みんなの広場
(2011年4月に移動)

トップページに戻る

総目次に戻る

改訂履歴とみんなの広場(バックナンバー)11に戻る

 アクセスされた方々との交流の場です。今月も次の3項目を取り上げました。先月の「みんなの広場」は「12 改訂履歴とみんなの広場(バックナンバー)」に移しました。
 3月はお彼岸を過ぎても寒い日が続きました。それより何より3月11日の東北地方太平洋沖地震にはびっくりしました。マグニチュード9.0という大地震で、しかも15米を越える大津波と、東電の第1原子力発電所の事故により、死者、行方不明者、放射能災害、計画停電、交通機関の混乱は未曾有の事件でした。東京は、東北のような被害はなかったのですが、地震当日は交通がほとんど止まったため、帰宅難民(外出先から帰宅できなくなり、駅の構内などで仮眠する人)が多かったようです。
 原発の事故は、いまだ回復のめどがたっておらず、海水、土壌、野菜、原乳から水道水まで汚染されているようです。
 桜は開花が遅れ、3月下旬にやっと開花宣言がありました。

1.「今月の追加内容」など
 1.1 今月の追加内容
  今月追加した内容の、ご紹介です。
 1.2 新聞の記事から
  日本経済新聞に掲載された、佐伯 一麦さんの「冷静な混乱の後」を載せました。

2. 3月のトピックス
 3月の主なトピックスをご紹介します。
 2.1 小石川後楽園
  
3月2日、地元の仲間と、小石川後楽園へ観梅に行きました。
 2.2 広島旅行
  3月11〜12日、広島へ1泊2日の兄弟旅行に行きました。11日は東北地方太平洋沖地震のあった日です。右の写真は宮島の沖に建つ、厳島神社の大鳥居です。
 2.3 三月大歌舞伎
  3月22日、新橋演舞場に歌舞伎を見に行きました。

3. 来月の予定
 今、来月に向けて計画していることを、お知らせします。

1. 「今月の追加内容」など
 1.1 「今月の追加内容」
 「6 私の愛読書」「11 白川静氏 「漢字百話」ほか」「11. 本の紹介」「1 白川静 漢字の世界観」は前に追加したのですが、「4. 本の内容」が無かったので今回、追加しました。
4) 「8 ウオーキング・旅行」「47 大田区の散歩道8 六郷用水」に3ヶ所の変更をしました。
 これは六郷用水を8回わたって連載し、全体を見直しました。「ルートは水路ではなく、跡をたどる(歩く)」と考え方を統一したため、2箇所について再度検討し、新しい標識を見つけました。そのためルートを多少変更し、「まとめ」を追加しました。
 「11 興味あるリンク」には、「1 役にたつホームページ」に「1.15 東北地方太平洋沖地震」を、「16 人」に「16.16 佐伯一麦」を追加しました。一つ目は今回の大災害の内容確認で、2項目は次項の新聞記事の筆者です。

 1.2 新聞の記事から 「冷静な混乱の後」 佐伯 一麦
 巨大地震発生から7日が過ぎ、それだけでも海沿いの街々に壊滅的な被害をもたらした津波災害に加えて、余震の心配、福島県の原発事故も発生し、被害は複合的になり状況は刻々と変わってきている。私の住む仙台は、3月も半ばだというのに真冬の寒さが戻ってきて、今も窓の外では非情にも大雪が舞っている。
 水道とガスは復旧していないが、電気だけは通じたので、小さな電気炬燵(こたつ)に私と妻、それから80歳になる老母とともにあたり、暖を取ってしのいでいる。背中がスースーして、と訴える老母に、暖房を点けようかと言うと、放射能が入ってくるのがおっかね(怖い)からいい、と首を振る。それで妻が、母の背中に毛布を掛けた。
 テレビのニュースではさきほど、いわきの避難所で、病院や老人ホームから避難してきた高齢者が14名亡くなったことを報じていた。
「この歳になって、こんな地獄にあうなんて。前の宮城県沖地震のときとは比べものにならない……」と母が強く目を瞑(つむ)った。

目次に戻る

 ロ  ロ  ロ

 7日前の、3月11日午後2時46分。マグニチュード9.0の東日本大震災が起こったとき、私は仙台市郊外の作並温泉にいた。ニット作家の妻の友人で、仙台で個展中の英国人フェルト作家リズとその夫君のベンを案内し、ベンと露天風呂につかっているさいちゅう、周りの岩に積もっていた雪が粉状に降り注いできた。と、次の瞬間、細かく砕けた礫(つぶて)が、急な岩肌をいくつも転げ落ちてきた。
「地震だ。かなり大きい。早く上がって着替えるんだ」。咄嵯(とっさ)に私は、ベンを促して隣の脱衣所へと駆け込んだ。身体が濡れているのもかまわずに、着替えの浴衣を身にまとう。足元はまだ、これまでに経験したことがないほど大きく横揺れを続けている。縦揺れではないので震源地はやや遠く、家屋の倒壊は免れられるかもしれない、と頭の片隅でちらと思った。疎(すく)みそうになる足を踏みこたえ、震える手で帯を締めながら、近い将来かなりの確率で起こると予測されていた宮城県沖での大地震がとうとう起こってしまった、という実感が強い怖れをともなって突き上げてきた。
 強い揺れは、実に長い時間続いた。後で知ったことだが、前から予測されていた宮城県沖だけではなく、その北の岩手県の三陸沖から南の茨城県沖にかけての巨大地震が3連動して6分間起きていたという。強い余震の度に悲鳴が上がっている女湯の脱衣場の前で待っていると、ようやく妻に抱き甘かえられるようにして、リズが姿を見せた。英国では地震がほとんどないので、初めて経験した大地震のショックがありありと窺(うかが)えるようだった。
 仙台までの公共交通機関が運行中止となり、携帯電話も通じず情報も途絶してしまった中、宿に1泊させてもらった翌日、東京から観光に訪れていた若者のレンタカ一に同乗させてもらい仙台まで戻った。仙台までの道のりは、道に罅(ひび)が入り段差が生まれていたり、旅館の建物が倒壊して進路が塞がれてしまっていたり、建物の大きなガラス窓が割れていたり、民家の瓦屋根が流れ落ちていたり、古いブロック塀が崩れ落ちていたり……、といった被害の惨状は見受けられたが、揺れの大きさからすると、正直の所、被害の程度は少なく済んだように思われた。
 テレビ塔が林立する高台にある自宅にどうにか辿(たど)り着くと、玄関の鍵が破損し、室内は、書棚から飛び出した大量の書物やCD、食器顆などが散乱して、まさに足の踏み場もない状態だったが、先の印象を変えるほどではなかった。その認識が間違っていたことを痛感したのは、停電中での唯一の情報源である手巻き充電式の非常用ラジオから、少しずつ被害の状況があきらかになるに従ってだった。
 東北地方の太平洋沿岸は、昔から1896年の明治三陸地震、1933年の昭和三陸地震、1960年のチリ地震津波など、津波の被害に何度も遭ってきた土地で、それに備える防災意識も強い土地柄だったはずである。ところが、今度の地震は、これまでの常識をはるかに超える20メートルもの高波をもたらして、沿岸の町はほぼ壊滅状態、死者の数も万単位に及ぶことが判明しはじめた。
 半月と蝋燭(ろうそく)の明かりだけを頼りに、自宅で過ごした夜、街の明かりが消えた夜空に、ひさしぶりに見る満天の星が出ていた。翌朝、海まで見通せる景色の中から、立ち入り禁止となっている海近くの町が忽然と消滅しているのを見て、私は憤然とした。そこには何人もの知人が暮らしている。遠目に、防潮林の松林だけがそのままに残っていた。
 余震が続く中、丘を歩いて下り、広瀬川の河原近くに住んでいる母を訪ねると、近くの市民センターヘ一時避難して、いったん家に戻ったところだった。避難所では、皆寒さを口にして毛布が少ないことを嘆き、食事はおにぎり1個を2人で分け、咳をしている人も目立ったという。途中の閉まっているガソリンスタンドでは、わずかな給油がいつ再開されるともしれないガソリンを求める人々が列をなしていた。翌日、さらに殺到する人々で避難所があふれ、母は私の家で過ごすことになったのだった。

目次に戻る

 ロ  ロ  ロ

 ベンは、地震に遭ってもパニックに陥らない日本人の印象を「Calm Chaos」という言葉に残して、14日に帰って行った。その後、原発事故の報道が盛んとなり、地震に遭う前の私は、アスベスト禍の取材のために、5年ぶりに尼崎を訪れて帰ってきたばかりだったのを遠いことのように思い出した。そしてまた、目に見えない汚染の被害が新たに広がりはじめた……。
 いま私たちは、"after Calm Chaos(冷静な混乱の後)にいる。

 さえき・かずみ
作家。1959年宮城県生まれ。主著に「ア・ルース・ボーイ」(三島賞)、「鉄塔家族」(大仏次郎賞)、「ノルゲ」(野間文芸賞)。仙台市在住。
(出典 日本経済新聞 2011.3.19)

2. 3月のトピックス
 3月の主なトピックスをご紹介します。
 2.1 小石川後楽園
  V Age Club大森では、春の行事として観梅を行っています。今年は、小石川後楽園でした。3月初旬は、まだかなり寒かったのですが、心配していた雨も降らず、まずまずの天気でした。JR飯田橋駅に集まり、少し歩いて後楽園に着きました。梅は庭の奧に50本くらい植えてあります。ところどころ改修工事中で丸月橋は見られませんでした。次に後楽園の東京ドームの東側にある野球体育博物館に寄りました。「野球殿堂」には野球に貢献した人々のレリーフがあります。ほかに野球の歴史やバット、ユニフォームなどが飾ってあります。しばらく見学したあと、近くのそばやで乾杯し、解散しました。
 2.2 広島旅行
  二人の姉、兄夫妻と我が家の6名で年に1回、旅行を楽しんでいます。今年は広島へ1泊2日の旅行でした。
 11日、10時に羽田をたち、昼頃ホテル(JR広島駅近く)に着きました。この日は原爆ドームを中心とする平和記念公園の観光です。爆心地の原爆ドームを見て記念写真を撮り、平和記念資料館の見学を始めた頃、熊本在住の長男から地震の第1報が入りました。東京との電話連絡がつかないまま、ホテルに戻ると東京で留守番をしている次男から、無事な旨の伝言がありました。
 12日は岩国の錦帯橋、宮島の厳島神社を訪れ、夜、羽田に戻りました。
 2.3 三月大歌舞伎
  上の姉に替わって、下の姉と新橋演舞場に歌舞伎を見に行きました。菊池寛作「恩讐(おんしゅう)の彼方に」「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」河竹黙阿弥作「御所五郎蔵」の3本です。先代萩は六世中村歌右衛門十年祭追善狂言です。出演は松緑、菊之助、魁春、梅玉、幸四郎などでした。先代萩以外は初見でした。

3 来月の予定
 3.1  ウオーキング・旅行
  今月の広島旅行を載せたいと思っています。
 3.2 趣 味
  「9 趣味」「5. 演劇」に、今月観た「歌舞伎 恩讐の彼方に」ほかを載せたいと思います。
 3.3 リンク集
  「興味あるリンク」を、少しずつ追加したいと思っています。

目次に戻る

改訂履歴とみんなの広場(バックナンバー)11に戻る

トップページに戻る

総目次に戻る

[Last Updated 4/30/2011]