「恩讐の彼方に」ほか

    目 次

1. はじめに
2. 演目と配役
3. 解説と見どころ
4. 新聞記事
5. 感 想

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1. はじめに
 2011年3月は、新橋演舞場に歌舞伎昼の部を見に行きました。演目は菊池寛作「恩讐(おんしゅう)の彼方に」「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」河竹黙阿弥作「御所五郎蔵」の3本で、先代萩は六世中村歌右衛門十年祭追善狂言です。役者としては松緑、菊之助、魁春、梅玉、幸四郎などです。先代萩以外は初見でした。

2. 演目と配役
   菊 池   寛 作
   野 口 達 二 補綴
   大 場 正 昭 演出
1) 恩讐の彼方に 3幕7場
中間市九郎、後に僧了海   松緑
中 川 実 之 助 染五郎
お       弓 菊之助
石工頭岩五郎 歌六

2) 六世中村歌右衛門10年祭追善狂言
  伽羅先代萩 1幕
     御    殿
     床    下
乳 人 政 岡    魁  春
八     汐 梅  玉
沖  の  井 福  助
澄  の  江 松  江
一 子 千 松 玉 太 郎
荒獅子男之助 歌  昇
松     島 東  蔵
仁 木 弾 正 幸 四 郎
栄  御  前 芝  翫

   河竹黙阿弥 作
3) 曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ) 2幕
    御所五郎蔵
御 所 五 郎 蔵   菊 五 郎
傾 城 皐 月 福  助
傾 城 逢 州 菊 之 助
甲 屋 女 房 芝  雀
星影土右衛門 吉右衛門

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3. 解説と見どころ
恩讐の彼方に
 菊池寛原作のこの作品は、大正8(1919)年に短編小説として発表されました。大分県の渓谷である耶馬渓(やばけい)の青の洞門の伝説を題材にしたこの作品は、翌年、菊池自身の手によって劇化され、帝国劇場で初演されました。その後、新国劇や文楽での上演を経て、歌舞伎では、昭和31(1956)年、中座で上演されました。今回は、昭和57(1982)年以来の久しぶりの上演となります。
 この物語は、前半と後半でふたつの世界が描かれています。前半の第1幕では、旗本中川家の中間市九郎と主人の妾お弓が不義密通をし、市九郎は主殺しをして、お弓と共に江戸から逃げ去ります。
 続く第2幕では、市九郎とお弓が木曽街道で茶店を営んでいますが、茶店とは表向きで、旅人を襲って盗みを働きながら、悪事に手を染めています。しかし市九郎は、段々と罪を重ねる内、その罪深さに悩み始めます。一方、お弓は悪びれる素振りも見せず、市九郎を煽って、罪を重ねていきます。この2幕では、罪に苦悩する市九郎と、強欲非道なお弓との対比が見どころになります。
 後半の3幕からは、舞台は耶馬渓となり、青の洞門伝説の世界となります。これまでの罪を懺悔する市九郎は、出家して了海と名を変え、罪滅ぼしに難所の岩盤を掘削しています。業悪な市九郎から罪を購(あがな)う了海への変容がしどころです。
 ここへ、かつて彼が手にかけた主人の息子実之助が父の仇討ちのために現れます。罪を認める了海は、素直に実之助に討たれようとしますが、岩盤掘削の石工や村の者たちが了海を守ります。本懐を遂げたい実之助と、討たれんとする了海、その間に村の者たちが入り、各々の思いが交錯します。
 実之助は自らの本懐を遂げるためには、了海の大願を成就させるのが先だと思い、共に岩盤掘削を手伝い始めます。岩盤を砕く内、実之助の仇討ちの心も溶け、いつしかふたりの心が通い合っていく姿が描かれます。『恩讐の彼方に』と作者によって込められた願いが、美しい結末となります。人間味溢れる物語をお楽しみ下さい。

伽羅先代萩
 『伽羅先代萩』は、江戸初期に伊達政宗を藩祖とする仙台藩で起こった御家騒動を題材としています。3代藩主綱宗は不行跡を理由に、幕府から隠居を命じられ、その後を継いだ亀千代(後の綱村)は、当時、3歳の幼子でした。そのため、後見役の伊達兵部や原田甲斐が御家横領を図り、これを老臣の伊達安芸、片倉小十郎が訴え、兵部たちの悪事が明らかになったのが、所謂、「伊達騒動」と呼ばれる事件で、多くの読本や浄瑠璃、芝居の題材となりました。中でも、奈河亀輔らの合作で、安永6(1777)年、大坂中の芝居で初演された『伽羅先代萩』、同7(1778)年に江戸中村座で初演された初世桜田治助の作品である『伊達競阿国戯場(だてくらべおくにかぶき)』、そして、天明5(1785)年、江戸の結城座で上演された『伽羅先代萩』などは、その代表的な作品です。そうした作品の影響を受け、現行の歌舞伎狂言としての『伽羅先代萩』の台本が確立しました。
 ちなみに、外題にある「伽羅」とは香木の名で、綱宗がこれを用いて作った下駄を履き、廓に通ったという巷説があり、また、「先代」は伊達藩の城下町の「仙台」、「萩」は奥州の代表的な花と、作者の機智に富んだ工夫が施されているものです。その作品の中、特に「御殿」「床下」の場面は、繰り返し上演を重ねています。
 「御殿」は我が子を嬲(なぶ)り殺されながらも、忠義を尽くす乳人政岡の苦衷を描き出します。その前半では、目の前で千松が嬲り殺される様子にじっと堪えながら、鶴千代を守る政岡の姿と、緊迫感漲(みなぎ)る場面が見どころとなります。次に後半では、忠義のため、我が子を犠牲にせざるを得なかった政岡の、母親としての悲しみを見せるクドキが最大の見せ場となります。
 そして「床下」では、荒獅子男之助の荒事、また、「面明(つらあか)り」を用いて、古風な雰囲気の漂う中、妖術を使って悠々と雲の中へ消えて行く仁木弾正の引っ込みが見どころです。
 六世歌右衛門が得意とした政岡。その悌(おもかげ)を偲ぶに相応しい義太夫狂言の名作をお楽しみ下さい。

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御所五郎蔵
 この作品は、『浅間嶽面影草紙(あさまがたけおもかげぞうし)』、その続編の『逢州執着讃(おうしゅうしゅうじくもりがたり)』という柳亭種彦の読本を基に、河竹黙阿弥が六幕の芝居に仕立て、元治元(1864)年2月、江戸市村座で初演されました。
 本名題を『曽我紡侠御所染』と言い、原作は「時鳥(ほととぎす)殺し」を中心とした前半と、「御所五郎蔵」 の物語の後半とで成立しており、当月上演の『御所五郎蔵』は、原作では5幕目に当たります。
 桜の花が満開の京五條坂仲之町を舞台にした「仲之町」では、星影土右衛門と侠客の御所五郎蔵の七五調の台詞が聞きどころであり、眼目となっています。場面は読本の設定と同様、京都の廓となっていますが、実際には江戸の新吉原であり、その風物を織り込んだふたりの渡り台詞にはじまり、五郎蔵の「抜き身の降ったその晩は、しかも5月の28日」は歌舞伎の名台詞のひとつとして知られています。また、五郎蔵と土右衛門の諍いを甲屋(かぶとや)の女房が間に入って止めるのは、『鞘当』の趣向を巧みに用いたもので、作者の技巧が発揮される場面。さらに、五郎蔵と土右衛門が、盃代わりに白扇を投げ合う場面は、歌舞伎の様式美に溢れています。
 次に「甲屋奥座敷」は、典型的な縁切りの場。皐月が心ならずも五郎蔵に愛想尽かしをする件が眼目となります。一方、皐月の心変わりに対し、怒りを増す五郎蔵の心理を、床几(しょうぎ)を使っての動きや、尺八をかざしての決まりで表すのは、歌舞伎の見事な演出のひとつと言えましょう。
 花道七三での五郎蔵の「晦日に月の出る廓も、闇があるから覚えていろ」は有名な台詞で、この名台詞の後の五郎蔵の花道の引っ込みは、その足捌きで怒りの激しさを表すとされています。続く「廓内夜更けの場」では、ゆったりとした古風な立廻りが見どころとなっています。
 見どころ、聞きどころ満載の、黙阿弥の名作をお楽しみ下さい。
(出典 新橋演舞場発行のプログラム[平成23年3月])

4. 新聞記事
「菊吉」、新橋演舞場で共演 吉右衛門「色気と憎さらしさと」 菊五郎「世話物の面白さ感じて」

 「三月大歌舞伎」が3月2日、東京・新橋演舞場で開幕する。「御所五郎蔵」と「浮舟」で、尾上菊五郎と中村吉右衛門が同劇場では久々の共演を果たす。また、六代目中村歌右衛門十年祭追善狂言として2演目が上演される。(小山内伸)
 昼の部、河竹黙阿弥作「御所五郎蔵」は、浅間家に仕えていた侠客の五郎蔵(菊五郎)と剣術師範の土右衛門(吉右衛門)との、元腰元皐月(さつき 福助)をめぐる駆け引きを描く。旧主の借金返済のために奔走する五郎蔵は金策を妻の皐月に頼む。そこへ土右衛門が来て、用立ての代わりに五郎蔵と別れろという。皐月に愛想づかしされた五郎蔵は怒りにまかせて殺しに走る。
 菊五郎は「出会いから縁切り、仕返しまで、一番いいところをやる。だんだん向かっ腹を立ててゆくそそっかしい男をいかに演じるか。世話物の面白さを感じていただけたら」と語る。
 土右衛門を32年ぶりにつとめる吉右衛門は「しどころは出会いの場面。五郎蔵にお客さんの同情が行くように敵役を演じないといけない。色気がなくてはならないし、憎らしいやつとも思わせないと」と話す。
 夜の部の「浮舟」は、浮舟(菊之助)をめぐ匂宮(におうのみや 吉右衛町)と薫大将(染五郎)の恋のさや当てを描く。「源氏物語」を基に、北條秀司が1953(昭和28年に吉右衛門劇団のために書いた作品。
 吉右衛門の匂宮は初役。「恋の狂おしさや執着心といった男の本性と共に、貴族の気品も出さないといけないのが課題。匂宮は、薫と浮舟の清々(すがすが)しい2人の愛情に割って入るので、2人がきれいだと思わせる役どころ。面白くて美しくて哀れでもの悲しいものが含まれている。それをきちんと観客に伝えたい」
 菊五郎は、匂宮に仕える時方を演じる。「悲劇の中の、狂言回しのような役です」
追善狂言に2演目
 歌右衛門追善は、昼の部の「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」と、夜の部の「吉原雀(すずめ)」。「伽羅先代萩」では六代目の養子、梅玉が八汐を、魁春が政岡を演じる。
 梅玉は「父が戦後の歌舞伎界を引っ張って今日の隆盛がある。八汐は好きな役。敵役なので発散できて気分がいい」。魁春は「追善ということで大役をやらせていただく。子への情、殿への忠義が的確に伝わった父の政岡の通りにやりたい」。
 ほかに、昼の部は「恩讐の彼方(おんしゅうのかなた)に」、夜の部は「水天宮利生(めぐみの)深川」。
(出典 朝日新聞 2011.2.23夕刊)

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5. 感 想
 「恩讐の彼方に」は初めて見ましたが、筋がよくできていて楽しめました。「伽羅先代萩」は前に見たことがあり、役者の演技を見る芝居だと思います。まま炊きの場面、舞台のせり上がり、ネズミの役割など面白く見ました。御所五郎蔵も初見ですが、今回の演目は、すべてが暗い内容だと思いました。

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[Last Updated 4/30/2011]