Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第83夜

同族嫌悪ってやつ?




 さて、この例えはいつかも挙げたけれども、東京都も秋田県も共に地方自治体である
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のと同じように、東京弁も秋田弁と同様に一方言に過ぎない。
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 古くは、「べらんめぇ」口調と呼ばれる江戸弁はまぎれもなく方言であるし、現在で言
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えば、「ため(同い年)」など、東京でしか使われない(あるいは東京を起源とする)単語
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は少なくない。東京弁が方言であることは間違いない。
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 だから、東京弁にも秋田弁にも同じルールが適用できるケースは非常に多い。


 例えば、「良(よ)い」は、口語では「いい」と言う。
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 しかし、これは「いい」という形でしか使われない。活用する場合は、「よかった」「よく
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ない」「よければ」と「よい」の形を使う。
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 一方、秋田弁では、「いがった」「いぐね」「いば」と、常に「いい」である。秋田弁では
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よい」とは言えないから、活用形が統一されている。口語としての変化が徹底した
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結果であろう。
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 ところが、最近、東京で「いかった」という形が使われるようになってきているらしい。
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 これは、井上史雄の『日本語ウォッチング(1998、岩波新書、ISBN4-00-430540-3)』
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に報告されている。
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 ルールは一緒。口にしやすい形に変化し、活用形の単純化が起こったのである。
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 東京での普及はまだ徹底してないようである。「いかった」「いくない」は使われるが、
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いければ」はまだらしい。そのうち使われるようになるのは間違いないと思うが。


 『日本語ウォッチング』からの話題をもう一つ。
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 「〜いんた」は、既に何度も取り上げたが、「〜らしい」「〜様な/だ」という意味の
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語である。「〜様に」というような副詞句として使う場合は「〜いに」という形を使う。
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 この「」が謎だった。どこから来たのか、何が変化したものなのわからない。
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 解答が、この本にあった。
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 「〜みたいに」という表現がある。これの語源が「見た様に」だということである。
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 孫引きになってしまうが、夏目漱石の作品に「富士見たような額」という一節があるそ
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うだ。これを「富士山を目撃したかのような額」と解釈したのでは意味が通らない。これ
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は「富士山の様な形をした額」、つまり「富士額」である。
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 「みたように」から「みたいに」への変化の裏には、「ように」が「いに」になるとい
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うルールが隠れている。
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 更にこの変化を補強するのが、秋田弁の「〜みでんた」である。これは「〜みたいな」
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に相当する表現だが、もうちょっと丁寧に言うと「〜みだいんた」である。これは、「見
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たような」に一致する。
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 ここでも、秋田弁と東京弁とで全く同じルールが適用できるのがわかる。


 この本では、「同じルール」というよりは、他地域から東京への伝播という側面で見て
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いる。
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 だからと言って、「同じルール」という考え方が否定されるわけではない。伝播する、
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ということは、そのルールを受け入れるということである。全く異質の物であれば、それ
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は絶対に受け入れられない。
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 外来語の流入を嘆くむきは多いが、例えば、「ドライブ」とは言っても、昨日の日曜の
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遠出のことを話そうとして「ドロウブ」なんて言う人はいないわけである。これはどうあ
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っても「ドライブする」「ドライブした」(あるいは「−に行った」)と言わざるを得ない。
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 「ドライブ」という行為は受け入れられたが、"drive-drove-driven" はあまりに異質
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なために拒否されたのだ。
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 「よかった」から「いかった」への、東北弁の後を追っているようにも見える変化は、
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東北弁と東京弁が、根源では同じものだ、という証拠に他ならない。


 蛇足だが、この本の、いわゆる「ラ抜き言葉」を扱った場所で、若い人は「行くことが
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できる」という意味で「行かれる」とは言わない、としているが、俺自身は割と聞くよう
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に思う。



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第84夜「玉石混交」

shuno@sam.hi-ho.ne.jp