中部ないし東日本は雪で大変なことになっている。当事者…というより、この場合は被災者と言って差し支えないんだと思うが、そうした皆さんにはお見舞い申し上げる。
いくつか写真を見たが、豪雪地帯である秋田の県南部もびっくりするような積雪状況。駅では線路の上にホームより高く積り、高架の自動車道は型に入ったパンのように雪が盛り上がっており、こうなってしまったらもう人力ではどうしようもねぇ、と口をあんぐり開けてしまった。
尤もこの辺りは、降雪量もさることながら、積雪地域でないため初動が遅れた、というよりは、初動が重要だということが認識されていなかった、ということもあろう。あれだけの量が一時間やそこらで降るはずはなく、一晩とかかかったはずだが、積雪地域だと「来た」と思ったら早々に雪かきが始まる。本当に多いときには一晩で二度、三度とやることもあるので、人の活動域であそこまで積みあがってしまうことはそうそうない。
もちろん、被害にあった人たちを非難しているのではない。いつもは起こらないことが起こってしまったらどうしようもない、という話。おそらく、そういう点においては、3.11 と共通点がある。
秋田市は去年、除雪がなってない、と市民から袋叩きにあった。それを踏まえたのであろう、こちらの初動はよかった。初動だけでなく範囲も広がり、細くて去年までは除雪の対象外だった道路にも小型の重機が入ってくるようになっており、これは非常にありがたい。
一月に、自分のアパートの駐車場で、溶けかけた雪にはまって動けなくなったことがあった。すると、たまたま除雪に来ていた重機の運転手の人が降りてきて車を押してくれた。しかも、それだけでなく、私有地である駐車場の雪をさらって行ってくれた。
で、見たらそのショベルローダーは岩手ナンバーであり、「がんばろう岩手」というシールが貼られていた。手を合わせたくなってしまった。
俺はもっぱら「雪かき」と言うが、「
雪よせ」という人も少なくない。
調べてみると、「
雪掘り」「
雪投げ」などのほかに、「
雪片し」「
雪すかし」というのもある。最後のは金沢あたりで使われるらしい。なんか雅を感じる語感である。
気温は低いような気がする。風呂釜が故障してしまったことは既に報告した。そういや、大家さんから請求がないが、ガスの業者は、凍結が原因だとは断言できない、とでも報告したのであろうか。
ここ数年、車道はローダーで雪をこそげ取るようにして除雪する。ほぼ路面が見えるようになる。
が、これが曲者で、「ほぼ」だから雪は残っている。これが昼の間に溶けて、しかし冬なので蒸発しきらず、夜に凍るのである。ひどいときは一面スケートリンクみたいな状態になる。歩きにしろ車にしろ大変におっかない。
*1
靴は裏の突起が減ってしまっていて、役に立たない。なんで今頃そんなことに気付くかと言うと、風呂が故障してたから、できるだけ汗をかかないように、毎回鍋でお湯を沸かさなければならないのでできるだけ早く帰宅できるように、ということで車通勤していたせい。
鋲をつけたパーツをバンドでかぶせる、外付けのスパイクというのがあって、それを探してみたのだが、\2,500 というのを見つけて大いにびっくり。もうちょっと出せば新品の靴が買える。もう数週間もすれば雪のピークも終わる、という時期にそれはありえないので、あちこち探して \1.200 のを買った。何年か前にも使ったことがあるんだが、バンドがゴム製で体勢によっては外れてしまうので、使い方が難しい。そのときは外れたことに気付かず置き去りにしてしまったようである。今回も牛丼屋で飯食って立ち上がった時に音がしなくてなくなってることに気付いたのだが、店の外に出たら落ちていた。
*2
雪道っていうと、藁沓という連想が働くが、『秋田のことば (秋田県教育委員会編、
無明舎出版)』には写真付きでいくつかの語が載っている。「
あしだが」は「足駄」あたりだろうが、「
ごねげ」「
たらこしんべー」「
しんべたら」「
へどろん」とあるのに語源の説明が見事にない、「
しんべ」は「藁しべ」の「しべ」かもしれない。
藁って滑らないのかね。確か、藁沓とまでは行かなくとも足先にくるっと結ぶだけでもいい、てなことは聞いたことがあるんだけど。
今回、賞賛されたのが
ヤマザキパン。高速道路で閉じ込められたときに、積んであったパンを周囲の人たちに配った。
最初、ヤマザキにはそういうルールがあって震災のときにもやった、という話を聞いたのだが、そんなルールはない、という話もあり、なんか情報が錯そうしている。
ほかのメーカーも含め、そういうのをルールとして考えてもいいんじゃないだろうか。人気取りのためでなく、こういう災害はいつ起こるかわからない、ということはそろそろ浸透してきたような気がするからである。
災害が忘れたころにやってきてたのは昔の話。我々の社会では、災害は頻繁に起こり、いつもどこかにそれで苦しんでいる人がいる、という認識が必要だろう。
そういう意味では、3.11 から 3 年というタイミングは絶妙なのかもしれない。