Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第754夜

うちのトコでは (後)



うちのトコでは』『うちのトコでは 2』には、一本ずつ長編がある。正確に言えば、4コマや数ページなど長短のマンガを連ねて、一つの物語にしている。
 最初は、「夢の架け橋」というタイトルで、本四架橋を取り上げている。

 これを言い出したのは神戸市だそうである。Wikipedia によれば、明治に香川の県会議員、大正期には徳島の議員の発言があるが、昭和になって本格的に動き始めたのは神戸、ってことらしい。
 なお、『うちのトコでは』における神戸は、元々、田舎の港に過ぎなかったが幕末の開港で世界への窓口となった関係で、兵庫全体の金を神戸につぎ込んで整備してきた、ということにされている。擬人化の結果、当初はオドオドとした少女だったが、現在は「神戸県に改名したほうがいいんじゃなくって?」と言い放つ縦ロールのイケイケ姉ちゃんとなっている。
 事業そのものについては、それこそ Wikipedia とか色々と見てもらったほうがいいだろうが、石油ショックだの貿易摩擦だのの紆余曲折があって、なんとか 3 ルート着工にまでこぎつける。それを現実にする資金調達の手腕から「神戸市株式会社」などと呼ばれたりしたのは有名な話。

 徳島 (自治体ではなくこのマンガに出てくる擬人化キャラ) は、海に架ける橋は技術的に無理、ということで、「ようやらん」と答える。前にも書いたが、この形は「自分に原因があってできない」ということを示す形。
 高知は当初、神戸から淡路島、徳島とつながる橋をかけ、そこに鉄道を通して流通ルートを確保することを考えていたので、神戸と歩調をあわせていたが、石油ショックによって凍結された計画を再開させる際、高知出身の建設大臣は C/P などの事情から岡山・香川のルートだけを開通させることを提案する。これに激怒した神戸が「賄賂でももらったのか」と言うと高知は「本気で言いゆうがかよ」と睨む。これは「本気で言っているのか」という意味。この「ゆう」は、瀬戸内あたりでは「よる」だが、進行形である。

 で、マンガの後編はどこにいくのかと思っていたら、1964 年の新潟地震の話が出てくる。橋着工で大忙しの神戸だが、新潟地震で落橋があったことで道路公団が補強工事を始めた。神戸は「関西に大地震なんて起こるはずないのに」と言う。そう、話はこのまま阪神淡路大震災につながっていくのである。
 あんなに忙しくしてたら死ぬぞ、と徳島が言うのに対し、淡路は「(擬人化キャラだから死なないが、街が死ぬのは) ヒトに捨てられたときだけ」とつぶやく。
 そしてあの地震。
 神戸 (繰り返すが、擬人化キャラの姉ちゃんのことである) は、重症の状態だが、架橋工事を止めるな、と言う。神戸港が使えなくなったので、大阪や京都、関東でその代わりを引き受けることになる。それは逆に言えば「神戸無しでの物流再構築」である。避難したのだから当然なのだが、人口も流出する。神戸が恐れていたのはそれなのだ。ヒトがいなくなれば、街は死ぬ。
 ラストでは、それでも「神戸が好きだから離れない」という人々の姿を見た神戸の涙が見られる。ここは泣ける。

『うちのとこでは 2』は、「おいでよ、よさこい!」というタイトルでよさこいが取り上げられる。あの、気がついたら全国で行われていたよさこい。
 マンガは、戦後の高知で始まる。なお高知は、鼻に絆創膏を貼った少年の姿になっている。高知は、形などどんどん変わっていい、ダメなものなら放っておいてもなくなる、という柔軟な姿勢で祭を始める。
 それを視察に来た北海道 (背の高い好青年) が自分のところでもやりたいともちかけて、YOSAKOI ソーランが生まれる。

 マンガの中で、高知は阿波踊りを参考にしたことになっている。高知はそんなこと「関係ないでないで」と言っている。これは「関係ないじゃないか」ということ。どちらも「ない」が二つ並んでいるのだが、そこに挟まっている語がちょっと違うだけなのに方言っぽく聞えるのは不思議だ。これは、長野あたりで言う「行こう」と誘うときの「行かず」でも感じる。標準語でだって「行かない?」と言うから「行かず」でも理屈は同じはずだが、でも「え?」と思ってしまう。

 俺もヤートセ秋田祭を一度見たことがある。確かに大賑わいで、踊ってる人たちは楽しそうである。が、かすかに違和感はある。踊りがあまりに見事なので、やっぱり竿灯と同じ「見る祭り」になってしまっている。
 よさこいにしろ YOSAKOI ソーランにしろ、問題は山ほどあるようで、爆弾事件まで起こっているという。マンガでは、高知が「よさこいって警備するようなもんじゃったか?」と悩んでいる。
 だが、「皆、好きでやりゆうがじゃ」という言葉で救われる。これも泣ける。

 最初に書いたとおり、このマンガはステレオタイプを強調してある。したがって、頭の固い人には向かないが、それはそれとして、と楽しむことのできる人にはお勧めする。勿論、間違っている、と思ったら作者のもぐら氏にメールして情報提供もできる。

 地震の話が出てきたのでちょっと触れておくと、「週刊ことばマガジン」は休止中である。自粛とか、何かと風あたりの強い電力業界が提供しているからとかではなく、おそらく太平洋側ではそういう番組を作っている余裕がないのだと思われる。事情が事情だから、早く、とは言わないが、復活を心待ちにしている。




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