時をかける少女



何度もリメイクされている「時をかける少女」が23年ぶりのリバイバル。じっくりと見くらべた。

映画版(1983)は、吉山くんが原田知世、深町くんが高柳良一。2人ともへたな演技なのに、吾郎ちゃん役の尾美としのりはベテラン子役の風格さえ感じる。学校の先生に岸部一徳と根岸季衣の中堅を、深町くんの祖父母に上原謙と入江たか子という往年のスターを配し、大林宣彦らしいドラキュラ映画タッチの作品に仕上がっている。

大林作品としては「転校生」の方が、角川映画としては薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」の方がずっといい。

笑う大天使とは反対に、まるで中学生にしか見えない原田知世が高2の役を演じる。ラストシーンは、大学院生になった吉山くんが廊下を歩く後姿で終わる。大人の女性を演じているわけだ。

その後、エンディングで歌うカットがたくさん出てきて、下駄をはいた原田知世がカメラの前まで走ってきておしまい。その姿は、まだあどけなさの残る中学生だった。このコントラストは、中年のおじさん監督のいたずらだな。この年、原田知世は爆発的な人気を博し、アイドルの地位を不動のものとした。

アニメ版(2006)は、いかにも今風の高校生向けの設定とセリフ。原作とは関係のない別作品だ。主役の3人がキャッチボールをやりながらおしゃべりしたり、微妙な三角関係だったり、完全に「タッチ」を踏襲している。タイムリープを自在に使えるところや、その使い方のお気楽さが、現代っ子に受けるのかもしれない。

自然で流れるようなセリフ回しが、奥寺佐渡子の脚本の良さだ。美術館で絵の修復をやっているおばさんの仕事部屋での演出もいい。見るものに、さりげなく23年後の芳山和子ではないかと思わせ、しかも写真に写る男子高校生の顔を花で隠して見えないようにしている。

ストーリーは、こんなものかというあきらめが先にたつ。女の子の成長の物語としても、今の子にとってはこの程度にとどめた方が現実離れしなくていいのかもしれない。ちょうど児童文学を読んでものたりないときと同じ感覚を味わった。

それはともかく映像はよくできているので、マニアの解説を聞いてみたい。きっと私の気づかないしかけがあるはずだ。

筒井康隆の原作を最初に映像化したのが、テレビ版「タイムトラベラー」(1972)。ラベンダーの香りをかぐたびに、記憶はないのになつかしい感じがするというラストシーンには、余韻があった。ずいぶん後になるまで、ラベンダーがどういう花か知らなかったので、よけいにそそられたのだと思う。

作品としての完成度が低くても、どこか強くひかれるところがあれば印象に残る作品となる。テレビ版が香りの「なつかしさ」、映画版が主役の「かわいらしさ」なら、アニメ版は淡い恋の「甘酸っぱさ」なのかな。

(2007-07-25)

すっかり忘れていたが、内田有紀主演のドラマ(1994)もあった。

深町くんが袴田吉彦で、吾朗ちゃんが河相我聞。脚本は君塚良一なのに、まったく印象に残っていない。いちばん強烈な光を放っていたのが、芳山和子の妹役の安室奈美恵だ。我が家ではひどく評判が悪くて、のちに歌手として売り出してからも、あいかわらず評判の悪いままだった。その他に、当時浜崎あゆみとはりあっていた鈴木蘭々とか、「エコエコアザラク」(1995)出演以前の菅野美穂も出ていた。

(2009-08-12)