Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第84夜

玉石混交




 知ってて使い分けている人は少ないと思うのだが、「混じる」と「交じる」は意味が違う。
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 国語辞典によれば、「交じる」は「他のものがある」で、「混じる」は「入りみだれる」
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である。
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 つまり、「交」においては、異物が異物として認識されている。だから「漢字仮名まじり
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文」という時は「交」でなければならないし、溶け合っている様は「混然一体」なのである。
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 2つ、あるいはそれ以上の言語が接触する場合、言語自体の持つ「力」、あるいはその
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言語の背景にあるものの「力」などが色んな形で影響を与え合うので、その関係は非常
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に複雑なものになる。


 話が簡単だと思うので、後者から取り上げることにする。
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 つまり、言語そのものよりも、それを話している人や、その言語が生まれた地域の影
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響力などに理由がある場合である。
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 英語で、"cow/bull" と "beef"、"pig" と "pork"、"sheep" と "mutton" という具合に、
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動物とその肉に別の単語があることは知っていると思う。
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 これは何故か。
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 肉食だから細分化したのではない。
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 共通しているのは、動物名は英語で、肉の方がフランス語だということである。
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 原因は戦争だ。
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 具体的に言えば、1066 年の「ノルマン・コンクエスト」で、イギリス(正確にはイングラ
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ンド
)がノルマンディ公国に征服された。公国そのものは 13 世紀初頭に滅亡するが、以
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後、百年戦争(1338〜1453)の頃まで、イギリスの公用語はフランス語だったのである。
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 さて食事。勝者と敗者で役割分担が違う。私作る人あなた食べる人、ということで、被
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征服民であるイギリス人が動物を絞めて料理し、征服者のフランス人がそれを食べる。
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 もうおわかりであろう。この時代、フランス人にとって、牛も豚も羊も皿に乗っている
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もの
である。イギリス人にとっては、どれも生きてその辺を歩いている。フランス系の単
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語が肉を、イギリス系の単語が動物を指すようになったのはこういう訳だ。
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 ついでに言えば、"breakfast" が英語で、"dinner" がフランス語。敬称や法律用語な
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どにもフランス語源の単語は多い。
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 ここで注目するべきは、政治的・軍事的に圧倒してもなお、"cow/bull"、"pig" という
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単語を撲滅することはできなかった、ということである。逆に、英語の方で、"boeuf"、
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"porc" を取り入れてしまった。フランス語では「牛」と「牛肉」、「豚」と「豚肉」は同じ
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単語である。
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 結局、このフランス語との接触というか混用というか、それが現在の英語の母体を形
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作ることになった。
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 言語の接触というのはそういうものである。どんなに強力な背景を持っていても、一方
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通行ということはありえない。物理的に、人間が殲滅でもされない限りは。


 話を日本語に戻すと、標準語(東京弁)の持つ影響力は非常に大きい。が、明治以後、
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百数十年を過ぎたというのに、一向に統一される気配がない。
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 それどころか、東京の若者の言葉をダイレクトに使った歌が「何を言ってるのかわから
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ん」と評価されたりする("DA・YO・NE"については既述)。


 『日本語ウォッチング』では、「違かった(違っていた)」「みたく(みたいに)」「うざったい
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が東京に流入して来る過程を明らかにしている。
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 例えば「違かった」について言えば、これに「違くない」「違ー(ちげー)」という形を組み
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込むことによって、「ちがい」という形容詞の存在が仮定できる、としている。
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 つまり、首都のおひざ元で話されていて、磐石と思われる東京弁ですら、理にかなって
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さえ居れば、他地域の表現を採用することはあるわけである。
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 「〜じゃん」という語尾がある。この表現は静岡から横浜経由で東京に入り、そこから
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噴水状に全国に広まったが、空白地帯が1ヶ所ある。京阪神を中心とする関西地区で
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ある。
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 ここは東京に対する敵愾心の旺盛な地域であるが、それよりも重要なことがある。こ
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こは「〜やん」の土地である。
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 「〜じゃん」と「〜やん」はほぼ同じ使い方をするので、わざわざ「〜じゃん」を採用す
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る理由が無い、という訳だ。
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 この点が、最初に挙げた、言語自体のもつ「力」である。合理的な理由があるかどうか、
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というのは非常に大きなファクターなのである。


 普通、自分の使っている言語や方言は「混じった」ものである。いちいち、語源が何で
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どこから入ってきたものか、ということには注意を払わない。なにかの折に「交じった」
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ものである、ということに気付くだけである。
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 その裏に、意外に科学的な説明のつく現象が隠れていたりすると、ちょっとドキドキす
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る。それが楽しい。



参考資料
『国語辞典(講談社学術文庫、1979)』
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『日本語百科大事典(第4版、1990、大修館書店』
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『日本語ウォッチング(井上史雄、1998、岩波新書、ISBN4-00-430540-3)』
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『英語の歴史(佐藤修二・鈴木榮一 編注、金星堂、1981)』




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第85夜「言語の恣意性−知恵熱シリーズ−」

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