Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第3夜

できる・できない



「れる・られる」という助動詞がある。夕べ、「ら抜き言葉」の話をしたけれども、可能の意味を持つ助動詞である。
 だから、「食べることができる」は、標準的には「食べられる」といい、「食べることができない」は「食べられない」と言う。

 和英辞典で「可能」を引くと、“able”,“possible”,“capable” あたりの単語が出てくる。
 なんでこんなに、と思って良く見ると、それぞれ「優れた能力がある」「可能性がある」「ふさわしい」と、微妙に違いがある (『プログレッシブ英和辞典(小学館)』)。
 残念ながら、本邦の標準語でこれを言い分けるには、今、鍵括弧付きで言ったような難しい表現を付け加えるしかない。

 秋田弁
 あるに決まってるじゃないですか。
 水泳を例にしてみる。
「スイミングスクールに通ったので、泳ぐことができる」は、「泳げる」だ。多少の訛りはあるかも知れないが。
「天気もいいし、波も静かだから、泳ぐことができる」は、「泳ぐにいい」だ。
「ずっと山育ちなので、泳ぐことができない」は、「泳げね」だ。
「昨日からの雨で海が荒れているから、泳ぐことができない」は、「泳がいね」だ (「泳がれね」の音便である)。
泳ぐにいい泳がいね」が示しているのは「状況が許すかどうか」であり、本人が金槌なのかそうでないのかは問題になっていない。「泳がいね」といった場合、たとえフジヤマのトビウオだろうが、バサロ泳法だろうが、泳げないのである。
泳げる泳げね」は、万能選手であり、状況・本人の能力、どちらが話題になっていても使える。標準語には、この表現方法しかないわけだ。

 更に。
 海に遊びに出かけようとしている子どもに、母親が「風、強ぇがら (つぇがら)、泳がいねよ」と言ったとする。これまでの知識を用いれば、「風が強いから、泳ぐことはできませんよ」と状況を説明している、と解釈できるが、これは間違い。
 正しい意味は、「風が強いから、泳いじゃ駄目よ」である。
泳ぐにいい泳がいね」が「状況が許すかどうか」を述べているのだから、その否定は「状況が許さない」であり、これが「してはいけない」となるのは、ごく自然なことだ。
 禁止表現としては弱く、このお母さんの言うことを聞かないで海に入ったことがばれると「泳ぐなって言ったべ!」とごしゃがいる (怒られる) ことになる。

 ここで、他の方言や古語との比較ができれば、話が厚みを増すのだけれども。

 あ、津軽弁で「駄目」ってのを「まいね」って言うけど、どういうことなんだろうなぁ。



補追:
 証拠写真。
Nomaremasen: 2098bytes
 米内沢 (よないざわ:秋田県森吉町) の道の駅の洗面所に貼ってあった。「この水は飲まれません」とある。(970510 加筆)


補追2:
 東京の紀伊国屋書店で「この階段では 4 階には行かれません」という看板を見た。
 これは、例の「ら抜き言葉」に連なる変化 (混乱) の一端であると考える。秋田弁で「れない/られない」が禁止をあらわすのとは、出自が別であろうと思う。
 ただ、この点を考えると、上の「補追」で挙げた「この水は飲まれません」が果たしてどちらの要素が原因で発生したものか、ちょっと怪しくなってくる。(970518 加筆)


音声サンプル(.WAV)

泳げる(13KB)
泳ぐにいい(14KB)
泳げね(12KB)
泳がいね(14KB)
風、強ぇがら泳がいねよ(19KB)
泳ぐなって言ったべ!(21KB)
ごしゃがいる(14KB)


"Speak about Speech" のページに戻る
ホームページに戻る

第4夜「馬糞」へ

shuno@sam.hi-ho.ne.jp