産業としてのJポップ2001年から03年にかけてリバイバルが大流行したのは、レコード会社のコンテンツ不足による、と説明しているのが宇賀陽弘道『Jポップとは何か』だ。 80年代の後半に音楽のデジタル化がすすみ、91年にはCD制作のコストダウンにより510組もの歌手・バンドがデビューした。それから98年までが音楽のバブル期で、CMやドラマとのタイアップがはやる。その末期に登場したのが宇多田ヒカルだ。たんに売れただけでなく、それまでの不快な音楽を一掃してくれた。 99年に突然CDが売れなくなり、低落はその後もつづく。ネットの普及ばかりでなく、曲作りにおける自己規制やテレビに頼ったきた結果でもある。 今の状況を脱するには、「タイアップなどなくとも、人々の心に響く歌をつくろう」というのが宇賀陽の結論だ。そのためにもJポップ産業界にとって近代化が必要であると。78年にはじまった「ザ・ベストテン」は競争原理に基づく革新的な番組であり、そういう実力主義の象徴がサザンオールスターズであると位置づけている。 こうしてふりかえってみると、レコードからCDへ移行し、「ザ・ベストテン」の視聴率が低迷した時が、私にとっての暗黒時代のはじまりだった。そして宇多田ヒカルの登場によりやっと暗いトンネルを抜けた。 彼女の魅力は、その声にある。ときに息苦しさを感じることはあっても、歌のうまいMISIAにはない安らぎをおぼえる。その声質は日本人向きのような気がする。 売り上げとしては、CDから通信カラオケへ、そして着メロへと軸足を移している。だが、あいかわらずJポップは国内だけで消費されている。「海外でも受容されるインターナショナルなポピュラー音楽」というのは、Jポップのファンタジーだと著者は語る。日本のポピュラー音楽はローカルなものだっていいではないか。そんなファンタジーにすがらなくとも。 海外で消費される音楽の大半はアニメのテーマソングや挿入歌で、03年度1位の「ボケットモンスターBGM」は海外からの送金の7割を占める。Jポップは、まだ「おしん」や「ポケモン」にはるかに及ばない。 04年の宇多田ヒカルの全米デビューは、PUFFYよりも売れないだろうと予測した。残念ながら、的中してしまった。PUFFYは今もコンスタントに外貨を稼いでる。
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