川上未映子のテレビデビュー



「僕らの音楽」で宮本浩次(エレファントカシマシ)は、今一番会いたい人として川上未映子を指名した。きっかけは未映子の芥川賞の受賞。

宮本はやけに芝居がかった人だ。これじゃあ武田鉄矢だよ、と思いつつ見る。ところが未映子に小説を書かないのか聞かれると、雑誌に書いた経験もあるけど、自分の歌を直接観客に届けるほうがいいとの答え。桑田佳祐がストレートな歌詞を嫌うあまり、丸めすぎて捨ててしまったものを、武田は持っている。そう感じた。

10代のころは、レッド・ツエッペリンの音楽に太宰の詩をのせて、みたいなものをねらっていた。自宅には、太宰、馬琴、荷風など5000冊もの蔵書がある。ヒット曲が出るまで、月給8万円だった。なけなしのお金で文庫本を買って読んだのだろう。番組の中で歌った「今宵の月のように」は、ドラマの主題曲なので知ってた。

対談は90分もやったというのに、放送されたのはほんの一部。もっと未映子の話が聞きたかった。まともに映像で見たのははじめてだけど、出版社は山田詠美路線で売り出そうとしているようだ。

人の話をじっくり聴けて、ストレートに質問できる。うらやましいほどにナチュラルな人だ。女マンガ家にいるようなお姫様症候群とは無縁。

「ユリイカ」で不思議な詩を書いて、やけに目立っていた。彼女のブログを読んでみると、私好みの文章がちらほら。気がついてみると、いつの間にか作家になっていた。

デビュー作の『わたくし率 イン 歯ー、または世界』は、文体にはばまれ読めなかったので、受賞作『乳と卵』が読めるかどうかわからない。だが、彼女の書く短文はいい。今のところ、ページをめくって読みたくはない。

受賞後、雑誌への露出が増えたので、いろいろわかった。

小さいころ、本のない環境で育った。国語の教科書で気に入った作品に出会ったら、その人の作品をたくさん読んだ。もともと文学志向だったのだな。私も同じことをやったことがあるけど、中島敦『山月記』だけだ。

いちばん影響を受けたのが、樋口一葉の『たけくらべ』。読解の手がかりとしたのがマンガだという。私の考えた導入法を実践した人がいたとは驚きだ。一葉を手本にして作品を書き、しかもそれが評価されたのは、彼女がはじめてではないか。

考えることが癖になっているようで、高校を卒業後アルバイトをしながら、通信教育で哲学を学んだ。池田晶子や永井均の本を好む。弟の学費を捻出するために、昼は本屋でスリップの整理、夜はホステス、休日は哲学の勉強やバンド活動。とても忙しかった。本屋では、みすず書房の棚を担当したかったというのだから、本格派。私なら、せいぜい筑摩書房か平凡社までだな。

ブログをはじめてから、執筆の場を確保すべく営業活動にいそしんだ。編集者に電話をかけたり、名刺を配ったり。ホステス時代に身につけた能力が活きた。歯科医院でアルバイトした経験も、作品に盛り込めた。やはり「30歳を過ぎてから頭はよくなる」のは本当のようだ。いろんなものがつながってくる時期なのだろう。

永井均は「マンガと言う形でしか表現できない哲学的問題があるのではないか」と書いていたが、詩や小説でしか表現できないそれもあるだろう。未映子は、たぶんそこをめざしている。

昔の人は、デカンショで半年、あとの半年は寝て暮らした。万年床に入って、濫読していたのだろう。ライブ活動をベースにして、1年1作くらいのペースで書く。そんなゆったりとした作家がいてもいいのではないかな。

4月からは、永井先生の講義を受けるそうだ。授業で考えたことをブログに書いてくれたら、うれしいなあ。そうすれば、私も間接的な弟子になれる。

(2008-02-17)