本の紹介 ハーバード白熱日本史教室

   目 次

1. 本との出会い
2. 本の概要
3. 本の目次
4. 内容要約
5. 著者紹介
6. 読後感



北川 智子著
新潮新書
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1. 本との出会い
 NMCの読書会で2012年12月に、皆で読む本の候補としてこの本が提案されました。一読して良い本だとは思ったのですが、皆で読む本としては適当ではないと感じました。しかし、そのままにしてはもったいないと思い採り上げました。

2. 本の概要
  少壮の日本人女性研究者が、ハーバード大学で日本史を大人気講座に変貌させた。歴史の授業に映画作りや「タイムトラベル」などの斬新な手法を導入。著者に感化され、学生たちはいつしか「レディー・サムライ」の世界にのめり込んでいく----。「日本史は書き換えられなければならない」という強い使命感のもと東部の有名大学に乗り込み、「思い出に残る教授」賞にも選ばれた著者が記す「若き歴史学者のアメリカ」。

3. 本の目次

 まえがき   3

第1章 ハーバードの先生になるまで  11
大学の専攻は理系だった/ハーバード大学に行こう!/日本史に女性が全く登場しない!/プリンストン大学の博士課程へ/東京、そしてニューヨーク/大雪のシカゴで面接/再びケンブリッジヘ/弱小の東アジア学部/手応えを感じた1年目/履修者が一挙に増えた2年目/「脱線話」に注がれた真剣な視線/大学で歴史を学ぶ意味/驚異の履修者100人超え/日本史の語り方を変えたい

第2章 ハーバード大学の日本史講義1 LADY SAMURAI  55
サムライというノスタルジア/時代遅れの日本史/目的は「大きな物語」を描くこと/武士道は「創造された日本らしさの象徴」/海外で教えられる日本史の時代区分/ユマ・サーマン、ルーシー・リュー、小雪/サムライと同様に貴族出身/平家物語の女性たち/「女性らしさ」よりも「サムライらしさ」/北政所ねい/個人としてのネットワーク/秀吉の死後も上流階級にとどまる/側室たちの悲しい運命/Lady Samuraiと武士道の再創造

第3章 先生の通知表  93
キューと呼ばれる通知表/学生のコメントは役に立つ/履修者18人に助手1人/「楽勝科目」は人気がなくなる?/キュー攻略の秘密/聴覚を意識的に使わせる/パソコンを閉じてお絵描きを/歴史の授業で盆踊り!/履修する学生たちの肖像/花形はフットボールとバスケット/授業以外での学生との交流/5つのハンデ/「ペスト・ドレッサー」賞と「思い出に残る教授」賞

第4章 ハーバード大学の日本史講義2 KYOTO  173
アクティブ・ラーニング/地図を書こう!/嵐山のモンキーパークが人気スポット/時代を100年に絞る/意味合いを変えていく京都/グループでプレゼン/ヨーロッパ人が見た京都/中間試験の課題は「タイムトラペル」/ポッドキャストで番組製作/ラジオの次は映画づくり/映画+タイムトラベルで4D「KYOTO」/不思議なつながり/日本史の外交官的役割

第5章 3年目の春  175
歴史は時代にあわせて書き換えられる/印象派歴史学/「大きな物語」がない日本/マイケル・サンデルの言葉/20人のクラスに140人が/251人の学生とともに

あとがき  189

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4. 内容要約
まえがき
 ハーバード大学は、米国マサチューセッツ州ボストンの隣町ケンブリッジにある、世界的知名度を誇る大学です。この大学で日本史と数学史を教えるのが、私の仕事です。
 ハーバードの先生になってから早くも3年がたち、この仕事の面白さと重要性を日々、感じているところです。嬉しいことに、最初は16人の受講生しかいなかった私の日本史のクラスに、今や251人の履修者が押し寄せ、日本史のクラスがかつてない人気を呼んでいる状況です。
 どうしてハーバード大学で、日本史が人気になったのでしょうか。そこには、様々な理由があります。
 一つは、私の歴史へのアプローチが、従来の歴史研究者のスタイルとは全く異なっており、それが私の所属する東アジア学部以外の学生にも興味深いものと評価されるようになったこと。次に、コンピュータを使って実際に日本史を「体験」させる斬新な教え方が学生の心をつかんでいること。そして、ハーバード大学のクラスの評価方法が、人気に拍車をかけていることです。そのような日本史人気のルーツの一つ一つをたどるように、この本を書いてみました。

 第1章は、高校でも大学でも理系の学生だった私か、突然日本史をはじめて、ハーバード大学で日本史の先生になるまでを描いたエッセイです。どんなハプニングの末に、この仕事についたのか、その道筋をたどってみました。従来の日本史の語り方の弱点に気づいた経緯と、これまでの私の経験がどのように新しい教授法と結びついていくか、その2点に注目していただければと思います。
 第2章は、私かハーバード大学で教えている日本史のクラス「Lady Samurai」の概要を紙上で再現してみた出張講義です。Lady Samuraiという言葉を聞かれたことのある方は、ほとんどいらっしゃらないでしょう。なぜなら、私がつくった言葉だからです。私は、Lady Samuraiという新しい歴史概念こそが、日本史を大きく前進させる要素だと考えています。どうしてこのような新しい概念が必要で、21世紀に見合った日本史作りを可能にしているのか。簡単にかいつまんでお話ししますので、ぜひ聞いてください。
 第3章では、「先生の通知表」と題して、ハーバード大学でのクラス評価の仕組みや私の教えたクラスの評価を分析します。さらに、日本史を履修する学生たちの生活ぶり等、内部事情をお話しすることにします。学生生活やこの大学特有のイベントなどを紹介する、ハーバード大学体験ツアーです。
 そして、私のもう一つの日本史のクラス「KYOTO」の出張講義を第4章に。ここでは、歴史そのものよりも、アクティブ・ラーニングという新しい教授法について詳しくご説明します。京都の歴史そのものよりも、最新のコンピュータ技術を駆使した宿題と、学生によってつくられていく京都の歴史ラジオや歴史映画の話を中心に、京都を舞台にハーバードの学生が繰り広げる「日本史バトル」をご紹介します。
 最後の第5章では、世界の中での日本史の位置づけと日本史のこれからについて、私のいま思うことや、私か提唱する「印象派歴史学」の醍醐味をお伝えしたいと思います。実は、このハーバードでの日本史人気は、大学での教育にとどまらず、日本の皆さんにとっても重要な意味があることをお伝えします。どうして私の日本史が新しいのか?どうして日本史が新しくなくてはいけないのか? 「日本史が今、早急に書き直されなくてはならない」という理由を記した、私からあなたへの「あるメッセージ」にたどりつく時まで、その2点を念頭において読んでみてください。

 日本史というと、受験の一科目として記憶されている方や、古くさくてつまらないものと思われている方も多いかと思います。でも、この本はちょっと違います。もっとチャーミングなものです。
 皆さんが、最後ににんまりと微笑まれることを祈って、まずは2004年の夏の話から始めましょう。

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第1章 ハーバードの先生になるまで  11
[大学の専攻は理系だった]
 著者は九州の高校を卒業して、始めての海外旅行先のカナダでUBC(ブリティッシュ・コロンビア大学)に入学した。そこで専攻したのは数学と生命科学である。卒業後の進路を考えていた秋に、ある教授のアシスタントのアルバイトをし、日本語が読めるというだけの理由で日本史の専門家のリサーチを手伝った。
[ハーバード大学に行こう!/日本史に女性が全く登場しない!]
 ハーバード大学のサマースクールに行き、「ザ・サムライ」を受講するが、女性が全く出て来ない内容に疑問を抱く。授業の後、数人のクラスメートと話をして、そのことに確信を持つ。
[プリンストン大学の博士課程へ]
 カナダのバンクーバーの大学院に入り、Lady Samuraiの記録をまとめた修士論文を書き教官に見せると、アメリカの大学の博士課程に進むことをすすめてくれた。数校に願書を提出し、プリンストン大学への入学が決まった。
 ブリンストンの最初の1年は、乱読に近い活動を楽しんだ。日本史ばかりでなく、まったく手つかずだった他の分野の本もたくさん読んだ。
[東京、そしてニューヨーク]
 プリンストン大学でのジェネラルズ(博士号取得候補生になるための試験)は無事に通った。プリンストンの東アジア学部では、博士号取得候補生は1〜4年の間、研修対象国に留学する習慣があった。著者は東京大学史料編纂所で1年間研究員として在籍した。中世の日本史を専攻するため、くずし字で書かれた古文、漢文を読む必要があった。
 アメリカに戻ってからはニューヨークに住み、電車でプリンストンに通った。そこでプリンストン大学に入学して丸3年で博士号を取得した。またケンブリッジに戻ることになった。
[大雪のシカゴで面接]
 ニューヨークに住んで3年半で博士論文のメドがたった。そこで仕事探しを始め、ハーバード大学の「カレッジ・フェロー」という、その年に新設されたポジションに出願した。日本中世史の募集があった。書類選考に通り、その1週間後にシカゴで開催される東アジア学会の会場で面接をするとの連絡が来た。その直前に大雪が降り、15分の遅刻をしたが、幸いパスすることができた。「ザ・サムライ」のボライソ先生が、ご病気で退官されていたことを知った。
[再びケンブリッジヘ]
 思い出の「ザ・サムライ」のクラスを「Lady Samurai」というクラスに替えて、あたらしいカリキュラムを作った。
[弱小の東アジア学部/手応えを感じた1年目]
 自前の日本史コースは「Lady Samurai」で、もう一つは大学院生用のセミナーで、受講登録は16名と6名だった。また春学期に「KYOTO」のクラスを作り20名が登録した。カレッジ・フェロー2年目への契約更新もしてもらった。休みにはティーチング・アワードを貰ったとの連絡があった。
[履修者が一挙に増えた2年目]
 2年目は順番を替え、秋学期に「KYOTO」で春学期が「Lady Samurai」。「KYOTO」は38人が受講し、「Lady Samurai」は50人入る会場が満員で立ち見も出るほどだった。
[「脱線話」に注がれた真剣な視線]
 休憩として話した「Lady Samurai」ができた経緯は、歴史が変わってゆく例にもなり、好評だった。
[大学で歴史を学ぶ意味]
 グループワークを課すこと。自分にしかできないオリジナルなアイディアを出す。個性と感性。
 これまでは愛されることで満たされていた。これからは学生を愛すること、いい先生になろうと決意した。
[驚異の履修者100人超え]
 2年目の春のクラスは百人を超える数の学生が登録した。
[日本史の語り方を変えたい]
 歴史がみんなを強くする理由。2つある。一つは隠された意味を見つけること。二つ目は時の重力を感じること。
 従来の日本史は男性のサムライのみを軸にした「半分史」、それを書き足し、語り方を変えることが著者の仕事だと気がついた。

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第2章 ハーバード大学の日本史講義1 LADY SAMURAI  55
 「Lady Samurai」の授業の概要を説明する。
[サムライというノスタルジア]
 歴史に刻まれてきた男性の強さが目立つ。
[時代遅れの日本史]
 サムライが中心で、女性はその影という状況は見直されるべき点である。
[目的は「大きな物語」を描くこと]
 豊臣秀吉の妻の北政所ねいのこと。「戦わずに強く生きた女性」に「Lady Samurai」という称号を与える。なぜLadyと呼ばれるのにふさわしいか サムライとLady Samuraiの両サイドから、日本の武士道の再構築を試みる。
[武士道は「創造された日本らしさの象徴」]
 武士道という言葉が世界に広まるのは、1900年に新渡戸稲造が「Bushido: The Soul of Japan」を出版して以来のこと。新渡戸が日本人の倫理を語る概念として作った「武士道」が20世紀に向けて発信され、それがあたかも以前から存在していたものであるかのように受け入れられてしまった。
[海外で教えられる日本史の時代区分]
 時代区分にサムライが前面に出すぎたために、女性は完全に歴史から排除され、これがサムライの女性などいないという固定観念につながった。
[ユマ・サーマン、ルーシー・リュー、小雪]
 Lady Samuraiとは、戦わずに、かつ陰で大いに活躍する女性たちである。
[サムライと同様に貴族出身]
 Lady Samuraiの語源は、もともと貴族文化にある。
[平家物語の女性たち]
 サムライとともに戦にきた女性は、「女性である」という理由で殺される対象になっていなかった。
[「女性らしさ」よりも「サムライらしさ」]
 戦国時代に登場する女性たちの役割は、「女性らしさ」よりも「サムライらしさ」を強く反映したものである。
[北政所ねい]
 一般的に守護大名とその本妻は「ペア・ルーラー(夫婦統治者)」として考えられていたために、女性も政治に介入できるというより介入せざるを得なかったのだという著者オリシナルの見解を紹介する。
[個人としてのネットワーク]
 男性のサムライと同じ書式で手紙を書き、他の大名と対等に会話をし、時には彼らを諌めていた。
[秀吉の死後も上流階級にとどまる]
 ねいは、その地位と経済力で、秀吉の死後もサムライの上流階級に居座りつづける。
[側室たちの悲しい運命]
 武士の上流階級に属するが故に、つまりLady Samuraiであったがために、側室たちはその死に際しても女性らしさではなくサムライらしさを帯びながら散っていった。
[Lady Samuraiと武士道の再創造]
 これまでの武士道にはなかった強さと儚(はかな)さを浮き彫りにしてゆく。

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第3章 先生の通知表  93
 ハーバード大学では毎学期末、講義が終わると学生が先生を評価し、感想を書く。評価は5段階のポイント制になっていて、その結果は学内関係者向けにウェブ上で公開される。
[キューと呼ばれる通知表]
 先生の通知表はキューと呼ばれる。P.96は著者のキューである。2011年秋学期のクラス「KYOTO」の分で、136人が登録し119人が匿名で評価に協力した結果がこのキューである。5段階評価で、良いと5である。細い線がベンチマークで目標である。一番上がクラスでの総合評価で、2番目が資料、3番目が宿題、4番目が先生や助手からのフィードバック、最後のセクションは講義以外の時間である。円グラフはこのクラスを他の学生に薦めるかで、これも5段階評価であり、98人が自信を持って薦めるになっている。
[学生のコメントは役に立つ]
 P.98は著者の個人評価である。1番上が、総合的に見た先生の評価。2番目はレクチャーやプレゼンなど授業の進め方の評価。3番目は、クラスの時間以外で先生が時間を作ってくれたか。4番目は、先生が好奇心や元気を与える役割を果たしたかどうか。5番目は先生が学生に議論を促すように努力したか。6番目が先生から貰った宿題へのフィードバックの質の評価。一番下が宿題の採点をして返すのに要する時間が適切だったかである。
 この結果、2009〜2011年の3年間、連続でティーチング・アワードを受賞しまた。また生徒からのコメントも丁寧に読んで、改善に繋げた。
[履修者18人に助手1人]
 履修者の数はウェブ上で一般公開されている。 P.102は、その表で、各年度のKYOTOとLady Samuraiのクラス別の数字で右端が合計である。
 ハーバード大学では、受講生の数が多くなると、学部生18人当たり1人のティーチング・アシスタント(大学院生の助手)がつく。
[「楽勝科目」は人気がなくなる?]
 先生側からみたクラス運営の仕方として、教えたいコースのシラバス(コースの概要、課題、読み物のリストを含めた授業プラン)を提出する。人数が大幅に増えたらシラバスを作り直す。クラスの難易度も大切である。
[キュー攻略の秘密]
 大きなクラスを成功させる大前提は準備である。歴史を学ぶことが学校の枠を超えて社会生活に直結するように、できるだけ社会力が身につく課題を出すことを心がけてシラバスをつくる。社会で輝ける人とは、他人と力を合わせられる人間、自分のオリジナリティーを信じられる人間であり、その資質を育てるようグループワークとプレゼン、映画作りを課題として入れる。
[聴覚を意識的に使わせる]
 自分の趣味をティーチングに生かすように工夫する。著者の第1の趣味はピアノ。聴覚だけに頼ったレクチャーをし、習った内容を数行にまとめたフリーラップのコンテストをした。
[パソコンを閉じてお絵描きを]
 第2はお絵描き。お城を紙に書かせる。
[歴史の授業で盆踊り! ]
 第3はスケート。体全体でアイディアを表現する。全員でダンスを踊る。盆踊りも皆でやった。
[履修する学生たちの肖像]
 自分の専攻を別に持ちつつ、友達と一緒にとれる選択科目として、選んでくれている。また、あらゆる種目のスポーツ選手たちがいる。
[花形はフットボールとバスケット]
 ハーバード大学ではフットボールとバスケットボールが花形のスポーツ。オーケストラやコーラスなどのグループもある。
[授業以外での学生との交流]
 オフィスアワー(決まった曜日の決まった時間にはアポなしで研究室に立ち寄れる時間)やハウスディナー(基本的に全寮制。寮は1年生が学内、2年以上は学外のハウス。年に1回1人の先生をディナーに招待する。)でも交流がある。これらは授業を超えて学生とふれあう機会である。
[5つのハンデ]
 女性である、若い、アジア人種である、英語が母国語ではない、テニュア(終身在職権)付きの教授ではないの5つである。
[「ベスト・ドレッサー」賞と「思い出に残る教授」賞]
 学生新聞などが自主的に行っている先生の評価。ベスト・ドレッサー賞とその年の卒業アルバムに載せるフェイバリット・プロフェッサー(思い出に残る教授)となった。アルバムの冒頭に載せる写真を撮り、コメント「証明などいらない。あなたの可能性は無限大」を贈った。

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第4章 ハーバード大学の日本史講義2 KYOTO  138
 次は著者の趣味の3要素、ピアノ、絵画、身体表現をとりいれたクラス「KYOTO」の講義である。
[アクティブ・ラーニング]
 学生が自分たちで実際に試しながら学ぶという体験型の学習である。とりあつかう問題をはっきりさせ、それに対する最善の答えを学生に考えさせ、その過程を大事にする教え方である。実際に「ものをつくる」ことが大切である。
[地図を書こう!]
 学内の図書館地下2階にある地図を見て、レプリカの地図を描いて提出する。1700年代の日本全国の地図のレプリカ、洛中洛外図(1860年に作られたカラフルなもの)、京都駅にある無料でもらえる英語版の地図「KYOTO WALK」の三つをもとに、洛中洛外図の現代版を作ってもらう。
[嵐山のモンキーパークが人気スポット]
 観光の目的地リストが大きな図になったもの。京都駅、京都御所と二条城。お寺。京都に惹かれてゆく。現在と過去をつなぐ。
[時代を100年に絞る]
 時代は戦国時代から江戸初期まで(1542年から1642年まで)。これは京都が劇的な変貌を遂げる時期である。
[意味合いを変えていく京都]
 全国統一に向けた重要な交渉場所を提供し、覇者の趣向や動向により大きな変革を強いられ、遷都後は古都として新しい地位を確立した。
[グループでプレゼン]
 グループでしかできない方法をとるように注文をする。ドラマやテレビ番組のパロディもある。楽しく学び、グループだと1人よりすごいことができることを知ってもらう。
[ヨーロッパ人が見た京都]
 扱う課題は16世紀日本に来た宣教師がヨーロッパに送っていた書簡(1次資料)。「仏教や神道などの宗教について」など5項目。共感しながら読むことができる。読んで浮かんだイメージが大切である。
[中間試験の課題は「タイムトラベル」]
 100年の中にある一定期間を選んで「タイムトラベル」した経験を書く。3日間で短い(最長で2ページ)エッセイを書く。疑似体験する。
[ポッドキャストで番組製作]
 外交を取り上げ、具体的には秀吉の外交関連資料と天正遣欧少年使節団を学ぶ。2分間のラジオ番組を作る。ポッドキャストはインターネットを利用した動画などの配信システム。ナレーションと効果音を入れる。
[ラジオの次は映画づくり]
 参勤交代での外交合戦をビデオにする。
[映画 + タイムトラベルで4D「KYOTO」]
 映画とタイムトラベルのアイディアを足して、仮想現実の世界に自分が入り込む。どんなトピックでもいいので、おもしろいと思った点をピックアップし、自分が出演した6分の映画を作る。ハーバード大学のメディアスタジオを使う。1週間借り切って、専任のスタッフに撮影してもらう。緑のスクリーンと合成映像用スタジオを使用する。30分にわたり、20シーンほど録画する。緑のスクリーンの前で演技し、緑の部分をあらかじめ用意しておいたバックグラウンドになる写真やスライドで置き換える。学生が歴史のプレゼンターとして映像の中に入り込む。
[不思議なつながり]
 自分の言葉で日本史を説明する。歴史の新しい可能性とその楽しみ方を覚えて、このクラスを卒業してゆく。
[日本史の外交官的役割]
 歴史教科書問題は歴史と外交のつながりの典型的な例。秀吉の朝鮮出兵など悪い面も教える。

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第5章 3年目の春  175
[歴史は時代にあわせて書き換えられる/印象派歴史学]
 鳥のように高い始点から広い視野で歴史を語る試み。日本史全体を見渡す。
[「大きな物語」がない日本]
 たくさんの人に、歴史の楽しみ方や語り方を発信することはとても重要なこと。「日本のイデオロギーを目に見える形で作ること」「日本とは何か、という質問に対してしっかりとした答えを構築すること」
[マイケル・サンデルの言葉]
 日本史が国史として勉強される以外に、海外の人たちにとっての世界史として勉強される時代。あなたにも関係がある。
[20人のクラスに140人が]
 大学院生用のセミナーとして始めた「約束の歴史」クラスが学部生用のクラスになった。20人を予定して企画をたてたが、希望者が140人になったので2センション分の36人にしぼった。
[251人の学生とともに]
 3年目の「Lady Samurai」は受講者が251人になった。去年の春学期の「Lady Samurai」と秋学期の「KYOTO」の2つのコースを履修した学部生の男子3人と女子2人を助手にリクルートし、ウエブ管理者も1人採用した。

あとがき
 回顧録から始めたこの本ですが、ハーバード大学で教えている日本史の状況や意味だけでなく、いろいろなことに触れ、私にとって大切な記録になりました。この本の出版のきっかけを与えて下さった伊奈久喜様と伊藤幸人様、そして日本とケンブリッジの距離と時差を超え、最強の編集をしてくださった横手大輔様に深くお礼申し上げます。
 日本にもカナダにもアメリカにも、恩人と友人がたくさんいます。遠くにいてもタイムリーにかけがえのない智恵と励ましの言葉をくれる人たち、近くで好きなだけ好きなことをやっていいと私を信じてくれる人たちがいて、私はいつも幸せです。ありがとう。
ハーバード大学での3年間。累計600人を超える私の大事な生徒たちに、この本を捧げます。
 日本からカナダに飛び立ったとき、ハーバード大学に夏期留学をしたとき、プリンストンに進学を決めたとき、そしてハーバード大学に赴任したとき。これまでも、まっさらなところから始めるプロジェクトはいつも楽しく、やりがいのあるものでした。現状を打ち破って、新しいチャレンジを探して、ここまで来ました。向上心と好奇心が、私の原動力。その最高のものを追い求めるアンビシャスな姿勢を失っては、私らしさがなくなります。
 ハーバード大学で教えられたのは非常に有意義な経験でしたが、実は、さらに大きなプロジェクトに向かって、旅に出ようと思っています。まだまだ、これからが私の最高の時間。また未知の世界に向かって走り出すところです。これからも「可能性はいつも無限大」。次のプロジェクトが、はやく形になって、皆さんの前に現れますように。
 読んでくださって、ありがとうございました。
2012年4月

5. 著者紹介
北川智子 1980(昭和55)年福岡県生まれ。ハーバード大学東アジア学部レクチャラー。カナダのブリティッシュ・コロンビア大学大学院でアジア研究の修士課程を修了後、プリンストン大学で博士号を取得。専門は日本中世史と中世数学史。

6. 読後感
 外国の歴史を勉強するのはかなり努力の要ることでしょう。著者の思いきった転進が見事に成功し、米国人にも興味を持って中世日本史を勉強させられたのだと思います。著者の最初のハーバード大学のサマースクールでの疑問が、目的をはっきりさせた点で、大事だったのでしょう。著者の若さ、感性、得意な点を伸ばすなど、特長を生かしたカリキュラム作りが素晴らしいと思います。

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[Last updated 11/3/2012]