寄生の現代的な意味とは岩明均の『寄生獣』をやっと全巻読み終えた。印象はひとことで言ってグロテスク、しかし内容はすばらしかった。この作品は主人公が高校生でも高校生マンガとは言えない。人間ドラマを越えて生物ドラマになっている。世間での評判も上々らしく、「人気マンガランキング100」では2位に入っている。多数派と意見が合うのは、ドラマ「踊る大捜査線」以来だ。 あとがきで作者が書いているように、「ガラスの仮面」のように環境問題にはまりすぎていないのがいい。エコロジーのうそ臭さに気づいている。きっとバランス感覚がいいのだろう。いや、もしかするとただのへそ曲がりかも。 「なぜわたしは生まれてきた?」なんていう問いを、寄生生物にしゃべらせるマンガがこれまでにあっただろうか。そしてついには寄生生物から見て人間は寄生獣であると断罪されてしまう。この作品では、さまざまな愛が描かれている。両親に対する愛情、ガールフレンドに対する愛情、そして世話になったばあさんへの親愛の情など。ラストでは、寄生生物の食料となってしまう人を救おうとする。でもこれを、単純に人類愛とは呼べない。 寄生虫という言葉のイメージもだいぶ変わってきた。お前は社会の寄生虫だ、なんて言われたら一昔前なら悪口だった。しかし最近ではほめ言葉になりつつある。この件に関しては藤田先生の功績大である。できれば私もカイチュウの一匹くらい飼ってみたいものだ。いやもうすでにいるのかもしれない。ときどき腹の虫がおさまらないことがあるから。 『寄生獣』は、映画「ET」をはるかにしのぐ質を持っている。何十億円もかけた大作よりも、たったひとりでこつこつ描いたこの作品のほうができがいいとは、なんという皮肉。「夢の屋」さんの言う通りぜひハリウッド映画にしてほしいものだ。 また佐倉統は、マンガ評論として進化論的「寄生獣」論を展開している。生命に興味のある人はどうぞ。
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