Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第30夜

宿題:「よいでね」と「ただでね」



風邪は百病の長」の夜には、「よいでね」と「ただでね」の違いについては、勝手ながら宿題にさせてもらった。
 あらためてここで考えてみようと思う。

 直訳すると「容易でない」と「ただ事でない」。
 基本的には、この違いと考えて問題ない。
 仕事で、あるプロジェクトを推進することになったが、その実現には様々な障害が横たわっている、という場合、「よいでね」も「ただでね」も使うことができる。

 宿題にしたときに挙げた、病気の例では、「辛くて体を動かすのが大変」というような場合、「なんと よいでねくてや」と言える。一方、病気のことに関連して「ただでね」を使おうと思うと、重病・重傷だとか、手術に時間がかかるとか、重くはなくとも半年も通院しなくてはならないとか、そういう方向になる。

 標準語との違いを考えたときに、ニュアンスの点で問題になるのは「よいでね」の方だ。
「難しい」というよりは「大変だ」という方に重きがあり、「容易でない」からはちょっとばかり離れているのである。
 反論を恐れずに言えば、よいでね」と形容された現象は、やれば完遂できる。政治家や役人の発言でよく聞くが、標準語で「容易でない」と形容した場合、実現不可能のこともあるのとはちょっと違う。
 日常的に使われているかどうかの違いかもしれないが、「容易でない」と言うときには全員がうつむいているようなイメージがあるが、「よいでね」の方は愚痴っぽいイメージがある。場合によっては笑っているかもしれない。

 もう一つ、「よいでね」が持っている特徴は、第三者の行動に対しても使えることだ。
 これも既に挙げたが、箸の使い方になれていない子供がポロポロこぼしている、というような場合、「箸 持づなも よいでね」と言える。
 あるいは若葉マークの車に同乗していて、どうにも危なっかしい運転者に対して「なんと、よいでねごど」と言ったりする。
 この場合、「ただでね」はもちろん、「容易でない」では代用できない。
 「頼りない」というようなニュアンスが加わっているのであろう。「やればできる」という側面はここから派生しているのかもしれない。

 もう一歩、踏み込む。
 ただでね」と言った場合には、誰にとっても大変である。しかし、「よいでね」と言われた場合、それを容易にこなす人が少なからずいる
 車の運転や箸使いについて「ただでね」を使える状況は想像しにくい。
 仕事のプロジェクトについては、状況に応じて「よいでね」も「ただでね」も使うことができる。しかし、新入社員について「彼にとっては大変かもしれないな」と言うときは、「よいでねがもさねな」と「よいでね」を使うが、「なんでこんな仕事をひきうけてしまったんだろう。誰がやるんだ、一体」と全員が頭を抱えている場合は「この仕事だば ただでねや」ということになる。
 これは交換不可能だ。
 新入社員について言おうと思ったら「あいさだば ただでねなでね」と「あいさだば(彼にとっては)」を付け加えないと座りが悪い。
よいでね」は、前にも言った通り、がんばればできそうだ、というニュアンスがあるから、全員が頭を抱えているケースでは使いにくい。

 結論。
ただでね」は、事態そのものを形容する。
よいでね」は、「誰かが何かをすること」を形容する。
 以上。




音声サンプル(.WAV)

箸 持づなも よいでねいんた(26KB)
なんと、よいでねごど(19KB)
よいでねがもさねな(23KB)
この仕事だば ただでねや(27KB)
あいさだば ただでねなでね(29KB)



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