本の紹介 おどろきの中国

   目 次

1. 本との出会い
2. 本の概要
3. 本の目次
4. 内容要約
5. 著者紹介
6. 読後感



橋爪大三郎・大澤真幸・
宮台真司共著
 講談社現代新書
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1. 本との出会い
 新聞の書評でこの本のことを知り、一読して良い本だと思いました。まず、ホームページに載せてみようと思い、暑い夏にがんばって、やっとまとめることができました。

2. 本の概要
  日本を代表する3人の社会学者が、対処療法ではない視座を求めて討論した結果をまとめてあります。今、中国との間で問題になっている歴史認識、靖国問題を考えるために、まずこの本を読んでから、考え議論して戴けたらと思っています。

3. 本の目次

まえがき

第1部 中国とはそもそも何か
1 中国は「国家」なのか? 14
2 2千年以上前に統一できたのはなぜか 26
3 政治的統一こそが根本 32
4 中国的生存戦略の起源 37
5 儒教はなぜ歴代政権に採用されたか 45
6 安全保障が何より大事 54
7 科挙と宦官の謎 64
8 ランキングへの異様なこだわり 72
9 漢字の秘密 85
10 日本人と漢字の関係 93
11 日中のリーダー観のちがい 98
12 個人救済としての道教 103

第2部 近代中国と毛沢東の謎
1 なぜ近代化が遅れたのか 110
2 明治維新とどこがちがったか 115
3 中国人はいつ中国人になったのか 121
4 天の代替物としてのマルクス主義 132
5 中国共産党はどうして勝てたか 138
6 「指導部が正しい」というドグマ 142
7 毛沢東は伝統中国の皇帝か 148
8 毛沢東を欲求する社会 154
9 冷戦が終わっても共産党支配が崩れなかった理由 163
10 相転移する社会 172
11 日本よりも合理的な面 176
12 ナチズム、スターリニズムとのちがい 181
13 伝統主義か、近代主義か 189
14 生かす権力か、殺す権力か 196
15 文化大革命とは何だったのか 205
16 中華帝国の核心 213

第3部 日中の歴史問題をどう考えるか
1 伝統中国は日本をどう見ていたか 222
2 中国人の認知地図 228
3 日本が大陸に進出した動機 234
4 近代の主権概念vs.東アジアの伝統 240
5 満洲国の建国 246
6 日中戦争とは何だったのか 254
7 日本人の傾向 269
8 過去を引き受けるために  277

第4部 中国のいま・日本のこれから
1 「社会主義市場経済」の衝撃  292
2 郢少平のプラグマティズム  303
3 中国の資本主義は張り子のトラか 312
4 共産党の支配は盤石か 321
5 民主化の可能性は? 326
6 中国は21世紀の覇権国になるか  334
7 日本は米中関係の付属物にすぎない  339
8 台湾問題  346
9 北朝鮮問題 354
10 日本がとるべき針路  365

あとがき  379

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4. 内容要約
まえがき
 中国が、こんなに存在感を増しているのに、私たちは中国のことを知らない。中国についてとてつもなく饒舌に語られているのに、日本人を含む中国の外の者には、中国という社会がわからない。
 日本人にとっては、西洋もときに理解するのが困難だが、それは、西洋が日本から遠く隔たっていて、その文化的な影響を本格的に受けるようになってから日が浅いことが大きな原因になっている。しかし、中国は、日本のすぐ隣にあって、歴史的にも深いつながりかあるのに、現在の日本人にとって、西洋以上に謎である。
 中国人も自分たちのことをあまり説明しない。おそらく、中国人にとっても中国は謎なのである。(もっとも、自分のことが真には理解できないのは、別段、中国人に限ったことではない。日本人でも、西洋の人でも、この点では同じだ。)
 本書は、3人の社会学者が、中国という社会の原理について、中国の過去と現在について、今後の日中の関係について論じた鼎談である。社会学の理論を研究してきた3人が、この主題をめぐって集まったことには、理由がある。中国という社会や文化を理解するのが難しいのは、われわれが中国との交流が足りなかったから、だけではないのだ。われわれが、社会や文化を理解するうえでの基本となる理論や枠組みが、学問のレベルでも、また常識のレベルでも、西洋を標準としてきたことに、大きな原因がある。簡単に言えば、社会学を含む社会科学は、無意識のうちに西洋仕様になっているのである。したがって、中国について論ずることは、社会学の理論を反省し、批判することにもなる。社会学者3人が、中国をめぐって討論したのは、このためでもある。

 じつは、3人のうち、橋爪大三郎さんは、中国研究のスペシャリストでもある。中国についての著書もある。また、奥様の張静華さんは中国人で、当然のことながら、橋爪さんは日常的に中国と接している。中国には、橋爪さんの友人や親戚がたくさんいる。橋爪さんは、中国語も、ネイティヴなみにできる。「ネイティヴなみ」というのは誇張ではない。その証拠に、張静華さんの友人が、彼女に「あなたのご主人、日本語が得意なのね」と言ったそうである。その人は、橋爪さんが中国語(北京語)を母語とする中国人だと信じて疑っていなかったのだ。
 したがって、鼎談は、宮台真司さんと私(大澤真幸)が、どちらかというと疑問を提起し、橋爪さんが応答するという形式が基本になっている。もちろん、宮台さんや私の方が、積極的に自分の見解を語っている部分もたくさんあるが、話題は、まずは、宮台さんか私の方から提起される場合が多い。これは、先に出した『ふしぎなキリスト教』の方法を踏襲したからでもある。この本は、大澤が問い、橋爪さんが答えるという関係を設定したことによって、単純なやり取りよりも議論を深化し、主題が鮮明になった。本書は、この形式をさらに発展させている。
 鼎談に先立つ、2011年9月に、宮台真司さんと私、それに講談社学芸局の岡本浩睦さんと川治豊成さんは、橋爪大三郎さんと張静華さんに導かれながら、中国を旅行した。上海にまず入り、その後、湖南省の長沙に移動し、そこから毛沢東の出生地である韶山に行った。その後、北京に飛び、さらに、張静華さんの故郷でもある天津に移動。最後に北京経由で日本に戻ってきた。旅行の全体を記すとこうなるのだが、橋爪さんの計画は緻密で、まさに1分たりともムダがない実に濃い旅行であった。何年間も中国に滞在していたとしても、ここまで多くを見たり、いろいろな人に会ったりはしないだろう。間違いなくそう断言できるほどに、ディープな旅だった。

 この旅行のことをきちんと紹介するには、それ自体、1冊の本が必要になる。したがって、ここで詳細を記すことはとうていできないが、少しだけ雰囲気を知ってもらうために、上海の外灘や上海博物館、第1回共産党大会が秘密に開かれた部屋、長沙の岳麓書院(儒教の図書館)、韶山の毛沢東記念館、愛新覚羅薄儀(ラストエンペラーである)が滞在していた邸宅といった多くの旅行者が訪れる場所の他に、どんなところを訪問したか、いくつか例示しておこう。図書館勤務者の「単位」のための古い集合住宅、庶民が食料品を買う市場、ネットカフェ、不動産屋、大型で豪華なカラオケ・ビル、道教の廟、銀行、保険会社、張静華さんの家族がかつて住んでいた集合住宅、そしてマンションの一室で開かれている「家庭教会」(一般家庭にクリスチャンが集まる)……。もう書ききれないほどだ。
 旅行の間、何人もの中国の社会科学者たちと議論したり、食事をともにしたりする機会があった。北京では、清華大学公共管理学院国情研究中心の胡鞍鋼先生(経済学)を訪ね、先生の研究室で、長時間、中国経済の現在や将来についてうかがうことができた。天津では、天津社会科学院の先生たち、すなわち、張健院長、万新平先生、潘充康先生、程永明先生と、社会科学院の重厚な建物の1室で意見を交換したあと、夕食をともにした。
 天津ではさらに、王輝先生(社会学)のご自宅を訪ね、ここでもまた、中国社会や官僚制について、先生の考えや分析を聞くことができた。王輝先生の中国官僚制についての著書は、橋爪さんと張静華さんらによる邦訳がある。その著書と同様に、先生が、五言絶句・七言絶句風の冗談を交え、ユーモアたっぷりに語られるのが、実に楽しかった。(文化大革命について書いた王輝先生の新著の邦訳『文化大革命の真実』が、橋爪さんと張静華さんの監修で、もうじきミネルヴア書房から出る予定。)

 もちろん、学者以外の人たちともお会いした。たとえば、家庭教会は、橋爪さんの知人の自宅マンションの部屋で開かれており、ここでは、聖書について語り合う会に参加させてもらった後、昼食までごちそうになってしまった。天津にある保険会社の高層ビルに入って、そこを見学できたのも、橋爪さんの知人の紹介だ。この会社でも、熱烈な歓迎を受け、感激した。
 旅行中に、強烈に印象づけられたことは、橋爪さんや張静華さんと、ここに紹介した方々との間の信頼の篤さである。私たちは、どこでも、信じられないほどの、心のこもった歓待を受けたのだが、それを通じて、私たちは、これまで橋爪さんと張静華さんが、これらの人々とどれだけ深く誠実な交際を重ねてきたのかを実感した。本書の鼎談の中で、「幇」という中国における社会関係の原理について語られる。私たちがお会いした中国の学者の皆さんと橋爪さんの関係を見て、これこそまさに「幇」の関係であると実感することができた。
 その他、中国旅行中の一つひとつの会話や見聞、食事等が、すべて私たちにとっては楽しく、興味深かった。たとえば、食事中や移動中に聞かせてもらった張静華さんの中国での生活のこと、橋爪さんと張静華さんから教えてもらった中国の葬式やお墓のことなど、たいへん参考になった。タクシーの運転手の態度や話でさえも、本や論文では知り得ない中国社会の細部を伝えてくれた。
 もうこれくらいにしておこう。いずれにせよ、読者は、鼎談の中のひとつずつの発言ややり取りの中に、この旅行の体験が浸透しているのを実感できるはずだ。そして、旅行中に私たちが最もたくさん発した言葉、それが「おどろいた!」である。だから、本書は「おどろきの中国」である。
                2013年1月                                                            大澤真幸

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第1部 中国とはそもそも何か
1 中国は「国家」なのか? 14
 私たちの鼎談は、表面的な情勢分析のようなものを超え、中国という社会を基本的に成り立たせている原理を抽出し、それをもとに、中国で起きていること、起きてきたこと、起きそうなことを説明することを目指したいと思います。
 最初に、本書の全体の構成を概説しておきます。これから始める第1部では、そもそも中国社会とは何か、を考えます。中国はすでに何千年間も基本的なアイデンティティを保持してきました。その中国を中国たらしめている基本的な論理は何か、ということについて、最初にきちんと考えておきます。
 第2部の主題は、中国の近代化です。日本と中国は、歴史的にも密接な関係をもってきたわけですが、近代化に関しては、かなり異なった歩みをとりました。どうしてそのようなちがいが出てきたのか。ここでは、中華人民共和国を成立させた毛沢東のことまで話題にしたいと思います。簡単に言えば、「改革開放」より前の中国についてですね。
 第3部では、日中関係について議論しましょう。とりわけ、今日、日中の「歴史問題」が問題になるとき、中心にあるのは、近代における日本と中国の関係や戦争の歴史です。このような歴史をどう考えるべきか、どうして歴史問題と呼ばれるような葛藤が発生するのか。ここでは、当然、満洲事変や日華事変のことが、多く論じられるでしょう。
 第4部では、現代と未来の中国、そして今後の日中関係はどうあるべきか、を論じたいと思います。まず主題となるのは、改革開放以降の中国では何か起きているのか、社会主義市場経済というのは社会科学的にどのように捉えるべきか。そして、アメリカのことなども考慮に入れながら、日本としては、これから、中国との関係をどのように築いていくべきなのか、といったことまで踏み込んで考えましょう。
 中国はいかなる意味で国家なのか。
 ヨーロッパの物差しで中国のことが測れるか。今から2千2百年前、ひょっとすると3千年かもっと前に、中国の骨格が出来あがった。
 中国は必ずしも「中国」とよばれてこなかった。統一政権の固有名詞で呼ぶもの。秦、漢、唐、明など。世界に名前がないのと同じ。
2 2千年以上前に統一できたのはなぜか 26
 秦の始皇帝が統一国家をつくったのは2千2百年前。なぜ統一できたか。中国は交通の便がよい。ECと比較するとわかる。
3 政治的統一こそが根本 32
 中国は政治的統一が根本で、政策オプションは選択の対象。ときどきの統一政権は、統治のイデオロギーや政策オプションをどうするか選択できる。
4 中国的生存戦略の起源 37
 春秋戦国時代は、統一政権への過渡期みたいなもので農業と軍事力を基盤とした戦争マシンのような社会を作り出した。そうしてできたのが秦。
5 儒教はなぜ歴代政権に採用されたか 45
 儒家と法家は対立を持ちながら中国の支配を可能にしている。
6 安全保障が何より大事 54
 「幇(ほう) 」とは三国志の劉備、関羽と張飛の関係性である。仲間のためなら、自分のすべてを犠牲にしてもかまわないという猛烈な友情によつて結ばれたグループで、兄弟以上の兄弟になり、究極の利他性が発揮される。
 中国は安全保障の優先順位がきわめて高い。長城はそのために建設された。幇が結ばれる動機は安全保障である。
 四書五経が儒教のテキストで価値の基準、行動の根拠になる。
 トップリーダーは有能でなければならない。もしトップが世襲なら、ブレーンが有能でなければならない。
7 科挙と宦官の謎 64
 君主は世襲で安定し、ブレーンを務める行政官僚が有能というハイブリッド(異種配合)。トップリーダーとブレーンも無能だと易姓革命(全取っ替え[農民の総意])が起こる。
 科挙では儒教の古典の読解力を試験して、行政官僚をリクルートする。
 宦官もメリットがあるが、日本は導入しなかった。
8 ランキングへの異様なこだわり 72
 中国では文民統制がとれている(軍人が権力を握ることはない)。統一の物差しで順番をつける。科挙の試験により優劣がつく。科挙の制度により、戦わずにランク付けができる。
 中国の官僚機構の本質は、抜擢人事にある。
9 漢字の秘密 85
 人類史の中で、独自に文字をつくったところは非常に少ない(4つ)。中国は絵みたいな文字を作った。言葉が違っても意味はわかる。読み方は勝手。概念の数だけ漢字はある。漢字の特徴は進化しないこと。
 白川静さんは漢字の起源を、宗教の起源と結びつけて明らかにした。
10 日本人と漢字の関係 93
 祝詞(のりと)や万葉集や無文字社会について記述した日本語のテキストがあるから、それを使って天皇は、天と無関係に、政治をおこなっていたと論証できた。
11 日中のリーダー観のちがい 98
 日本は「リーダーは有能でなければならない」という第一公理(ドクマ)をもっていない。リーダーは有能でなくとも「自分ががんばるからいい」と思っている。平時はよくても、イザという時は困る。
12 個人救済としての道教 103
 道教は、ひと口で言えば、ウラ儒教。個人救済。日本人は平時しか想定していない。

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第2部 近代中国と毛沢東の謎
1 なぜ近代化が遅れたのか 110
 第2部では1911年の辛亥革命からケ小平による「改革開放」(1978年)にいたるところまでを取り上げる。中国の近代化の時期。
 二つの疑問がある。中国という世界史的な文明の先進地域が、近代化に関して、なぜこれほどまでに、後手に回ったのか。もう一つは中国共産党、特に毛沢東の権力について。
 近代化とは、ヨーロッパ・キリスト文明が、その外側の世界に影響を与えていくプロセス。キリスト教文明の外側にある文明として、イスラム文明、インド文明、中国文明がある。日本のように速やかに近代化したのは、むしろ例外。すみやかに近代化しない理由の根本は、これら三つの文明には根本経典のようなテキストがあって「こう考え、こう行動しろ」と書いてあり、それを止めるのに時間がかかる。日本にはテキストがない。
2 明治維新とどこがちがったか 115
 日本の場合には、近代化を担った社会的な層が確実にいた。反体制の下で下級武士だった人たち。中国では儀式(儒教の言い方だと礼 パーフォーマンス)で年中行事などに織り込まれている。こうして礼の秩序に巻き込む。法律は「政府の命令」だから始終変わる。字が読める知識人は自分のことを中国の伝統にのっとっていると考えるから。
3 中国人はいつ中国人になったのか 121
 日本人は「いまわれわれは、日本という枠組みで危機に陥っている。」という意識があった。
 日本にも、幕末から明治維新の時期に、旧幕府派と新政府との争いがあったり、明治政府が始まってからも西南戦争があったりしたが、結果的に日本人としての運命共同体が優先された。
 孫文が国民党をつくり、三民主義(民族・民権・民生)を唱えたのは、中国を近代モードに変換しようという画期的な試み。
4 天の代替物としてのマルクス主義 132
 中国にとって、マルクス主義は、天の代替物である。ロシア革命のあと、モスクワに本部を置くコミンテルン(国際共産党)は1921年中国にも支部をつくった。これが中国共産党。ソ連の指導を受けている間は伸び悩んだが、朱徳らの率いる農民革命軍と合流し、「長征」に出た途中の遵義(じゅんぎ)会議で毛沢東が主導権を握り、モスクワの指示を受けずに、彼流の革命を行うことになった。
 マルクス主義を下敷きに、中国流の革命を進めるのが「毛沢東思想」。普遍主義と中国独自性とが混ざった毛沢東思想に導かれ、中国共産党が革命を進めるというかたちで、中国のショナリズムが完成した。
5 中国共産党はどうして勝てたか 138
 中国共産党が中国の近代化を主導しているのは、かなり必然的だ。政治革命の組織で軍隊組織、自分たちの抽象的な理念を実現するために全員の献身を要求し、官僚機構が法律を制定し、人びとに道徳を強制する力を持っている。これらは、伝統中国の支配のあり方をなぞっている。国民党と共産党では所有権を認めるかどうかが違う。共産党は地主の土地を農民に分ける。農民にはこれが望ましく、勝利の一因である。
6 「指導部が正しい」というドグマ 142
 中国共産党は言っていることがときどき変わる。土地を分配しないで人民公社を押し進める。人々はそのつど学習する。指導部が考えることが正しいというドクマ。共産党の言うことが変われば、一斉に方向転換ができる。
7 毛沢東は伝統中国の皇帝か 148
 大躍進政策にせよ、文革にせよ、その当時から間違った政策だとほとんどの人は思っていたはずである。
 毛沢東は皇帝か。イエスであり、ノーである。毛沢東の中国共産党は、伝統中国の官僚制に比べ、はるかに社会の末端にまで支配の根を下ろしていた。都市にも、新しい共産党のユニットをつくった。「単位」というもの。職場のようなもの。あらゆる機能を果たした。住宅、医療や社会保障、退職金や年金、秩序維持など。旅行、食糧切符の配給や計画出産。単位には必ず共産党支部が設けられる。毛沢東の権力は絶大である。
8 毛沢東を欲求する社会 154
 中国の人々が、毛沢東を欲求しているから。
 中国の社会組織の原則。1.自分は正しくて立派。2.他者も自己主張している。3.自己と他者が共存するために枠組みが必要。天が毛沢東に権力を丸投げし、毛沢東に個人的な欠陥があったとしても、それを承認する。
9 冷戦が終わっても共産党支配が崩れなかった理由 163
 個人档案(とうあん 公文書の意)とは上司だけが見ることのできる内申書のようなもの。
 冷戦の終結後、中国がビクともしなかったのは、単位制度や個人档案がしっかり確立していたためであろう。
10 相転移する社会 172
 中国の社会にはゾル状態(ドロドロ)とゲル状態(プリプリ)があって、交替する。ゾルとゲルの二つの相があって、相転移(易姓革命)する。
11 日本よりも合理的な面 176
 中国の場合、個人档案によって抜擢人事も降格人事もできる。人材の合理的な配置ができる。合理的な機能集団を構成できる。
12 ナチズム、スターリニズムとのちがい
 ナチズム、スターリニズムは全体主義といわれ、党と政府の二重構造になっている。党の方が、レベルが高いので、党の言いなりになる。中国では人民解放軍が毛沢東の直轄で、文革の行き過ぎをコントロールしていた。
 毛沢東は中央軍事委員会主席でクーデターを予防できた。
13 伝統主義か、近代主義か 189
 中国共産党の長征は、井崗山(せいこうざん)から四川省の裏をぐるっと回って、内モンゴルのすぐ近くの黄土丘陵地帯を目指した(P.191「長征ルート」参照)。
 毛沢東の考え方きは、伝統中国的、農民反乱的である。ただ、ソ連の支援や、欧米の支援を得るためには、中国の近代化を進める正統な政治勢力だと認知してもらう必要がある。こういう2面があった。中国共産党は「解放区」で地主を打倒し、農地を再配分した。
14 生かす権力か、殺す権力か 196
 大躍進で大勢の餓死者が出た。動機は、経済大国になって、人民を生かすためである。生かすために殺した。文化大革命も同じで、階級のない理想の社会をつくるための政治運動である。善意でやっている。
 文化大革命で大事なことは、紅衛兵に父親を批判させた。儒教の根本精神に反することである。これによって近代化の道を驀進(ばくしん)できるようになった。
15 文化大革命とは何だったのか 205
 公式見解「封建的文化、資本主義文化を破壊し、社会主義文化を創造する。」
 文化大革命は1966年5月に北京大学の壁新聞で始まり、毛沢東の死後、1976年10月に4人組が逮捕されて終わった。この間、約10年間である。
 大衆を動員することが手段で、党中央の権力闘争に勝利することが目的か。
 紅衛兵が出てくる。文革の担い手のひとつになった、青少年の運動・団体。「毛沢東的好孩子」(毛沢東のよい子ども) 非常に計画的に進められた。秘密警察も軍も動員されていない。
 党の上層から指令が来て、あなたたちの中に実権派がいるから、互いに検査しなさいといわれる。検査委員会ができて、証拠を集め、反省文を書かせる。
 中国の伝統を否定しているのは不思議である。文化大革命は反知性的だ。文革のお陰で短期間の「資本主義化」が可能になった。
16 中華帝国の核心 213
 文化大革命は毛沢東の前での平等という近代的な側面をもっていた。
 経済的には立ち遅れているけど、中国は世界の先頭になって、最も進んだ革命に驀進している。

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第3部 日中の歴史問題をどう考えるか
1 伝統中国は日本をどう見ていたか 222
 清朝末期あたりからの日中関係を考える。
 P.225の表 「近代中国のあゆみ」
 日本は欧米列強のまねをして、中国を上からの視線で見るようになったのが許せない。
2 中国人の認知地図 228
 日本人は歴史を忘れるのが許せない。
 相手の世界の見方をつかむのが、外交や異文化理解の基本だが、その努力が圧倒的に足らない。
3 日本が大陸に進出した動機 234
 日本のアジア政策は、ナポレオンと比べると、まず、きちんとした理念がない。明確な目標も、手段の合理性もない。
 日本がアジアに出て行ったのは、最初は防衛的な動機だった。
 日清、日露戦争までは、それなりに動機が明確だった。
4 近代の主権概念vs.東アジアの伝統 240
 朝貢体制について復習すると、中心には中国の皇帝がいる。天命によって皇帝になっている。周辺にはいろんな国があって、王たちがいる。彼らは、皇帝によって王に封ぜられているから王なのであって、天とは直接関係がない。主権とはちがう。
 日本としては、わざと近代的な主権概念をふりかざし、あたかもそれが当然の前提であったかのようにふるまい、ときには軍事力まで用いて、東アジアに出て行った。最初が琉球処分で、次が日清戦争だった。
5 満洲国の建国 246
 最初は英国は日本がロシアと戦うことに加担したが、日本が勝ちすぎたので、米国がホーツマスで日本に有利にならないような講和条約を結ばせた。
 日本外交は最初から、列強とのせめぎ合いだった。日米修好通商条約は不平等条約だった。日露戦争の後不平等条約が解消し、国家目標が実現した。
 満州は当時、中国かどうか、わかりにくい地域だった。満州は、伝統的には、漢民族の地域ではなかった。中華民国は、満州を自国の領土だとしたけれど、実際に満州を支配していたのは、軍閥の張作霖だった。
 日本は、満州がこういうあいまいな場所であるのに目をつけた。張作霖ははじめ、日本のためにも働いていたらしいが、だんだん日本の言うことを聞かなくなった。そこで、張作霖を暗殺して、満州をまるごと手に入れてしまえというのが、関東軍の一部の軍人の陰謀だった。
 張作霖の暗殺は、政府や、陸軍首脳にも相談しないで実行した。でも暗殺してみたら、息子の張学良が軍閥を引き継ぎ、かえって国民党との連携を強めた。失敗した陰謀だった。
 そのあと満州事変(1931年)が起こった。周到に準備された、関東軍の組織的な作戦行動だ。柳条湖で鉄道が爆破された(日本軍の自作自演)のを口実に、関東軍が満州全土をあっという間に制圧した。この軍事行動は、国際的には黙認されてけれど、国際連盟のリットン調査団が来た。
6 日中戦争とは何だったのか 254
 華北に非武装地帯をつくれないか。
 盧溝橋事件(1937年)がもとで日華事変が起こる。時期としては西安事件(国民党と共産党の第2次国共合作)の後(1936年)である。
 盧溝橋事件は偶発的におこったが、あとの作戦は、参謀本部の了解なしに現場の部隊によって既成事実が積み重ねてゆき、持久戦に引きずり込まれた。
 上海の第2戦線では、ドイツ軍の将校が指導していた。
 首都南京を陥落させた。南京の人口は当時40万人。国民党軍は5万人だったが軍の司令官が逃亡してしまったため、降伏できず、捕虜にもなれない。南京を占領した日本軍は、住民の中にまぎれ込んだ国民党軍を多数選び出して連行し、射殺するなどした。日本は国際法を守ろうとする意識が低かった。逆の立場で考えるとよくわかる。
 日中戦争は奇妙な戦争だ。中国は日本の仮想敵国ではなかった。
 中国の戦略的な勝利で、ソ連と戦争するはずが、アメリカと戦争することになった。
 事実関係で解らないことが多い。
 基本的なコンセプトを理解していない。フレームワークがないなど問題が多い。
7 日本人の傾向 269
 駐米大使になった胡適(こてき 切れ者)の予言。日中戦争がまだ始まっていない1935年に「日本切腹、中国介錯論」を唱える。このように戦争は展開した(加藤陽子著『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』朝日出版社)。
 ヨーロッパではロジスティクスの思想が普及している。ナポレオンはなしで済ませた。「戦争論(クラウゼヴィッツ)」の記述 1.現地で調達してもよいが、代金は払え。 2.兵士が直接農家を訪ねてはならない。市長と相談して集めさせろ。中国では数千万人が犠牲になった。南京事件の1から100桁上だが証明が難しい。一般意思(共同体の意思)が存在していなかったようだ。
8 過去を引き受けるために  277
 二つの問題がある。第1は近代じゃないという点。中国の人びとに大きな被害と屈辱を与えたが、日本人の行為がカントの格律に反している。他者を自分と同じ独立した人格として認め、他者を手段として扱ってはならない。原因をはっきりさせて取り除く必要がある。第2に、歴史の流れを学校で教育することに失敗している。
 日本は、戦前の中国を侵略した世代と、現在の世代とのあいだの、連続性を設定することに失敗しているから、過去について謝れない。
 ドイツの戦略が参考になる。1946年のカール・ヤスパースの講義(『戦争の罪を問う』)とか85年のヴァイツゼッカー大統領の演説のボイント
 大統領は、個人補償がドイツ人の利益になると考えた。ドイツは東西で分割されていたため、政府間賠償ができなかった。彼によれば罪は「過去についての構え」で、責任は「未来についての構え」である。
 ドイツのは自分のプライドを傷つけずに、周辺国の感情を緩和する戦略である。
 日本とドイツとの違い。1.ナチスが悪く、軍は悪くなかった。2.ナチス・ドイツは消滅し西ドイツと東ドイツが新たな国としてできた。日本は連続している。
 靖国問題は東京裁判と一体である。国際法違反ゃ倫理道徳違反についての罪を、もっぱらA級戦犯が悪かったという虚構を打ち立てて、手打ちとし、天皇と大半の国民から取り除いた。A級戦犯を靖国神社に合祀してはならないし、私的神社として勝手に合祀したのなら政府首脳は参拝してはならない。
 戦後の日本の困難、日中関係をぎくしゃくさせた原因の一つは謝罪することの難しさがある。
 東京裁判図式「A級戦犯が悪いことをした事実を、政府も国民も理解する。」ことが大切である。

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第4部 中国のいま・日本のこれから
1 「社会主義市場経済」の衝撃  292
 第4部では、改革開放以降の中国をどうとらえたらよいかを議論する。
 今の中国は社会主義なのか、資本主義なのか。
 1992年にケ少平の南巡講話があった。「社会主義市場経済」のスローガンが掲げられた。
 P.299の表「新中国のあゆみ」 市場経済(資本主義)はだめだが、商品経済はよろしい。
2 ケ少平のプラグマティズム  303
 改革開放こそ、文革の最終的な仕上げだった。市場経済に適さないような、さまざまな中国の伝統や習慣、行動様式を一掃した。
 ケ少平は第2代皇帝である。彼は客家(はっか)の出身。フランスに留学し西欧体験がある。精強な軍人として、赫々(かくかく)たる革命の功労者。彼の再登場のきっかけはニクソンの訪中。毛沢東と会見して安全保障のパートナーとして、後ろ盾になった。ケ少平は、中国の運命に責任をもつ立場にあった。
 ケ少平のプラグマティズムの根本として、何のために中国革命をやったか。マルクス主義の枠の中では無理だ。
3 中国の資本主義は張り子のトラか 312
 契約が守られるか。1.「華僑」が総合商社の役割をする。2.留学帰国組が指導的な役割を担っている。3.中国人自身も変わってきた。
 日本で資本主義が早くから成功したのは、日本人的なライフスタイルやものの考え方が適応的だったから。中国にも似たところがある。
4 共産党の支配は盤石か 321
 中国共産党の党員と一般庶民 党員は抜擢人事により合理性を巡る競争が行われる。党員数は8千万人あまり(2011年のデータ)。中国共産党はがっちりと中国社会を支配している。
 中国を崩壊させないためには、参加と自治を旨とする民主主義は導入してはならない。
 中国は、神聖政治の1種だと考えればよい。
5 民主化の可能性は? 326
 天が政治の正しさの根源。実際には人民の評判。
 人民は、政治と経済の現状にどのくらい満足しているか。
 ジニ係数は完全に平等だと0で1に近いほど不平等の程度が大きくなる。日本は0.3くらい、中国は0.6を越えている。高度成長期は問題がない。
 1人っ子政策がやめになるという期待、農村戸籍がやめになるという期待がある。
6 中国は21世紀の覇権国になるか  334
 ある国家が覇権(ヘゲモニー)をもっているというのは、パワーについてのすべての基準で、その国が他の国家を圧倒しているということだ。
 国際公共財を提供していること。基軸通貨を提供したり、さまざまな方法で諸国に必要なルールを守らせたりする。
 全キリスト文明圏対中国で考える必要がある。アメリカの行動は予測可能だが中国は予測がむずかしい。あと10年か20年はアメリカの覇権体制は続く。
7 日本は米中関係の付属物にすぎない  339
 まず米中関係があって、日米関係はその付属物。
 外務官僚にはわかっていて、政治家や日本人が多くわかっていないことが沢山ある。例は尖閣諸島に侵入した中国漁船への対応の仕方で回避できるような不利益を中国との関係で被らないようにする。
 北朝鮮に関しても、原発問題に関しても同様のことがある。
 小国であるほど外交では情報を正しく分析し、最善の選択をしなければならない。
8 台湾問題  346
 米中関係の二つの問題は台湾と北朝鮮。
 台湾の民主化で国民党の一党独裁のままでは、台湾を防衛する大義がアメリカにはない。台湾政府が大陸との合体を希望する場合、アメリカは容認する。
 2010年問題とは中国に「台湾を実力で解放する」実力が備わること。
9 北朝鮮問題 354
 中国にとって日本は辺境だが日本は中国を尊敬していない。天安門事件、サッカーのアジアカップで反日暴動があったこと、尖閣諸島で3回日本の対中国感情が悪くなっている。
 1989年に東ヨーロッパでは社会主義体制が軒並み倒れた。周辺諸国の対応の仕方が違うことが最大の理由だろう。核開発の影響が大きい日中韓で解決できないか。
 北朝鮮が考えていたロードマップがブッシュ大統領と小泉内閣のポピュリズムでこわれた。ただ橋爪氏はこのロードマップには疑問を持っている。日本の場合、政策的意思決定を支える専門家の層が薄い。日本の独自外交の余地はもともと少ない。
10 日本がとるべき針路  365
 個人的な信頼関係が中国と米国ではあり中国と日本ではない。中国を理解することに関しては、日本の方が歴史的に優位である。
 中国のリーダーと日本のリーダーは中国がずっと上である。
 加藤紘一氏の発言日本はアメリカに対しては中国カードを切ることができ、中国に対してはアメリカカードを切ることができる立場にある。
 中国に向かって手をさしのべる。例としては排出削減問題。
 橋爪氏の提案は中国研究所をつくる(日本からの良いサイン)。日本は中国のことをわかってくれると、中国が思えば、日本の利益になる。

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あとがき
 中国をテーマに、3人の鼎談が実現した。
 読者の手もとに届けることができて、とても嬉しい。

 私(橋爪)は1948年の生まれ、戦後ベビーブーム世代である。
 大澤さんと宮台さんは、私よりひと回りほど若い。理論的な仕事も、日本社会の現実に切り込む仕事も手がけ、たくさんの著書がある。
 私かオーバードクターで本郷をうろうろしていると、学部学生の大澤さんが研究会に現れて、議論するようになった。すぐに宮台さんも加わった。大澤さんと宮台さんは、トゥウィードルダムとトゥウィードルディー(『鏡の国のアリス』に出てくる双生児)のようにいつも一緒で、とても目立った。2人ともひとの3倍くらいおしゃべりなので、2人組だとなおうるさい。
 以来数10年の、交流が続いている。
 私はたまたま縁があって、中国に関心をもつようになったが、とにかくこのテーマは大きい。私1人の手にあまる。そこで、大澤さんや宮台さんや、もっと若い世代の人びとに加わってもらおうと思うようになった。3人そろって中国を旅行したのも、それをもとに鼎談を企画したのも、そうした思いからだ。

 これから中国はどうなるだろう。
 これからの中国というとすぐ、「民主化」と反応する日本人が多い。そんなに簡単でない。中国の実際を、日本人はとにかく知らなすぎる。まあ、アメリカ人やヨーロッパ人だって知らないのだが、巨大な隣国のことを知らない日本人は、やはりまずい。
 でも新書に、何から何まで書くわけにはいかない。
 本書では、中国のことを考えるとき陥りやすい勘違いや落とし穴など、目をつけるべきポイントに集中した。こういう筋道で考えていくと、しっかり考えられる。中国の人びとと手を携えられる。そういう考え方の基本スタンスが、提案してある。中国についての情報があふれるほど、ますます中国のことがわからなくなるのは、この基本スタンスがいい加減だからだと思う。本書を参考に、ぜひその先に進んでもらいたい。

 本書ができるまでに、大勢の皆さんの力を借りた。
 妻の張静華は、著者3人が中国で有意義に過ごせるよう、旅行のプラン、道案内、通訳など、中国へのガイド役として八面六臂の活躍をした。本書のあちこちに彼女のアイデアが盛り込まれている。北京や天津の旧知の人びとをはじめ、名前を記さないが、多くの中国の人びとが著者らの意図を汲んで、温かく協力してくれた。記して感謝したい。
 講談社の岡本浩睦さん、担当の川治豊成さんには、今回もお世話になった。2人の支えがなければ、本書はかたちにならなかった。ありがとう。
              2013年1月                                            橋爪大三郎

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5. 著者紹介
橋爪大三郎(はしづめだいさぶろう)
1948年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。現在、東京工業大学教授。著書に『はじめての構造主義』『はじめての言語ゲーム』(ともに講談社現代新書)、『世界がわかる宗教社会学入門』(ちくま文庫)などがある。大澤氏との共著『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)で新書大賞2012を受賞。

大澤真幸(おおさわまさち)
1958年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。社会学博士。千葉大学助教授、京都大学教授を歴任。著書に『ナショナリズムの由来』(講談社、毎日出版文化賞)、『(世界史)の哲学』(講談社)、『夢よりも深い覚醒へ』(岩波新書)などがある。

宮台真司(みやだいしんじ)
1959年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。社会学博士。現在、首都大学東京教授。著書に『権力の予期理論』(勁草書房)、『終わりなき日常を生きろ』(ちくま文庫)、『日本の難点』(幻冬舎新書)などがある。

6. 読後感
 中国との歴史問題、靖国問題は戦後日本の避けて通れない外交問題だと思います。こういう時期に、このような本が出たことは画期的だと思います。関心のある方はこれを契機に本を手にとっていただき、さらに議論を深めて戴きたいと思います。前にご紹介した「中国人とはいかに思考し、どう動く人たちか」と併せて読むと一層深く理解できるでしょう。

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[Last updated 9/30/2013]