Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第120夜

コードチェンジ




 東京に行ってきた。今年 2 度目。
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 前回は出張絡みだったのだが、今回は完全にプライベートだったので、心ゆくまで飲ん
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だくれてきた。数年ぶりに最終電車にも乗った。


 初日は、東京にいた頃に在籍していた会社の人たちと飲んだ。なお、そこに勤めてい
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たのは 1988〜94 年である。
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 くだらねー話をしながらも、俺の中では一つの戦いがあった。
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 つきあいが長いだけあって、会話も姿勢も砕けたものとなる。砕けきっていると言って
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いい。別の言い方をすると、文体が低い
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 つまり、秋田弁がこぼれ出るのを抑えなければならなかったわけである。メンバーの中
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に秋田出身者がいたのも理由の一つかもしれない。「そんたごと言ったったって(そんな
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こと言ったって)」や「このいながもの(田舎者)」というような表現が口をついて出そう
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になるのである。
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 この場合の「コード」は、「放送コード」などという形で使われるあれだ。


 我々が、数ある表現の中から、ある表現を取り出して採用するには、それなりの理由が
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ある。改まった場であるかどうか、というのも重要な要素だし、相手との関係もしかり。
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 普通は、そういう条件と、採用するべきコードとの間に、拘束力の違いはあるだろうが、
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対応表ができていると考えられる。
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 今回の場合、人間関係に関する条件は以前と一緒だが、コードの位置が変わっていた
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わけだ。
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 具体的に言えば、東京在住時にはくだけた場であっても全国共通語を採用することにな
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っていたのだが、秋田に帰って5年目にして、文体が低い場合は秋田弁を採用する、とい
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う風に変わってきている
、ということだ。
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 これは、現在でも秋田弁で会話しているという自覚のない俺には、驚くべき発見であった。


 東京に出てった場合には、この逆の変化が起こるわけだ。言ってみれば、最初の数ヶ月
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は、文体が低くても全国共通語を使う、という対応関係を築くのに費やされる。周囲に、気
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心の知れた、付き合いの古い友人がいなければ、そうそう文体が低くはならないだろうから、
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全力をつくすことはできるかもしれない。かなり疲れるが。


 2 日目は、結婚式の 2 次会。
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 これがまた、全員と初対面なんである。
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 NIFTY-SERVE に、私的ながら、ゴダイゴのファンが集まるスペースがある。ここで知り
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合ったメンバーが結婚したのであるが、こういうのを世間では「ネット婚」などと呼んだり
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する。
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 普段は、ネットワーク上の場で話をしていて、あんまり顔を会わせることはない。であ
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るから、新郎と新婦の双方に「はじめまして」と挨拶してしまうという、ネットワークを知
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らない人には理解しがたい光景が繰り広げられることになる。
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 どうやら俺が最北。福井という人もいたし、最南端かつ最西端は鹿児島。最東端はア
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メリカからの国際電話という、非常にグローバルな場で使われるのは、勿論、全国共通
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語だ。
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 とは言え、俺は勿論だが、アクセントやら、感情を表現するときに採用される表現やら
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はやはりそれぞれの地域の雰囲気なんであった。


 こういう風な会合を「オフラインミーティング」、略して「オフ」と呼ぶことは既に知られ
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ていると思うが、文体の点で見ていると非常に興味深い。
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 ネットワークでの発言で、人となりはかなりの程度まで理解している。極端なことを言
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えば、顔を見たことがないだけで、深い付き合いだったりすることがある。
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 とはいえ、やはり実際にあったことがない、というのは相当の障壁であるらしく、会話
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を聞いていると、「ですます」と「だ」との間を言ったりきたりしていることがある。あるい
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は、かなり辛辣なことを言っているのに語尾だけ丁寧、言われた方も怒るわけでなくニ
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コニコしている、なんてこともあったりする。
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 この辺の揺れが、端々に方言的要素が現れる理由なんだと思われる。
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 俺自身は、その前の夜と違って、秋田弁を抑制する努力をしていない。文体がちょっと
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高かったため、秋田弁の出る幕ではなかったわけだ。


 さて、2 泊 3 日の東京で、中日の朝は寝坊してブランチになったから、食事をするタイミ
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ングは 5 回。その内の 2 回は、カウンターで「 」と言いながら、立ち食い蕎麦を堪能し
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たことは付け加えておく。



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第121夜「町へ出よう」

shuno@sam.hi-ho.ne.jp