Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜



第815夜

下村梅子を篭絡せよ




 先日、とある出版記念パーティに参加した。
 参加者は、老若男女とりまぜて、という感じだが、俺より年長の人が多かったようである。
 ときどきそういう状況に身をおく必要がある、とは前から思っている。俺も社会人になってン十年経ち、ほとんどの場合に「さん」づけで呼ばれるようになった。ひょっとすると自分で気づかないうちに「俺は偉いんだ」などと思っているかもしれない。全員に敬語を使わなければならないとか、(家族と友人以外の人に) 呼び捨てにされるとか、冷水を浴びせる機会は重要である。

 全く知らない人ばかりというわけでもなく、面識がある人も少なくなかった。
 そういう場合、決まって話題になるのは、「お前はいつ結婚するんだ」ということである。
 こないだ一緒に飲んだ (同じく独り者の) 友人に寄れば、少子化脱却などの目的で自治体が実施する「婚活」イベントには上のほうに年齢制限があるそうで、俺はそのラインをとうに過ぎているので、「もはやありえねぇだろう」と思っているのだが、周りはそうは見ないようである。
 そのパーティで、ある人が二つほど面白いことを言った。
 一つは「下村梅子をもらえ」で、これは NHK の朝ドラ「梅ちゃん先生」で堀北真希が演じている役だが、本人がお気に入りなのであろう。まぁ、酔っ払ってるのでこうなる。
 当方としては、堀北真希ならば文句はない、つか大歓迎。ただ、下村梅子はちょっと…という感覚はあのドラマを見ている人ならわかってもらえるであろう。行きあったりばったりな医者にはおっかなくてかかれない。
 もう一つは、「毎日探せ」。これはつまり、結婚というのは毎日の生活のことなんだから、毎日そのことを気にかけて「婚活」しなければならない、ということ。これは酔ってる割に妥当な意見だと思われる。

 その場で耳にした言い回しで、秋田弁の「なんてもね」。これは、なかなか興味深い、と今更のように思った。
 意味は「どうということはない」「心配する必要はない」で、対応する標準語形は「なんでもない」である。
 お気づきであろうか。標準語形に濁点があり、秋田弁の形の方に濁点がないのである。これはなかなか珍しいのではないか。
 強調するためかと思った。「なんっでも」のように「で」の前に促音が来ると割と発音しづらい。できなくはないし、耳にもするが、ちょっと手間がかかる感じがする。これを「なんっても」にすると、「っでも」より楽なような気がするのだが。
 だが、「たとえどんな困難が降りかかろうとも」という意味の「それでもやるのか」というような問いかけで、「それでも」を強調する場合は、「そいんっでも」という形になる。これはどうやら説明にならない。
そいても」にならない事は言うまでもない。「でも」が秋田弁で「ても」になる例は、ほかにはないような気がする。
 あ、いや。「あるので」「あるんで」を「あるんて」って言う人がいるような気がする。自信ないけど。ひょっとしたら、イ音便と撥音便の違いなんだろうか。
『秋田のことば (秋田県教育委員会編、無明舎出版)』は「なってもねぁ」を挙げていて、「心配ない」と説明している。音については触れていない。
 んー、なんだろう。これはちょっと継続して調べてみる。
 ググっても用例がほとんどないのが引っかかるのだが。「なってもね」はノイズだらけだし。

 実は去年、友人に紹介を受けたのだが、それが不調に終わった後、その友人からはなんの連絡もない。相性の問題だから、誰が悪いってわけでもないが、多少の気まずさは避けられない。
 に「好き連れは泣き連れ (すぎづれはなぎづれ)」という言葉を紹介した。恋愛結婚なんかやめとけ、という言葉だが、これって短慮を諫めるためだけじゃなくて、間に入った人に気を遣わせるな、ってニュアンスもあるんじゃないかなぁ、とチラっと思ったりする。




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