節目の年赤木智弘『若者を見殺しにする国』は、金と仕事をよこせと大声で叫ぶ絶叫本だ。本書ができるまでの経緯は、本文にたっぷりと書かれている。 著者は、1975年生まれの32歳フリーター。1995年の阪神大震災のときには20歳だった。 あのときボランティアとして駆けつけた若者を見て、宿も確保せずに、とくに役立つ技術を持っているわけでもないのに、想いだけで突っ走って、アホな子たちだなあと思った。と同時に、日本にもまだこういう感受性と行動力をもっている若者たちがいるのだと感心した。 それまでの私は、日本はもうダメだとさじを投げていた。だがテレビに映し出される彼らを見て、思慮には欠けるけど、君たちと運命を共にしてもいいと思った。日本はこのまま沈没するかもしれないけど、そのときは一緒に沈もうと。 赤木さんがその中にいたかどうかは知らない。しかし、同じ世代の人がこんなに悲観的な文章を書くとは思わなかった。このままいけば、世をすねて何かしでかす若者が出てくるなとは思っていたけど、平等を実現するために戦争を欲する意見は予想外だった。 考えてみれば、戦前も似たような時代だったのかもしれない。違いは、現代がポストバブル世代という一部の人につけが回されていること、むかしは農民が多かったので移民できたこと。政府がそれを奨励し、農民たちは希望を抱いて、南米や満洲へと渡って行った。 なかには徴農せよと主張する代議士もいる。それなら、いっそのこと徴兵してしまえというのが赤木説。 文章を読んでいて不思議に思うのは、右だの左だのが乱発されることだ。団塊の世代なら、青春時代を冷戦という環境下ですごしたので、そういう固定した枠から抜け出せなくても、まあしかたがない。しかし、75年生まれの人がなんでそんな発想にとらわれてしまったのか。その辺がもやっとしているので、フリーターという弱者を振り回し、けっきょく時代錯誤の論壇誌の中でごちゃごちゃやっているようにしか思えない。 この本をポストバブル世代のフリーターたちが読んでいるのだろうか? 私にとって、貴重な発見があった。 1982年はあみんの「待つわ」がヒットした年だ。84年はもうバブルの前奏がはじまっていた。ところが83年がどちらに近いのか、よく覚えていない。この本を読んでその答えがわかった。堀井憲一郎によれば、1983年は若者からの搾取のはじまりの年だった。 そしてそれは同時に、若者から金をまきあげようと、日本の社会が動き出す時期でもある。「若者」というカテゴリーを社会が認め、そこに資本を投じ、その資本を回収するために「若者はこうするべきだ」という情報を流し、若い人の行動を誘導しはじめる時期なのである。(p48)このときに時代の顔となり活躍したのが、糸井重里だ。 84年には宮崎駿「風の谷のナウシカ」が公開され、Macintoshが発売された。83年は、テレビや歌謡曲の勢いがなくなり、アニメやパソコンの時代が準備された年だった。 さて、赤木さんは結婚願望がとても強いようだ。フリーターを応援してくれる女性もいる。本書を書いたことで、出会いのチャンスも増えるだろう。よき伴侶とめぐりあえますように。
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