本の紹介 一葉の四季



森 まゆみ著

岩波新書

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  目 次

0.  本との出会い
1.  はじめに
2. 東京の人
3. 本の目次
4. あとがき
5. 著者紹介

0. 本との出会い
 V Ageクラブの「新書を読む会」で、この本を採り上げました。さらに、この本はNHKの週間ブックレビュー(2001.5.19NHK衛星11CH)でも採り上げられました。またV Ageクラブの仲間と「一葉の足跡を辿る」ウオーキングを行い、本郷と浅草を歩きました。
 本の構成が見開きで1テーマになっており、本の目次にもあるとおり、樋口一葉の人となりと作品の紹介、明治の東京歳時記、一葉をめぐる人々という三部構成で読みやすい構成になっています。この本を読んだあとで一葉の幾つかの作品を読むことが大切だと思います。

1.はじめに
 樋口一葉、名は奈津。なつ、夏子とも自著した。明治5年3月25日、内幸町にて、東京府庁に勤める樋口則義と母たきの次女に生まれる。14歳で中島歌子の歌塾萩の舎に学ぶ。本が好きで親孝行だった。父則義、長兄泉太郎に先だたれ、次兄虎之助は家を出、女相続戸主として母たきに仕え、妹くにを守り、女三人で転々とした。
 身長五尺足らず、髪はうすく、美人ではないが目に輝きがあった。きわめて小食、近眼、肩凝りで灸や揉療治に通った。洗濯、縫い物などの手内職にあけくれ、芝居へ行く余裕はなかったが、ときに寄席に通い、寺社に詣で、よく町を散歩した。
 士族の誇りを胸に、つつましく見えてときに大胆、心根はやさしくときに辛辣。女であることを嘆きつつ、ときに国を憂えた。小石川萩の舎において明治の最上層を、下谷竜泉寺の荒物雑貨屋経営で明治の最下層を見た。
 文学に志し、明治27年より「大つごもり」「たけくらぺ」「にごりえ」「十三夜」「われから」と次々に発表、奇跡の14ヵ月と評される。
 明治29年、11月23日、肺結核により本郷丸山福山町四番地で死去。享年満24歳。

2. 東京の人
 「一葉女史、樋口夏子君は東京の人なり」と、彼女の死後まもなく出た『校訂一葉全集』の巻頭に評論家、斎藤緑雨が置いている。緑雨は一葉晩年のもっとも親しい、そして緊張感もある友人であった。緑雨は一葉死後、妹のくに(邦子、国子とも)と親しくなり、姉の作品の保全と公開を依頼された。
 明治5年(1872)旧暦3月25日、樋口一葉は東京府第二大区一小区内幸町一番屋敷(現千代田区内幸町1-5-2)、東京府の構内長屋で生まれた。いまの日比谷シティの近くである。
この大区小区制は明治四年制定。父則義は当時、東京府少属という役人で、明治八年より士族となった。
 この年、太陰暦が太陽暦に切り替わり、12月3日を新暦明治6年1月1日とした。一葉の誕生日は新暦でいうと5月2日、初夏になる。
 しかし一葉は3月25目を誕生日として、この日、「今日はおのれが誕生の日なればとて魚などもとめていさゝかいわひごとす」(25年)、「我が誕生日なればとて赤のめしなどたく」(26年)などと日記に書きつけている。
 そして明治29年11月23日、本郷区丸山福山町四番地(現文京区西片1-17-8)の崖下の家で亡くなるまで、正味24年5カ月、九千日ほどの短い人生で、一葉が東京を出たのは、記録によればただの一度ではなかったろうか。明治25年9月26日、師中島歌子のお伴で埼玉の大宮公園に行った。「26日 晴天。早朝師君のもとを訪ふ。大宮公園に秋草を見むと誘はれて直に11時の汽車にて行く。3時の車にて帰る」。
 大宮は現在、東京の通勤圏であるが、森鴎外の「青年」にも見えるように、明治時代には上野駅から汽車に乗っての日帰りの行楽地であった。
 幼年期と18歳から、人生の重要な十年強は本郷で過ごされている。あとは成長期の八年半を下谷に、神田に一年ばかり、芝の兄の家に一年半、そして「たけくらベ」の舞台となった下谷区竜泉寺町にはたった九カ月………。ほんの少し、地上を這いずった感じである。その足跡を地図に落としてみると、江戸城を中心に半径数キロに収まってしまう。
しかも住んだのは城の北東。うしとらといって江戸城の鬼門除けに天海僧上は上野に東叡山寛永寺を築いたが、一葉の住んだのもその方角に当たる。明治11年に成立した旧15区のうちの下谷区、本郷区、その辺りを中心に一葉は生きた。これから日記を中心に一葉の言葉の美しさを味わい、その「ささやかなる天地」(26・5・27 括弧内の数字は日記に現れた明治の年月日を示す)を一葉と共にへめぐってみたい。

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3. 目 次
T 樋口一葉……………………………………………………………1
 −ささやかなる天地−
東京の人/甲斐国中萩原村/桜木の宿/吉川学校/青海学校/下谷時代/萩の舎/平民三人組/田辺花圃/谷中町の田中みの子/神田住い/芝西応寺町60番地/菊坂町70番地/平河町二丁目/万世橋/菊坂町69番地/三崎町松涛軒/竜泉寺町368番地/元すり横丁/真砂町32番地久佐賀義孝/上野桜木町丸茂病院/丸山福山町4番地/日暮らしのけむり

U 明治の東京歳時記……………………………………………51
元旦/薮入り/火事/初雪/寒中見舞い/文明開化/風邪/梅が香/発会/頭痛/キリスト教/ひなまつり/梅見のはしご/本妙寺の種痘/上野の図書館/伊勢屋がもとに走る/墨堤の桜/角海老楼の葬儀/春の雨/小石川植物園/わか竹/せみおもて/緋鯉と金魚/バラとマグノリア/人力車/郡司大尉と福島中佐/仕立物/茄子苗と梅/日枝の祭礼/化粧と髪型/日暮らしの里/原稿一枚30銭/暑気あたり/盆礼/竜泉寺の家さがし/土用の鰻/夕涼み/浴衣/小説気違い/酒/谷中の蛍/蓮見/風呂/蚊遣香/夏祭り/西洋傘/虫聞き/姉の出産/中秋の名月/彼岸の墓参り/上野ステーション/野分/なまけぐせ/ぶどうとお芋/待合/お茶の水橋/なども木萩の……/地震/紙と筆/菊の鉢/大根/酉の市/恋の手紙/日清戦争/赤穂浪士と芝居/鮭一尾到来/大つごもり

V 一葉をめぐる人びと……………………………………………187
その後の半井桃水/平田禿木/星野天知/馬場孤蝶/戸川秋骨/上田敏/島崎藤村/川上眉山/幸田露伴/森鴎外と三木竹二/斎藤緑雨

あとがき 210
(この本から広がる読書案内) 212

■一葉の小説・日記等の引用は『樋口一葉全集』(筑摩書房、1974〜94)を、一葉についての回想は『全集樋口一葉』別巻(小学館、1996)を底本とし、読みやすいょうに、一部表記を変更し、句読点・ふりがなを追加した。また、一部現代語になおして地の文としたところもある。なお、日記引用の末尾にある数字(26・8・3)は、明治26年8月3日からの引用であることを示す。

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4. あとがき
 樋口一葉にめぐりあったのは中学一年のとき。角川文庫に『一葉青春日記』と『一葉恋愛日記』が入っていて夢中になって読んだ。
 この紫式部以来の天才といわれる女性が、わが住む町のすぐ近く、本郷に住んでいたのは大きなめぐりあわせであった。私は半井桃水の住んだ西片町の誠之小学校に通い、丸山福山町に友だちがいて、菊坂辺でも遊んでいた。百年前に一葉が語る土地や起伏や橋を私はまざまざと感じとることができた。小説の方はかなりむずかしかったが、「にごりえ」「たけくらぺ」「十三夜」「大つごもり」と読みついだ。
 1984年に地域雑誌『谷中・根津・千駄木』をはじめ、町に生きた文人として一葉を再び研究的に読むことになり、本郷法真寺の一葉忌にほぼ毎年参加し、1990年、33号では一葉特集を組んだ。おなじころ、私は早稲田穴八幡神社の古書市で古い赤い筑摩書房版の全集を求め、読めば読むほど一葉が他人とは思えなくなった。
 1996年、一葉没後百年に、私は筑摩書房の求めに応じて『かしこ一葉−通俗書簡文を読む』を刊行した。これは一葉の作物中、言及され研究されることの少ない手紙の書き方の実用書『通俗書簡文』を狙上に、明治の季節感のある暮らし、生きる機微を描こうとしたが、な分、原文の引用が半分近くを占める。もう一度一葉について書きたい、と思っていたが、なかなかスタイルが決まらなかった。
 そのとき岩波新書編集部の平田賢一さんより岩波新書にとの申し出があり、私は大著とする企てを捨て、まだ一葉とそう出会ってはいない若い人びとに一葉のすばらしさを伝えたい、と念じて、私なりのささやかな発見も記し、この本ができあがった。
 見開き読み切りの工夫もし、日記については原文を損なわないかぎりで最小限句読点をおぎない、表記も変えて読みやすくしたところがある。引用部分を飛ばさずに読んでいただくため日記はなるたけ精髄を短く引いた。
 旧仮名に馴れることで私自身、享受できる文学世界が格段に広がった経験を持つ。どうか原文の美しさ、明治の季節を体に染ませて生きた一葉のかなしさを味わってほしい。        平成13年1月      森 まゆみ

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5. 著者紹介
森まゆみ
1954年女京に生まれる
1977年早稲田大学政経学部卒業
 現在−作家
 著書−『かしこ一葉』(筑摩書房)
    『鴎外の坂』(新潮社)
    『大正美人伝』(文芸春秋)
    『長生きも芸のうち』(ちくま文庫)
    『明治東京畸人伝』(新潮文庫)ほか

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[Last updated 10/31/2001]