Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第5夜

貸しがある



 我々、方言の立場から言わせてもらうと、標準語には多大な貸しがある。どうも、お忘れの方が多いようなので、確認させていただく。なに、借りを返せといっているのではないから、安心し給え。

 「ハマナス」という植物はご存知だろうか。見たことはなくても、名前を聞いたことくらいはある筈だ。
 これは、である。なんで「ナス」なの?と思った人は偉い。「ナスって木になるんじゃないの?」と思った人はエイプリルフールには BBC を見ないように気を付けよう。
ナスって工場からスーパーに直送されるんでしょ?」と言う方には出直していただこう。
 余裕があったら、試しに手元で漢字変換してみて欲しい。「ハマナス」+[変換]=「浜梨」。ここでピンと来た人はかなり偉い。先にお進みください。
 なんで、「浜梨」が「ハマナス」になってしまうのだろう。植物事典をお持ちの方は調べて見てください。国語辞典でもかまいませんが、オチが見えてしまうと思うのでお気を付けください。
 主な植生地は北海道から東北。まだわかりませんか?
 ここは、いわゆる東北訛りとそれに隣接する地域。
 そう、「ハマナス」は「ハマナシ」の訛った姿だったのです

 地元の人々は、「浜」の「梨」だから「ハマナシ」と呼んでいたのですが、これがどうにも「ハマナス」にしか聞こえない。そんなわけで、「ハマナス」という呼び方が定着してしまいました。
 つまり!
 あなたがどんなに田舎者を馬鹿にしようとも、「私は山の手育ちの立派な標準語使いですわよほほほ」と気取って見せても、「ハマナス」と口にした瞬間、あなたは豊かな東北弁の世界に足を踏み入れたことになってしまうのです。諦めなさい。

 ということを、3 年ほど前に、NIFTY-Serve(現 @nifty) の<全国ふるさと交流フォーラム>の方言会議室「全国云いたい方言集」に書いたことがある。
 よくお年寄りが嘆く、外来語の流入を取り上げるまでもなく、無い言葉は他から借りるしかないのである。おそらく、首都 (江戸か京都かは知らない) にはハナマスはなかったか、あっても顧みられることがなかったのであろう。東北の片田舎で見つけたこの植物を呼ぶとき、どうしても地元の言葉を借りるしかなかったのだ。*1

 他に、他地域の方言 (正しくは俚言というが) から流入したものに、「尾根」「春一番」などがある。「尾根」が使われるようになったのは明治期だと言われているが、東京には高い山はないから「尾根」に相当する言葉も当然ない。*2

 人や文物の交流によって異なった言語や方言が接触し、互いに影響を及ぼしあう。これは避け難いことなのだから、他の言葉をあれこれ評してみても始まらないのである。

 あなたが、どうあっても東北弁とは一線を画したいと思うのなら、海辺には近づかないことだ。まして、紅色の花を指差して「これは何という花?」などと聞いてはいけない。


 どうやら、この「ハマナス=『はなまし』の訛り説」は間違いらしい。
 そういうメールをいただいたので調べていたのだが、秋田魁新報の夕刊に佐伯一麦氏のエッセイが載っていた。まさにこの話だった。
 要約すると、「ハマナス=『はなまし』の訛り説」を説いたのは植物学の牧野富太郎博士なのだが、ある文章で、(これまた有名な) 大槻文彦博士が「大言海」で「浜茄子」としたことを否定しているのだそうだ。根拠は、ハマナスの実が球形で、細長い卵形、いわゆる茄子の形とは似ても似つかないことであったらしい。
 しかし、江戸時代の文献には、ハマナスの丸い実を食用にしていることが記述されているそうだし、その当時の茄子が、球形をしていたこともわかっている。
 つまり、牧野博士の勇み足である可能性が高い。



注1:
 カンガルーの逸話を思い出す(
)

注2:
 この話をどこで聞いたのか思い出せない。確か、NHK の放送用語に関する文章だったとは思う。(
)

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