非暴力の難しさ



 村上龍が教育問題を語ると、彼のおっちょこちょいさがもろに出てしまう。まるで自分を見ているようで、気持ちが落ち着かなくなる。しかし『「教育の崩壊」という嘘』は、なかなか良い企画だと思う。5つの対談を読んで、小川洋氏の指摘が印象に残った。

 今や公立高校の3割は、底辺校と呼ばれる学校だという。そこに通う生徒は「私、ばかだからさ」が口癖で、友だちからは「お前の学校、偏差値48だよな」といわれ、まったくプライドを持てないでいる。しかもそういう学校では、年間10万円ほどの授業料が払えない家庭が少なからずあるそうだ。
でも明らかに階層の再生産が始まっていると思います。それが社会的な公正さとか公平さとかにもとるという理解そのものが、教育行政の担当者にも、マスコミにもないのです。
 昔横浜で起こった浮浪者襲撃事件(当時の呼び方)の話を聞いたきは、とてもショックをうけた。これが私にとって潮目だったように思う。それ以来どんなひどい事件を耳にしても、やっぱりなと思うばかりだ。そして階層の再生産が始まったのなら、もはやこの流れを押しとどめることはできないだろう。

 日本の一歩先を行くアメリカの状況はどうだろうか。フォト・ドキュメンタリー『学校で殺される子供たち』では、アメリカの教育現場における学校と親の10の試みを伝えている。
道徳教育、監視する学校、天才児教育、公立女子高、制服復活、アジア系コミュニティーで過熱する塾事情、青少年専用シェルター、虐待される子供たちのための育ての親制度、落ちこぼれを再生させるオルタナティブ・スクール、在宅教育。
 オルタナティブ・スクールという言葉のニュアンスが、日本とは少し違うようだ。不良が更正する収容所の側面も持つらしい。いずれにしても、日本がアメリカと同じ道をたどらないことを願うばかりだ。
(2002-03-03)
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