Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第125夜

方言は豊かか




 『大辞林 (初版)』(1989、三省堂) によれば、「豊か」とは、
(1) (好ましい事物が) 十分に備わって不足のないさま。豊富。
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(2) 財物が十分あって恵まれているさま。富裕。
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(3) 精神的にこせこせせず、ゆとりのあるさま。おおらかなさま。
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(4) 肉付きがよいさま。豊満。
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(5) 身長を表す語に付いて、基準・限度を超えて十分にあるさま、余りのあるさ
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 まを表す。
 ということだ。
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 「方言の持つ豊かな表現力」と言った場合、(2)(4)(5) は関係ないとして、(1) か (3) に
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なるのであろう。
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 ここで白状しておくが、「豊か」とは「必要な分を越えている」という意味だと思っていた。
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十分」という意味だとは知らなかった。
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 であれば、方言は豊かなんである。我々は方言を使って生活してきたのだから不足
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があろう筈がない



 以前、「はまなす」の話をした。本来は「浜梨」なのだが、自生地が東北地方であるた
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めに、東北訛りの形がそのまま取り入れられてしまったいう話である。
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 改めて考えてみると、じゃ「浜梨」という漢字を当てたのは誰だ、とかいう疑問も湧い
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てくるのだが、辞書にも書いてあるし、まぁ本当の話だということにしておく。
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 東北訛りが取り入れられたのは、他の地域になかったからだ。つまり、必要とされてい
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なかったわけだ。「はまなす」が生活にかかわっていない地域の人にとっては、彼らの方
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言は「豊か」だったのである。だから、これをもって「東北弁の豊かさ」の証拠とするのは
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間違いだ。


 敬語の話。待遇表現と言った方が正確かもしれない。
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 「敬語」と言うと、なんか目上の人に使う言葉に限られてしまう感じがするが、「待遇
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表現」であれば、「待遇」という位だから、相手に応じて使い分けること全般を指すこと
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ができる。敬意を欠いた表現も扱えるわけだ。
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 例えば、誰かに迷惑を被った場合になんと言うか。大阪ではこんな感じの言葉が口
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をついて出ると思う:「そんなこと してもろたら かないまへんなー
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 「してもろたら」は「してもらったら」、「かないまへんなー」は「かないませんなぁ」だ。自
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分が被害者であっても「貰う」のであり、「敵わない」なのである。「ちょっと待て」の
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ちょっと待ったらんかい」も「待ってやれ」で、同じことが言える。
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 秋田ではこんな表現はあり得ない。「してもらう」自体は使われるが、「敵わない」は
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秋田弁の語彙ではない。
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 いや、問題はそこではない。自分が被害者になったときに「貰う」なんて言わないので
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ある。「する」を受身にするのがせいぜいだから、「そんたごど さいれば 困るすな」あ
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たりが最も近い。しかも、これはかなり抑えた表現である。制御可能な怒りであるとか遠
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慮するべき相手であるとかの事情が考えられ、「口をついて出る」表現ではない。つまり
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そんなこと してもろたら かないまへんなー」に相当する表現は、秋田にはないのだ。
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 待遇表現は、異質な人とのコミュニケーションが頻発する都市部で発達する。京都・大
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阪・江戸(東京)と秋田の差がここにある。
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 さて、豊かなのはどっちか。繰り返しになるが、京都の人も大阪の人も江戸の人も秋田
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の人もそういう言語で暮らしてきたのだから、不足はない。どれも「豊か」なんである。


 つまり「方言は豊か」という表現自体が無意味なわけだ。では何故、こういう言い
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回しが好んで使われるのか。
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 まず考えられるのが、皆が、俺と同じように「豊か」は「必要量よりも多い」という意
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味だと勘違いしている、ということ。であれば、「はまなす」という単語の存在を、東北
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弁が他方言に比べて「豊か」であることの証拠と見なすのも理解できる(尤も、「豊か
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なのは文物であって言葉そのものではない)。
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 もう一つは、標準語を基準にして、別に劣っているわけじゃないんだよ、という意味で
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豊か」と言っている可能性。だとすれば、まぁ、そう言った時点で負けじゃないの、と
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いう気もするのだが。


 よそと比較して勝ったの負けたのって、貧しいからもうやめようよ。



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第126夜「待遇表現と方言のイメージ」

shuno@sam.hi-ho.ne.jp