前に「コミックいわて」を紹介しているが、二号が出ていた。
出たのは去年の三月だが、気付いたのは暮れ。
こういうアンテナってどうやってはればいいんだろうねぇ。あちこちのサイト回るのも面倒だしなぁ。
で、やっと読んだ。
前回もそうだったが、やっぱり方言はあんまり出てこない。
たっぷり出てくるのは、
三田紀房の「岩手の人々」だが、たっぷりあるんだけど、「これは」という目立つ表現が見当たらない。
岩手の人々の家呑みの様子を描いている。「
や…ども」「
は、ども」「
すばらぐ」で始まる完璧日常会話。
「
すったくたねぇのよぉ」は「そんなことないんだろう」だろうか。「そんな」が「
すった」は奇異に感じる人もいるかもしれないが、秋田でも「
そった」という形になることがある。
「
なぬもかぬも」は面白い。「何もかも」だろうね。
秋田弁との共通点も多いようで、「
カマド返す」「
おべでる」あたりはちょっと意外。それぞれ、「身上をつぶす」「(主に人を) 知っている」という意味。
その飲み会に出てくる食べ物について、「(畑で) 採ってきた」「釣ってきた」に続いて、「
誰が置いでった」が可笑しい。田舎ではそういうことがある。俺の実家でも、朝、玄関の扉が開かないと思ったら巨大な白菜が置いてあり、しかも誰がくれたのかわからない、ということがあったそうである。
そのだつくしの「もうひとつのさんさ踊り」には「
ぺっこ」が登場する。「少し」と言う意味らしいが、秋田の県北で使われる「
びゃっこ」「
ばっこ」と同じ語だと思われる。
『秋田のことば (秋田県教育委員会編、
無明舎出版)』『語源探求 秋田方言辞典 (中山健、秋田協同書籍)』によれば、これは「ばかり」に指小辞の「こ」がついたもの。
主人公たち (作家自身) は雫石の人で、大船渡の被災地へ「さんさ踊り」で慰労をしに行く。
7 月のことで暑いのだが、見てくれる人に辛い顔を見せないように頑張る。で、バスで帰るときに、「
よスッ、見 (め) えねぐなった」と言ってやっとぐったりするのが可笑しい。
「
おもさげねがんしたけども、ありがてやんした」に似た表現は「八重の桜」でも耳にした。
あ、そういえば、「八重の桜」を取り上げてねぇな。格好の話題なのに。
メモも取ってなかったし、大河ドラマをもう一回見直すのも骨なので、このままスルーさせていただく。
方言の話はここまで。
好きな作品は、とりのなん子の「うみがきた日」。
そうそう、書き忘れていたが、多くの作品が震災に触れている。
一号が出たのが 2011 の冬、つまり震災の直前。巻末に達増知事のコメントがあるが、二号の発行は割と早い段階で検討されていたが、一時停止せざるを得なかったとのこと。
で、「うみがきた日」。タイトルがすでに物語っているが、数少ない台詞の中で「おおむかし ここは 海の底だったんだよ」と「昔ね ここが 海の底になった日があったんだよ」という対比が胸に痛い。
もう一つ好きなのは、飛鳥あるとの「キリコ、閉じます!」。前にも好きだって書いてるが、これの続編。楽しい。前回、この人のほかの作品も読んでみたい、とか書いてるが実行に移してない。
で、出てから一年経ってるし、ひょっとして三号の話がすでにあるのでは、と思ってググってみたら、
公式サイトができてた。
漫画も掲載されてるので、あるいは、もうしばらくするとこれを紙で出したりするかもしれない。
既刊本の紹介がリンク切れになってるのはいかんな。
秋田は、なんて書くのも空しい。
というのは、鳴り物入りでオープンした
秋田県立美術館。
目玉である藤田嗣治「秋田の行事」だが、建物の構造の問題で、展示物入れ替えのたびに見られなくなるのだそうだ。
*1
開館してても見られない。
欠陥建築だろ、それ。
こないだまでデスティネーションキャンペーンをやってたが、その時も、わざわざ他県から来たのに見られなかった、という事故が多発した。
秋田には文化も観光もないのかもしれない。