Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第31夜

点だけでは話にならない



 久しぶりに音の話をしてみようと思う。

 単に訛っただけの単語はたくさんあるが、例えば「えんこ」。エンジンの故障ではない(もう死語か?)。
 これは「犬コロ」である。「東北弁では『い』が『え』になる」というステロタイプから考え れば、「いぬ」→「えん」の変化はそれ程不自然でもあるまい。大館市 * には「犬っこ祭り」というのもあることだし。

こしゃる」というのもある。「こしらえる」の訛りだが、果たして違和感はあるだろうか。
「こしらえる」の下一段の活用形をそのまま持っていて、
こしらえない こしらえます こしらえる こしらえれば こしらえろ
こしゃね こしゃるす こしゃる こしゃれば こしゃれ
 という風に、活用形の異同はあるものの「こしらえ」と「こしゃ」が完全に対応している。
 ニュアンスとしては、大きなモノには使いにくい。標準語の「こしらえる」が「しもた屋風の拵え」「借金をこしらえる」という形で使えるのとはちょっと違う。

 次は「ら」。  これは単語ではない。助詞ですらない。
どたらっと」「ぶすらっと」等など、例を挙げればきりがない。
 それぞれ「どたっと」「ぶすっと」という意味の擬態語である。その途中になぜか「ら」が入り込んでくるのである。「びくらっとする」が「びくっとする」だったりする。
びくらっとする」あたりだと、ちょっと間延びがして緊張感がそがれるような気もしないではないが、「どたらっと」「ぶすらっと」あたりはいかにも感じが出ていると思う。秋田衆以外にはぴんと来ないかもしれないけど。

 もう一つ「ら」の例を挙げると、「ぎっくら腰」。
 意味は解説不要であろう。

「どうってことないよ」「何でもないよ」を秋田弁でいうとどうなるか。
 答:「何てもねぇ」。
 そう、「ても」になってしまうのである。
 この「何てもねぇ」は、「どうってことないよ」である。「何してんの?」「え、いや、別に。何でもないよ」の「何でもない」ではない。
 これはむしろ、「何てことはない」との関連を探るべきなのかもしれない。

 もう一つ不思議な変化の例を挙げると、「ほとんど」を「ほどんと」と言うことがある。文字が小さいとわかりにくいかもしれないが、「と」についている濁点の位置が入れ替わるのである。
 この「何てもねぇ」と「ほどんと」は年配の人に多い。若い人はあまり使わない。

 秋田弁が汚く聞こえるからといって、なんでも「゛」をつければいいってもんではない、ってことである。
 ステロタイプは恐いもんだから、早めに捨てた方が何かと、よい。



注:
 秋田県内陸北部の中心となる市。古くは、米代川への河港として栄えた。明治になって奥羽本線が開通、内陸の支線への乗換駅ともなり、市街地が拡大した。秋田犬ときりたんぽの発祥の地。(「
大館」『世界大百科事典』1992年、平凡社)()



音声サンプル(.WAV)

何てもねぇ(16KB)
ほどんと(13KB)


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