世代論よ、さようなら



『橋本治と内田樹』は、間をおいて2度読んだ。最初は後半が気になったが、2度目は前半が気になった。付箋を貼るところがたくさんあるので、途中で貼るのをやめた。感想も書ききれない。

2回の対談をまとめた本を出版するのに、3年もかかっている。ずいぶんと待たされた。内田は聞き役に徹することで、自分を安全な場に置いている。高橋源一郎なら、まともに対談しようとして腰が引けてしまう。内田の老獪さ。

ほぼ同世代なのに、二人の違いは大きい。橋本から見れば、東大の入試中止後に入学した内田世代は、顔がぼうや。年が近いと、違いが気になるのだろう。

「ああ、そっちか」。橋本も私もこっち、内田はそっち。

「50年代は江戸時代の尻尾」。橋本たち団塊の世代は、父親が軍隊にとられ、血なまぐさい体験をしている。戦場に出なかった人も、内務班で身につけた暴力をもちかえった。そんな家庭で第一子として生まれた彼らは、戦後の民主主義の世の中に育ちながらも、戦前の文化をひきづっている。あとの世代から見ると、粗暴な印象をぬぐえない。そこに橋本がいれば、浮きまくっていたはず。

昭和27年生まれは団塊世代の尻尾。31年生まれからは戦後を知らない黄金の世代だ。基点ははっきりしているのだが、終点がわからない。地域性もあるだろうし。35年生まれを頂点にして、どこかで何かがおかしくなっていく。あの事件で、私の中の昭和が終わった。漠然とした不安感。芥川じゃあるまいし。

世代論をふりまわすのは、教養を疑われかねない。しかし職場でも地域でも、役割を期待される。30過ぎたら、世代論を引き受ける覚悟が必要だろう。
  • 橋本治と内田樹 橋本治 内田樹 筑摩書房 2008

(2009-12-24)