エコロジー思想を越えてちょっと環境問題の歴史を振り返ってみよう。 まずレイチェル・カーソンが『沈黙の春』(1962)を書いて石を投げた。日本では、有吉佐和子の『複合汚染』(1974)の連載により公害問題が社会的に認知された。一方ローマクラブから「成長の限界」が発表されたのが、1972年である。このレポートは先進諸国のやらせだという説もあるが、とにかくこの時から環境問題が政治の道具になった。それを如実に示したのがオイルショック(1973年)である。 またレスター・ブラウンが民間のシンクタンク「ワールドウォッチ」を設立し(1975年)、年次報告書「地球白書」を毎年刊行している。その設立資金を提供したのが、ロックフェラー財団。このあたりがアメリカ資本主義の懐の深さだろうか。マッチポンプと言われようが、社会的に必要な金はきっちり出す。ともかく70年代の前半には、スモール・イズ・ビューティフルというフレーズとともに、エコロジー思想が世界を駆け巡った。 しかし80年代は世界的な経済競争の中でみな知らん顔を決め込んでしまった。いよいよ終末が近くなったのが、90年代といえよう。日本では「環境にやさしい」なんて気持ち悪い標語がはやってしまった。そんな流れの中から、『環境保護運動はどこが間違っているのか?』という本も出版された。マンガ『寄生獣』の結末が変わったのも、その影響である。そしてついにはコルボーン『奪われし未来』(1996)が出版された。この本により種としての生物の危機が具体的に示されたのだ。 これから先を考えたときに、一番の問題は人口爆発だ。それに伴って食糧とエネルギーの不足が生じる。その他にもオゾン層の破壊、酸性雨、二酸化炭素の増加など地球規模で対処しなければならない問題が生まれてくる。この時にあまり根拠のない予測値を振り回してもしかたがない。 処方のヒントになるのが、レンタルの思想と総量規制だ。 総量規制は、京都会議における二酸化炭素の削減や、自動車の排気ガスの規制などのように、先に目標値を決めてしまえば、企業は何とかそれをクリアしようとして努力する。知恵を寄せ合えば、実現可能だと思う。
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