20世紀の総決算



 20世紀をしめくるのにふさわしい本は、『エコロジー神話の功罪』である。

1.著者がやり玉にあげるのは、リサイクル運動であり、自然エネルギーであり、原子力発電である。それだけではなく、地球の危機という見当違いの脅迫を「エコファシズム」であると断じている。第1章から第3章までを読むと、人間がいかにだまされやすい動物であるかを痛感させられる。

 それから反対運動をするために、戦術を使うことを厳しく批判している。戦術とは、たとえば原発に反対するために、太陽光発電を持ち出すことがその一例である。

2.それではどうしたらよいのか? 槌田敦は、生命や環境が維持される6つの条件と社会活動を維持できる条件をあわせた7つの条件について、図解しながら説明している。人間社会も物理法則で動くエンジンであり、商業こそが社会活動の柱であり、人口の限界は食料で決まる。これら7つの条件を満足する社会の実例は、巨大な物流社会であった江戸文明である。

 この4章と5章が、本書の骨子である。この本は人間そのもの、人間を成立させている地球、人間が集まってできる社会の仕組み、これらに共通する原理がテーマである。それは個人の恣意や宗教的な教義に左右されない、20世紀の科学により解明された原理である。この7つの条件を理解できるかどうかが、現代人の理性のリトマス試験紙になるかもしれない。

3.江戸についてはもう室田武などの環境論の好きな人たちによって語り尽くされている。目新しいのは、第7章「自由貿易が世界を砂漠にする」である。
貿易の自由とは、自由貿易でいうような「売り込みの自由」ではなくて、「買う、買わないの自由」でなければ不公正です。輸出を伸ばすためにできることは、普通の商店と同じです。できるだけ魅力のある商品を開発して、相手の購買欲をそそることだけです。暴力的に規制を取りはずさせたり、関税率を引き下げさせたり、しかも補助金をつけてダンピングすることではないのです。
 日本はむりやり米の自由化を迫られた。そのときに添加物や農薬の規制までゆるめてしまった。米自由化反対を主張した人たちは、米というひとつの食品にこだわって、一番大切な国民の健康を放棄してしまった。貿易交渉において、米を譲歩してでも守らなければならなかったのに。
予想される人類最大の困難は、自由貿易による世界的な農地の破壊ということになります。やがて、食糧危機から、地球規模の飢餓問題が発生する恐れがあるのです。これに対処する方法は、すべての国での食糧の自給しかありません。
 農水省も、持続可能な農業への転換を主張しはじめた。しかし、日本の自給率はあいかわらず低いままだ。

 もし日本の給与水準を下げれば、エンゲル係数が高くなり、社会に落ち着きが戻ってくるはずだ。しかし、それでちまちました生活を強いられるわけではない。
豊かな生活というのは、豊かな自然の循環の能力の範囲での生活ですから、ケチケチ暮らすことではないのです。人間の廃棄物が自然にとって資源であるような生活です。つまり、使い捨てのできる生活こそが正しいのです。使い捨てが問題になるのは、使い捨てられない廃棄物を発生させたことがいけなかったのです。
 使い捨てにできない塩化ビニルや重金属を使わなければ、より快適に消費社会を満喫できる。最近増えている化学物質過敏症の人は、現代のカナリヤなのかもしれない。

 これからも新しい技術や素材が開発されるだろう。そして科学技術は人類にとって必要不可欠だ。でもそれは7つの条件を満たし、自然の循環を豊かにする科学技術でなければならない。

4.この本にも弱点はある、それは7つめの条件「需要と供給の関係による社会の物質循環」である。江戸時代にくらべて経済が高度に発達してしまったために、現代社会はヘッジファンドなどのお荷物を抱えるようになった。その結果、需要と供給で価格が決まらなくなってしまったのだ。

 もう一つたりないものがある。それは美意識という人々の間で共有しにくいものである。ゴミを平気で路上に捨ててしまう感覚、街をうすよごれた看板で満たしてしまう感覚。これらは、ぼさぼさ頭やトレパン姿とは違うレベルのものだ。
  • エコロジー神話の功罪 サルとして感じ、人として歩め 槌田敦 ほたる出版 星雲社(発売) 1998 NDC519 \1800+tax
(2000-12-30)