翔べないカナリアの唄

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    目 次
1. あらすじ
2. スタッフ
3. キャスト
4. 遅れてきたカナリア
5. 稽古場にて
6. 姿勢
7. 高橋広司

1. あらすじ
 1980年代の初め、北フランスの観光都市。日仏混血の娘美鈴は、この町で観光ガイドをしている。68年の五月革命に参加、その後何人かの男と同棲生活を繰り返してきた美鈴だが、政治にも恋愛にも幻滅し、今は束の間の性的快楽と酒に溺れる日々を送っていた。
 クリスマスイヴの夜、男と大喧嘩の末、泥酔した美鈴は、同じガイド仲間でホモセクシュアルの日本人青年紀夫に助けられる。二人の間には恋愛とも友愛とも違う感情が芽ばえ、奇妙な同棲生活が始まる。
 やがて、ある夏の夜、町のディスコで紀夫は、かって愛し合い、共に暮らしたハンスと再会する。ハンスの出現で、次第に崩れていく美鈴と紀夫の優しい関係。そして・・・・・・。

2. スタッフ
作        松永尚三
演出       松本祐子
装置       石井強司
照明       金 英秀
音響効果    斉藤美佐男
衣装       松本祐子
舞台監督    寺田 修
上演台本補訂 瀬戸口郁
演出補     森さゆ里
制作       日下忠男

3. キャスト
紀夫        沢田冬樹
美鈴        岡 寛恵
ハンス・レーデルマン 若松康弘
エミ子・レーデルマン 山本郁子
クレア・マリー     山本道子
ジャン・マリー     中川雅子
バーテン        高橋広司

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4. 遅れてきたカナリア                       松永尚三(作者)
 私が暮らしているスイスでは、2年くらい前からパックス法(PACS-pact civil dela solidarite−連帯市民条約)と呼ばれる同性のカツプルの法律的権利を認める法案の批准を求める議論が盛んになり、ジュネーヴに本拠を置く「ピンク・クロス」というゲイ・レズビアンの活動家グループがイニシャティヴをとって、今年の秋には国民投票にかかることになっている。
 メ・ソワサントユイット(68年五月革命)による性の解放以来、フランスやスイスをはじめとする多くの西欧諸国では正式な結婚をしていない男女の同棲カップルが急増し、こうした社会現象に伴って彼らや彼らの子供に対する法律上の保障は一般の結婚とほとんど変わらなくなっているが、同性のカップルの場合は何十年一緒に生活していようと何の保障も無いのである。養子を持つことは無論のこと、相続権も社会保障もなく、相手が外国人の場合は滞在権を申請することも出来ない。パートナーの突然の死に会いそれまで何年も暮らした住居を着のみ着のままで追われるようなケースも少なくなかった。
 これはしかし、カナダをはじめイギリス、北欧諸国、オランダ、ベルギーなどではずいぶん以前からすでに法制化され、ベルギーでは8年も前からレズビアンのカップルの人工受精による子供を持つことが認可されているそうである。
 スイスでは、この秋の国民投票の結果を待たなければどうなるか分からないが、マスコミから流れる世論は概ねパックスに好意的で、今年の6月にカトリックの州であるフライブルグで行なわれたゲイ・レズビアン・プライドのパレードではフライブルグ州選出の国会議員の応援演説があり、スイスで初の女性首相であるマダム・ドリフスからの応援メッセージも読み上げられた。私がはじめてスイスのバーゼルというライン川が中心を流れる小さな町で暮らし始めた70年代の終わり頃に比べると、まさに隔世の感がある。

 さて、私が『翔べない金糸雀の唄』を書いたのは今から15年近く以前のことである。
 その頃はじめて書いた別の戯曲が、商業演劇のある賞を貰って東京の大劇場で2ケ月に亙るロングラン公演で上演されていた。私は帰国の折りその公演を通して知り合った演劇関係の人に『金糸雀の唄』を見せたが、それはもう「箸にも棒にも掛からない」と言ったような扱いだった。私はがっかりしてもう誰にもこの作品を見せる気が無くなった。自分で読み返すのさえ、恥ずかしく思っていたものだ。
 ところがそれからしばらくしてスイスのローザンヌに本拠地を置くバレーのモーリス・ベジャール・カンパニーに所属していた日本人の演出家が、たまたまこの戯曲を読み、ぜひこれをフランス語にしてパリかローザンヌの劇場で上演したいと言ってきた。そして彼は専門家と共同でフランス語訳のテクストを作ると、プロデュースする人や主演の女優まで決めて私に紹介した。それももう5〜6年前のことである。結局フランス語版の『金糸雀』は経済的な理由でまだ実現してはいないが、私は彼らとこの戯曲について話をするうち、以前日本の演劇関係の人たちに言われたほど悪い作品ではないのではないかと密かに思うようになった。そして一昨年帰国の折りたまたま知った文学座の創作戯曲懸賞募集に応募してみたのである。そしてまたスイスに戻って1年が経ち、そんなことも忘れていた。だからある日ジュネーブの私のアパートに突然日本からの国際電話がかかって(こんなに長いこと海外生活を送っている、普段日本人社会とほとんど行き来の無い私のところに日本からの国際電話などめったにかかることはない!)文学座から入選の知らせを受けたとき、本当に奇跡のように思ったことを、今でも覚えている。
 日本の人たちの意識も、確かに変っているに違いない。日本にパックス法案が批准される日はまだまだ遠い未来のことだとしても‥‥‥。

 それはともかく、まだ飛び立つことはおろか囀ることも、羽づくろいも思うに任せないような雛鳥のまま文学座が引き受けてくれた私の『金糸雀』が、演出の松本祐子さんはじめ、台本の補綴をして下さった瀬戸口郁さん、そして素敵な文学座の俳優さんやスタッフの皆さんの愛情とやさしさに育まれ、11月の初日には六本木の空高く翔びたって、秋たけなわの清らかに澄んだ空気の中で、美しく囀ることを愉しみに期待している。
                (1999年9月)

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5. 稽古場にて                         松本祐子(演出)
  3月23日生まれ AB型(これまでの演出作品)
  「ビロクシー・ブルース」「ベント」「東京原子核クラブ」―以上、文学座勉強会/「ディア・ノーバディ」劇団うりんこ/「冬のひまわり」文学座アトリエ
 昔、私が好きだった芝居の中にこんな台詞がありました。「愛された記憶は?――NOTHING。愛した記憶は?―…………。」当時の私にはなんだかこの言葉がとっても痛いものでした。つきあっている人に「好きよ。」と囁いたり、キスをしたり、体に触ったり、セックスをするのはとっても簡単なのに、愛っていうのはなんでこんなにもメンドウクサク、オソロシイものなんでしょう。それがわかっている人々は、痛いものには触らないように「愛する」という非常に曖昧で、でも強烈な欲望の代償行為を日々探して生きています。でも時に、ついうっかり欲望にそそのかされ、傷つくのも忘れて、その愛ってやつに向かってダイブしちやつたりするのです。
 松永尚三氏が己の身体を、まるで鶴が恩返しをするごとく削って書いたであろう、この『翔べない金糸雀の唄』は、そんなメンドウクサイ愛ってやつに恥ずかしいぐらいに真摯に立ち向かってしまった困った作品です。単純に物理的なことで困っている訳ではありません。(もちろん、まったくないこともないけど。キワドイシーンが多いとか、いろんな人種が入り交じった設定だとか‥‥‥。)普通なら触ると痛いし、血も流れるのでそっとして置こうと誰もが避けて通る所に両足どころか首までつつこんじゃってる登場人物に、この劇世界に、私は困っているのです。愛について語る、これはまったく刺激的で、同時に苦しい作業ですが、この苦しい作業こそが今回の演出家としての仕事なのです。
 誰かを精神的にも肉体的にも愛したとします。そのこと自体を否定されたことは私にはありません。けれど、ゲイの人達にとっては私のようなヘテロセクシャルの人間には経験し得ない差別があったのだと思います。『BENT』というゲイを主人公にした作品の中でも名作中の名作がありますが、その中ではナチスによってゲイはピンクトライアングルを付けられ(ユダヤ人にたいして黄色い星を付けさせたように)強制収容所に送られてしまいます。初めてこの話を知った時は、そんな馬鹿なことがあるのかと心底驚いてしまいましたが、それはまぎれもない事実だったそうです。その後も国家レベルで差別が行われていたことはないとしても、(もし、あったのなら不勉強で知らないことをお許しください。)ゲイの人達がいわれのないイジメや暴力に晒されてきたことはまず間違いがないでしょう。ゲイムーブメントがある程度、社会的に認められてきた現在でも、男が男を愛すること、女が女を愛することは一種の病気だと考えている人も少なくないそうです。実際、芝居の世界でもゲイの役を演じることに過剰な拒否反応を示す役者もいます。もしかしたら、こんなことを書いている私も時代が違って、教育が違えばそういう偏った考え方を持つ人の一人だったかもしれません。
 だからこそ、この作品を創り上げるためにも、もう一度「愛」ってやつを考えなければならないのです。「あー、面倒くさい! もうやめたっ!」と、捨てる訳にはいかないのです。この作品の登場人物、紀夫、美鈴のように、彼等に血と肉と骨を与えるために、稽古場での高い高いハードルを、愛について考え、それを原動力にして飛び越えて行かなくっちゃならないのです。
 こんな風にごちやごちやと考えなから愛の闘魂魂(だましい)で創り上げた作品が、今あなたの目の前で始まろうとしています。傷だらけの登場人物たちが、あなたの欲望を刺激することが出来るようにと念じながら、今日も稽古場に向かいます。

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6. 姿勢          岡部耕大
 高橋広司は実直な人柄である。舞台には人柄が現れる。彼が実直に役に取り組む姿勢は 素晴らしい。寡黙であり、確実に役をこなす。人間に華がある。その華は飾り立てた華ではなく、素朴で武骨な華である。稽古場での高橋広司は身体いっぱいに言葉と想いを蓄えて、じっと出番を待っている。高橋広司がいる稽古場の隅っこはオーラで満ち溢れている。先般、ぼくの新作『がんばろう』で彼は荒木栄を演じた。労働作曲家の荒木栄である。それは、演じるというより荒木栄そのものが存在していた。荒木栄を知る人も知らない人も、荒木栄とはこういった人物であると納得させられる存在であった。彼の姿勢がそうさせるのである。
 ひとつふたつ、彼に書きたい本がある。どの役も凛とした姿勢が求められる役である。人間の幸せは出会いの幸せである。彼との出会いが、ぼくの創作意欲を刺激している。どうか、高橋広司さん、奢ることなくいつまでも実直な高橋広司でいてください。いま、日本の演劇界が求めているのは言葉を肉体で語ることの出来る人です。それは技術ではなく姿勢の問題です。  (劇作家)

7. 高橋広司
写真(高橋広司)
4月6日生まれ B型
(主な出演作品)
「がんばろう」空間演技/「NINAGAWA HAMLET」銀座セゾン劇場
出典 『翔べない金糸雀の唄』プログラム(文学座)

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[Last Updated 5/31/2001]