Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜
第75夜
民間語源−知恵熱再び−
「民間語源」とは、『講談社学術文庫 国語辞典(初版)』(1979) に寄れば、「語源につ
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いての学問的でない解釈。語源俗解」である。
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平たく言えば、ある語の語源に関して、学問的背景のない人が勝手に与えた解釈の
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ことを言う。
ここで取り上げた例としては、「しあさって」の次の日を「ごあさって」と言う、というのが
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ある。
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『日本の方言地図(中公新書 徳川宗賢編)』に紹介されていた話だが、「しあさって」
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の「し」を「4」と解釈したために、翌日が「5あさって」となるのである。
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正しくは、つまり学術的な説明だと、「しあさって」は「次明後日」と書くのだ、というこ
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とになる。「次第」とかで「次」を「し」と読むことがあるのは知っているだろう。
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しかし、当日を1とすると、明日が2、あさってが3、しあさってが4となるわけで、「4あ
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さって」「5あさって」という解釈には、合理的な説明が可能である。
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民間云々というとどうもいいイメージがないが、それなりに体系だった考え方なので
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ある。
これだけだと単なる勘違いだが、この民間語源が実際の言語変化に影響を及ぼす
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例がある。
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孫引きで恐縮だが(*1)、新潟県糸魚川地方ではヘビの抜け殻を「キヌ」とか「キン」
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などと呼ぶ。
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一般的な音韻変化では「キヌ」が「キン」に変化するのだが(*2)、ここでは逆に「キン」
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から「キヌ」に変化している。
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ヘビの抜け殻は「金色」ではなく、むしろ「絹」の様な光沢である。「ギン」と呼ぶ地域
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では「銀色だから」という発言もあった。民間語源が、変化の方向を変えたわけである。
歴とした誤用の方に目を転じると、「気の置けない人」「情けは人のためならず」につ
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いての異なった解釈などが有名である。
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これなどは、伝統的な面から考えれば誤用としか言い様がないのだが、慣用句の特
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徴として、文語的な表現であり、現代語のものとは異なった文法で成り立っている。した
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がって、別の解釈が生まれるのはやむを得ない、とも言える。
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数ヶ月前のことになるが、「帳簿を改竄するとは証券会社も語るに落ちたものだ」とい
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うような文章を、大新聞のコラムで読んだことがある。
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言い逃れしようのない誤用である。
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が、「語るに落ちる」も文語的表現の慣用句であり、別の解釈が可能なことも事実だ。
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「落ちる」と「堕ちる」の違いにさえ気づかなければ、こういう使い方をしてしまうのは簡
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単なことである。
話は変わるが、1年半ほど前、ある食品会社が「コーヒー」「コーヒータイム」で連想さ
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れる言葉を募集したところ、1位が「閑話休題」であった。
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「閑話休題」は、脇道に逸れていた話を本筋に戻すことを指す単語である。これを「コ
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ーヒー」から連想していいのか?
閑話休題。
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発生の条件としては、本来の語源がはっきりわからないことが前提となる。当たり前の
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ことだ。
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更に、あまり使われない言葉、に多い、というのも言える。
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上に挙げた慣用句などはまさにその例であり、「4あさって」もそう言う側面を持っている。
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それゆえ、一旦そう言う解釈が行われてしまうと定着も速い。大新聞が使えばなおさら
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であろう。
民間語源は、人間が言葉の意味をどのように捉えるか、というのを示す材料となるので、
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言語学における研究対象ともなっている。
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であるから、例えば、学術的な裏づけのない文章が 70 も 80 もあっても、全く無意味
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というわけではないのである。
*1 『日本語百科大辞典(大修館書店、第4版)』(1990) に載っていた、柴田武の「民衆
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語源について」という論文から。
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*2 「キヌ」よりも「キン」の方が発音が楽。
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