「
風邪は百病の長」の夜には、「
よいでね」と「
ただでね」の違いについては、勝手ながら宿題にさせてもらった。
あらためてここで考えてみようと思う。
直訳すると「容易でない」と「ただ事でない」。
基本的には、この違いと考えて問題ない。
仕事で、あるプロジェクトを推進することになったが、その実現には様々な障害が横たわっている、という場合、「
よいでね」も「
ただでね」も使うことができる。
宿題にしたときに挙げた、病気の例では、「辛くて体を動かすのが大変」というような場合、「
なんと よいでねくてや」と言える。一方、病気のことに関連して「
ただでね」を使おうと思うと、重病・重傷だとか、手術に時間がかかるとか、重くはなくとも半年も通院しなくてはならないとか、そういう方向になる。
標準語との違いを考えたときに、ニュアンスの点で問題になるのは「
よいでね」の方だ。
「難しい」というよりは「大変だ」という方に重きがあり、「容易でない」からはちょっとばかり離れているのである。
反論を恐れずに言えば、
「よいでね」と形容された現象は、やれば完遂できる。政治家や役人の発言でよく聞くが、標準語で「容易でない」と形容した場合、実現不可能のこともあるのとはちょっと違う。
日常的に使われているかどうかの違いかもしれないが、「容易でない」と言うときには全員がうつむいているようなイメージがあるが、「
よいでね」の方は愚痴っぽいイメージがある。場合によっては笑っているかもしれない。
もう一つ、「
よいでね」が持っている特徴は、第三者の行動に対しても使えることだ。
これも既に挙げたが、箸の使い方になれていない子供がポロポロこぼしている、というような場合、「
箸 持づなも よいでね」と言える。
あるいは若葉マークの車に同乗していて、どうにも危なっかしい運転者に対して「
なんと、よいでねごど」と言ったりする。
この場合、「
ただでね」はもちろん、「容易でない」では代用できない。
「頼りない」というようなニュアンスが加わっているのであろう。「やればできる」という側面はここから派生しているのかもしれない。
もう一歩、踏み込む。
「ただでね」と言った場合には、誰にとっても大変である。しかし、「よいでね」と言われた場合、それを容易にこなす人が少なからずいる。
車の運転や箸使いについて「
ただでね」を使える状況は想像しにくい。
仕事のプロジェクトについては、状況に応じて「
よいでね」も「
ただでね」も使うことができる。しかし、新入社員について「彼にとっては大変かもしれないな」と言うときは、「
よいでねがもさねな」と「
よいでね」を使うが、「なんでこんな仕事をひきうけてしまったんだろう。誰がやるんだ、一体」と全員が頭を抱えている場合は「
この仕事だば ただでねや」ということになる。
これは
交換不可能だ。
新入社員について言おうと思ったら「
あいさだば ただでねなでね」と「
あいさだば(彼にとっては)」を付け加えないと座りが悪い。
「
よいでね」は、前にも言った通り、がんばればできそうだ、というニュアンスがあるから、全員が頭を抱えているケースでは使いにくい。
結論。
「
ただでね」は、
事態そのものを形容する。
「
よいでね」は、「
誰かが何かをすること」を形容する。
以上。