さて、HDD レコーダーがキャッチした番組に借りた文章、今度は
岩手放送。
「
じゃじゃじゃ」について迫った「
菊池幸見の方言探訪〜じゃじゃじゃ と ばばば〜」という番組。
どうやら、「IBC 特集 2004」という番組の再放送。
IBC には「
じゃじゃじゃ TV」というバラエテイ番組があるのだが、その中で調べたことを再編集して特集の形に仕立てたものらしい。
岩手県内には「
じゃじゃじゃ」のほか「
ばばば」もある、というのは「
あさイチ」でも取り上げていた。その時は漠然と、「このあたりは『
じゃ』、こっちは『
ば』」という程度だったが、この番組では多数の地域を調べている。
結論を言えば、「
『じゃ』は南部、『ば』は伊達」だそうである。
念のために言っておくと「南部」は、現在の青森県東部と岩手県中央部ないし北部を領地とした「南部藩」のことで、「岩手県の南半分」ではない。南は伊達藩である。
これを確認するため、青森まで行って、三戸や下北半島の大間などで調査している。どうもそちらでの主流は「
や」らしいのだが、「
じゃ」という形はあり、「
じゃじゃじゃ」も理解はされるようだ。
これはよくやったと思う。まぁ、「あさイチ」はそこまで踏み込まなかった、ってことだろう。番組のカラーの違い、別に問題はない。
元国研の本堂寛氏が登場して、お墨付きを与えている。
氏によれば、どちらも「それでは」の変形ではないかとのこと。
「それでは」は砕けて「「それじゃ」となるが、「
じゃじゃじゃ」の「
じゃ」はその後半部。
類似形で「それならば」とも言えるが、その後半部が「
ばばば」の「
ば」。
ほぉぉ、なるほど―。
また、「
じゃ」は「鞍馬参」という狂言に出てくるらしい。
ってことは室町時代の京都か、と思ったが、江戸時代初期に書かれた「新作」なんだそうだ。
アナウンサーの菊池幸見氏は「江戸っ子も『
じゃじゃじゃ』って言ってたんでしょうか」と言ってたが、それはどうだろうね。
というのは、たとえば現在の時代劇や新作落語は江戸時代や明治初期の言葉で書かれることが多い。現代語が使われるのは、違和感を醸し出してそれでくすぐる、などなんらかの効果を狙った場合だと考えてよかろうと思う。
それと同じで、江戸時代に狂言を書く場合、狂言の雰囲気に沿って昔風の日本語を使ったんじゃないか、って気がする。「今風」の言葉ではないのじゃないだろうか。
尤も、それだったら「
じゃ」の例はほかの文献にもっと多く出てきても不思議ではない。わざわざこの狂言を持ち出した、ということは、ここで取り上げられている「日本語大辞典」の編集方針を考えれば、その狂言が初出だと考えられる。
一方、それだったら「『
じゃじゃじゃ』は江戸でも使われていた!」という話になってもよさそうなものである。
ただし、「初出」というのは文献のことである。一般庶民の会話はほとんど文献には残らないから、室町時代にしろ、江戸時代にしろ、使っていたか使っていなかったかはなんとも言えないところがある。
その辺に触れてくれればよかったのに。
調査は全国に及ぶ。
すると、思いもよらぬところから「使う」という報告があった。
長崎の五島列島だそうである。ここで「
ば」を使うらしい。
で、ここのページを前から読んでる人は (もういないかもしれないけど)、はは―んと気づくはずである。
方言周圏論である
*1。
番組では実際に地図を使い、京都を中心とした円を書いている。確かに、五島列島と、岩手の旧伊達領は等距離にある。
五島列島の場合、海があるからもうちょっと遠いんじゃないか、と一瞬思ったのだが、西日本は当時の日本の表舞台、京都からの距離は同じかもしれないが、京都よりも西側には都市がいくつもあるし
*2、人の行き来もそれなりにあったと考えられる。ひょっとしたら、陸続きの「みちのく」よりずっと多かったかもしれない。遠いのはこっち、の可能性もある。
ということで、意外に (失礼) 歯ごたえのある番組だったので、俺の文章も後篇あり。
ところで秋田の鹿角辺りは実は南部藩なのだが、どうなんだろうね。