理科の時代



 『科学の現在を問う』という小冊子を手にして、読むかどうか迷った。タイトルを見ただけで、いまはやりの話題が並んでいるだけだと思ったからだ。結果は読んで正解。現代科学技術と医療、情報、倫理、教育との関わりについて総合的に見直すのにちょうどよかった。この本は、中年女性に人気のある村上陽一郎が、研究休暇を利用して書きあげたものである。

 1999年の3点セットを取り上げ、安全神話の崩壊ついて語る。
3点とは、東海村の核燃料製造会社JCOで起こったいわゆる臨界事故だった。第2は、相次いで起きたJRの新幹線のトンネル・コンクリート壁の剥落事故である。第3は、永年努力と資金とを費やしてきた、そしてある程度の定評もできかけていたH2ロケットを使った発射実験の失敗であった。
 いま原子力技術は、もっとも人気のない分野になってしまい、人材の確保もむつかしい状況らしい。村上氏の指摘するように、これでは原子力発電所のメンテナンスがしっかりできるかどうか心配だ。もし日本が今後原子力発電所から撤退するにしても、核廃棄物の扱いや稼働中の発電所の安全性の確保などやるべきことはいくらでもある。

 医療問題では、脳死と臓器移植、クローン技術、ES細胞、着床前診断、余剰胚などを取り上げている。
亡くなった人の遺体を、この臓器はあちら、この臓器はこちら、という具合に、よってたかって、「ハイエナのように」食らいわける。餓鬼道かカニバリズムさながらのように感じた人も少なくなかったようだ。私もその一人である。(中略)とくに「利用しなければもったいない」という小賢しい理屈が、その「浅ましい」という感覚を増幅する。その淵源するところは、結局、遺体を「利用」できるもの、とする考えに帰着する。
 この分野は、日進月歩なので知らない話題も多かった。第3章だけでも多くの人に読んでほしい。

 最後に著者は、理科教育の必要性を訴える。
理科教育とは単に、物理学や地球科学の学理を身につけさせるためのものではなく、科学・技術と人間・社会との関係に関してしっかりした洞察の力をつけさせるとが、大切になってくる。そのなかで、物理学や分子生物学や、あるいは工学が正確にどのようなものであるのか、という理解もまた必要な要素となるのである。
 これだけ広いテーマを1冊にまとめるのだから、どれも中途半端にならざるを得ない。でも忙しい現代人には、コンパクトにまとまっていて便利だ。講談社現代新書というシリーズの特色がよくあらわれた本である。各章に参考文献をつけてくれたら、学力低下が懸念される学生たちにとっても格好のテキストになるに違いない。でも今の大学生で、この本が理解できる人はどのくらいいるのだろうか?
(2000-12-01)