Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜



第798夜

洗濯機を選択




 やっぱり洗濯機を買うこととなった。つか、もう買ったんだが。
 昔の日記をひっくり返せば正確な購入日もわかるのだが、面倒くさいので記憶をたどると、前のを購入したのはおそらく 1992〜93 年頃だと思われる。土曜日なのは間違いないが、季節は不明。冬ではなかったと思う。当時は杉並在住で、ディスカウントショップでその洗濯機を購入した後、配達まで時間があったので、新宿の紀伊国屋書店までサイモン&ガーファンクルの楽譜を買いに行ったのを覚えている。確かその夜はなんだかうれしくて 3 回か 4 回、まわしたような。
 杉並の前は埼玉県朝霞市在住。駅方面にコインランドリーがあってそこまで自転車で行くのだが、近くに古本屋がある、という恐ろしい立地。暇つぶしには絶好なわけだが、暇つぶしで終わらないところが恐ろしい。あそこの古本屋には相当、落としたはずである。今もあるのかしらん。
 俺がいたマンションにはベランダがなかったのだが、どこに干してたのか思い出せない。部屋の中にロープ渡してたんだろうか。金と時間が勿体無いので乾燥機は使ってなかったはずなのだが。

 今年の初め、洗濯物を取り込むことを、栃木や茨城では「こむ」、長野や静岡では「よせる」、長崎では「とえる」と言う、てなことを書いたが、多くの人にとってこれは「気づかない方言」らしい。たしかに、「とえる」はともかく、「こむ」も「よせる」も同じ形の標準語があるし、意味もそれほど離れていない。

「洗いもの」って何だろう。俺はなんか主に食器類のような気がするんだが、ググると、主に洗濯物、って人もいる。

 書きながら色々と思い出してきた。当時は、ダンボール製の衣装ケースを使っていた。無印良品西友の NB かどっちか。今はその内の一つしか残ってないが (残ってるってのもすごいと思うが)、他の奴をいつ捨てたのか記憶にない。
 今は樹脂製のを使っているが、これを買ったのは洗濯機を買ったのとそう違わない頃。雨が少なくて渇水が心配された年である。いざとなったら水を溜めておけるよ、という話を聞いて買ったのだった。結局、そんな使い方をしたことはないのだが。
 東京にいるときは車を持っていない。自転車に乗せられるものではないから手で運ぶことになるのだが、隣の駅の商店街だったので、ちょっと距離がある。どうしたかというと、スーツケースを運ぶキャリーも一緒に買った。それは今、雑誌や古新聞をゴミ捨て場に持っていくときに使っている。一時、近くのガソリンスタンドに灯油を買いに行くときも使っていたが、今は専ら車なので、そんなこともしなくなった。去年の地震のときくらいである。

 秋田弁では、「持つ」は「たがぐ」。持ってくるは「たが () でくる」。『秋田のことば (秋田県教育委員会編、無明舎出版)』によれば、「手舁き」だそうな。「舁」は「駕籠舁き (かごかき)」という形で残っている (残っているとは言わないのかもしれないが)。
たなぐ」という言い方もある。秋田弁では「が」の前に「ん」が来て「がぐ」になるので、それがさらに「な」になったのだろう。
 意味は「持つ」ではあるが、キャリーに載せて引っ張ってきたとしても、若干の違和感はありつつ、使えないことはない。
『語源探求 秋田方言辞典 (中山健、秋田協同書籍)』によれば、「妊娠する」という意味もあるそうな。そう言われれば納得できないこともない。
「もてあまされている者」「厄介者」と言う意味の「たがぎもの」という語があるそうだ。

 その杉並のアパートでは、洗濯機はベランダに置いた。蛇口も外にあって初めからそういう風に設計されている。5 年前に長期出張でマンスリーマンションに入ったときも外だった。
 そのまま干せるから合理的ではあるが、北国ではあり得ない配置である。そういや、止水栓がなかったような気がする。建物の耐寒性は全く違うと思うから、数年に一回しかないにしても、氷点下になったら覿面に凍りそうな気がするんだが、凍ったことはなかったな。尤も、毎日洗濯するわけじゃないから、気がつかないだけなのかもしれないが。

 この項、つづく。




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