼山とそこに架かる石橋の景色を連れ舞で表現します。続いて、「かかる嶮岨の巌頭より」からは、親獅子が仔獅子を千尋の谷に突き落とし、駆け上がって来た仔獅子だけを育てるという故実を踊ります。獅子の親子の情愛や谷を這い上がる子のたくましさ、感動的な再会などが描かれ、前半最大のみどころとなっています。
 そして、再び、手獅子を持った狂言師が、飛び交う蝶に戯れながら花道を引っ込むと、間狂言の「宗論」になります。宗派が異なるふたりの僧が、互いの宗派の優劣を競い合う様子を面白く描き出す場面です。
 獅子の出現を恐れ慄いたふたりの旅僧が逃げ去ると、緊張感漲る囃子となり、白毛の親獅子の精と赤毛の仔獅子の精が花道に現れます。やがて、親子の獅子の精は、牡丹の花に戯れた後、勇壮な獅子の狂いを見せます。これが本作の最大の見せ場で、紅白の長い毛を左右に振るう「髪洗い」、回転させる「巴」や毛を舞台に叩き付ける「菖蒲叩き」と言われる所作を、次々と見せていきます。互いの息が合った豪快、かつ、華麗な毛振りの後、獅子の精が獅子の座に直って幕となります。
 華やかな舞踊の人気作をじっくりとご堪能ください。

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3. 御所五郎蔵
[演 目]
河竹黙阿弥作
3. 曽我綉僑御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)  2幕
  御所五郎蔵

[配 役]
序幕 五条坂仲之町甲屋の場
   御所五郎蔵   染五郎
   星影土右衛門        松 緑
   甲屋女房 お松 秀太郎

二幕目 第一場 五条坂仲之町甲屋奧座敷の場
     第二場 同   廓内夜更けの場
   御所五郎蔵   染五郎
   星影土右衛門        松 緑
   傾城逢州 高麗蔵
   傾城皐月 芝 雀

[解説と見どころ]
 江戸時代後期の戯作者である柳亭種彦の読本「浅間嶽面影草紙(あさまがたけおもかげそうし)」、その続編「逢州執着譚(おうしゅうしゅうじゃくものがたり)」を、河竹黙阿弥が劇化、元治元年(1864)2月、江戸市村座で初演されたのが『曽我綉侠御所染』です。全六幕の原作は、「時鳥殺(ほととぎすごろ)し」を中心とした前半と、「御所五郎蔵」の物語の後半に大別することが出来ます。その後半部で『御所五郎蔵』の通称で知られる本作は、原作では五幕目に当たり、五條坂の「出会い」、甲屋での「愛想尽かし」、「廓内の殺し」の三場を上演するのが一般的となっています。
 桜の花が満開の京五條坂仲之町を舞台にした「仲之町」では、星影土右衛門と侠客の御所五郎蔵との達引きを主軸に展開。黙阿弥の七五調の台詞が聞きどころであり、眼目となっています。争うふたりの間に甲屋女房が割って入り、仲裁するのは、歌舞伎の名作『鞘当(さやあて)』の趣向を取り入れたもの。また、ここでの吉原の風物を織り込んだふたりの渡り台詞をはじめ、五郎蔵の「抜き身の降ったその晩は、しかも5月の28日」など、名台詞が並びます。さらに、五郎蔵と土右衛門が盃代わりに白扇を投げ合う件(くだり)は、歌舞伎らしい様式美に溢れた場面です。
 続く「甲屋奥座敷」は、典型的な縁切りの場。金策に腐心した末、本心とは裏腹に、五郎蔵に愛想尽かしをする皐月の苦衷、その心変わりを本心と思い、次第に怒りを増す五郎蔵の心理を描く本作最大のみどころです。また、満座の中で恥辱を与えられた五郎蔵の心の動きを、床几を使っての動き、尺八をかざしてのキマリなど、派手な所作の中で描きます。そして、花道七三での土右衛門への五郎蔵の「晦日に月の出る廓も、闇があるから覚えていろ」は有名な台詞。また、この台詞に続く五郎蔵の花道の引っ込みは、その足捌きで怒りの激しさを表します。
 「廓内夜更」では、暗闇の中、五郎蔵が誤って傾城の逢州を手に掛け、さらに土右衛門と対峙します。ゆったりとした古風な趣の中での様式的な立廻りがみどころです。
 黙阿弥の名作をじっくりとお楽しみください。

(出典 「秀山祭九月大歌舞伎」プログラム [平成26年9月] )

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4. 新聞歌舞伎評
■歌舞伎座九月秀山祭 フレッシュな役ぞろいに注目
 秀山(しゅうざん)祭は初代吉右衛門の芸を顕彰し、その当たり役を孫で二代目である当代の吉右衛門が披露する。今回は新しい歌舞伎座での初の催し。秀山とは初代の俳号だが、丸本時代物の英雄の役を得意とする一方、飄逸(ひょういつ)な喜劇にも妙味を見せた。今回の「絵本太功記」「法界坊」で、その両面を当代が見せる。
 「絵本太功記」の光秀は精悍さに悲劇性が深くにじむところが吉右衛門ならでは。東蔵の気丈な母・皐月(さつき)、魁春の慎み深い妻・操、米吉の役そのもののように初々しい嫁・初菊、それと好一対の若武者ぶりの染五郎の息子十次郎、凛然(りんぜん)と一幕を締めくくる歌六の真柴久吉、又五郎の佐藤正清と役ぞろいで均衡がとれ、時代物らしい色彩美が悲劇性を深めている。
 「法界坊」も吉右衛門の芸の愛嬌(あいきょう)がこの芝居にふさわしいが、もう一倍弾んでいい。大詰めの「双面(ふたおもて)」で吉右衛門ならではの芸の味が生きる。吉右衛門の女形姿はこんな折でないと見られまい。芝雀のおくみもこの場で実力を発揮。それにしても前段のドタバタ喜劇から大詰めの怪奇までを包み込む「隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)」とは摩訶(まか)不思議な作品だ。仁左衛門が甚三役を付き合うのが大ごちそう。
 仁左衛門が孫の千之助と「連獅子」を踊るのは秀山祭としては番外編だが、これがお目当てのファンの期待に応える好舞台。千之助の踊りのセンスの良さは注目に値する。仁左衛門の親獅子のまなざしが何ともいい。又五郎と錦之助の間狂言の程のよさ。
 開幕劇の「菊畑」も歌六の鬼一、染五郎の虎蔵、松緑の智恵内、米吉の皆鶴姫、歌昇の湛海とフレッシュな役ぞろいで明快。染五郎の五郎蔵、松緑の土右衛門、芝雀の皐月、高麗蔵の逢州とそろった「御所五郎蔵」が若い人たちらしい。
 25日まで。
(演劇評論家 上村以和於)
(出典 日本経済新聞 2014.9.9 夕刊)

■秀山祭九月大歌舞伎 初代譲りの陰影の深さ
 二代目吉右衛門が、大正・昭和の名優だった初代(俳名・秀山)をしのび、ゆかりの演目を昼夜に並べ、見応えがある。
 昼「法界坊」は憎めぬ破戒坊主の話で、十七代目勘三郎のような憑依(ひょうい)型の役者は喜劇性にのめり込んでいったが、知性派の吉右衛門は抑制が利き、あまり悪ふざけをしないのがいい。
 そのぶん昔のノリのよいテンポは失われた。番頭など周りの役にベテランが枯渇した影響も大きい。芝居は時代につれて変わっていく。道具屋甚三にやはり知性派の仁左衛門が付き合って、さらにその感が深い。他に歌六の鬼一法眼で「菊畑」。
 夜「絵本太功記」十段目の吉右衛門は悲劇の武将光秀。倅(せがれ)十次郎が、夕闇の田舎家に祖母を訪ねてくる。赤の着付け・紫の裃(かみしも)で、ひっそりと立つ染五郎が美しい。東蔵の祖母皐月(さつき)が孫の初陣を見送り、「武士をむざむざ殺しにやりました」と嘆くのが胸に染みる。大義なき戦が美しい若者を死なせる。嫁初菊は米吉。若女形ぶりが初々しい。
 月が差し、光秀が笠で顔を隠して庭先に登場する時、額の傷が隠しきれずに笠の上に見えるのは、一工夫必要かと思う。
 重傷を負って立ち戻った十次郎の敗戦の報告を、黙って聞く岩のような集中力。ついに息が絶えるのを見て慟哭する姿。その対比は見事に決まっている。陰影の深さは初代譲りだ。
 「御所五郎蔵」は思慮の浅い五郎蔵の行為に、染五郎が出来る限り綿密な心理づけを施す。その芝居のうまさ。これでせりふが腹に響いていれば……。
 「連獅子」は仁左衛門と孫の千之助の連れ舞い。この曲は各家に異なる味わいがある中に、仁左衛門家のそれは、切り立てのセロリの香りに似た爽やかさで、孫もこれに染まっている。
 25日まで東京・歌舞伎座。
(天野道映・評論家)
(出典 朝日新聞 2014.9.11 夕刊)

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5. 感 想
 最近は役者によって見る芝居を決めています。秀山会は、初代中村吉右衛門の生誕120年を記念して始めたので、吉右衛門が主演を務めます。新しい歌舞伎座では始めてのようですが、吉右衛門、仁左衛門、松緑などが出たので楽しめました。連獅子を除いては初見です。絵本太功記の筋は、つい史実と比較してしまうのですが、歌舞伎だと思えば脚色は当然でしょう。御所五郎蔵は江戸の吉原とつい錯覚してしまいます。前回は科白(せりふ)に聞き取りにくい場合があったので、簡単な補聴器を持っていったので、大分改善されました。

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[Last Updated 9/29/2014]