Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第755夜

フィールド言語学?



「日本語学 (明治書院)」5 月号の特集は「フィールド言語学と文法」である。
 わかりにくいかもしれないが、「フィールド」なので実地調査、聞き取りとかそういうのが含まれる領域。そういや、『言語』にはそういうのをとりあげた連載があったような。
 実地調査なので、その言語または方言を話す人がいなければならない。中の記事にもあるが、100 年後には地球上の言語の数は半減しているという推測もされており、「危機言語」の領域でもある。で、「世界中の料理がコーラとハンバーガーだけになってしまった」とか「世界の言語が日本語と英語しかない」とかいうたとえ話が出てくるのだが、そうすると「得られる知見は非常に狭いものになってしまう (『フィールド言語学における「文法」の位置』角田太作)」とされている。実利的な目的でやるようなものではない、ということなのだ。
 勿論、「理論言語学とフィールド言語学 (平岩健)」には「理論言語学と地域社会へのフィードバック」という節があり、学者がデータをとるだけとって帰ってしまう「搾取問題」にも触れられていて、実利面が無視されているわけではない。角田氏の文章だって、学問の目的に「人類文化のため」といような項目を挙げているのだが、このあたりは非常に学術雑誌らしいと思った。

「未知の言語の文法をとらえる (北野浩章)」では、フィリピンのカパンパンガン語について紹介している。例文がいくつかあって、その中に「先生」という単語が出てくるのだが、それが“maestro”である。スペインの植民地だったときに入ったんだろうか。
「カパンパンガン」語は「パンパンガ」州で話されているらしいのだが、「カパンパンガン」の「パンパンガ」は地名だろうと思う。でも、その関係についてふられれていない。冒頭の「カ」って何。

「宮古池間方言の調査について (田窪行則)」は、宮古島市の池間島の言葉について紹介している。タイトルのは「方言」はどうやら、琉球語の方言という意味合いのようである。
 この中の「トーン」がよくわからなくて調べてみた。N 型アクセントともいうらしいのでそれを手がかりにしたのだが、つまりパターンが決まっている、ということ?
 因みに、標準語というか東京方言の基本的なアクセントは「語のどこで下がるか」というのがポイントとなる。つまり、長くなればなるほどパターンは増えるわけ。
 田窪氏らは、もともとパターンが二つとされていた池間方言に、実はパターンが三つあることを発見した。これは、耳で聞いてもわからないことがあるが、音声分析ソフトで波形を表示させるとはっきりわかるのだそうだ。
 それはつまり、日本人にとっての“si”と“sh”みたいなもので、自分達が区別しないから識別できない、という種類の違いだろうか。ネイティブが使い分けているということは、彼らは発音し分けることもできるし、聞き分けることもできるわけだから。
 池間方言にかぎらず琉球語には係り結びのルールがある。古典の授業で「ぞなむかや連体」とか覚えた人もいると思うが、あれのことである。が、たとえば日本語の動詞は基本的に終止形と連体形が同じ形である。そのため、係り結びの法則が作用しているのかどうかわからなかった、という辺りが興味深い。
 また、老人は、自分が納得しないと例文を読んでくれないことがある、というのも興味深い。ここでは「顎もない」という例文が取り上げられているが、老人の場合「顎のない人はいない」と言って、これを発音してみてくれないのだそうである。確かに、理屈としておかしい。苦笑しながら読む人もいるかもしれないなぁ。

「動的体系としての方言に迫る (中山俊秀)」は理論の話がほとんどで実例が少ないので理解できたとは言えない感じだが、文法が動的体系、開放系であって固定的なものではない、というのはその通りだと思う。ちょっと引くと:
ある一時点での言語の状態、「共時態」を取り上げた場合でも、そこでの文法体系のあり方は常に歴史的変化の積み重ねから来る矛盾を相当抱えているわけで
 とある。
「正しい日本語」教のかたはちょっと読んでみるとよい。

「文法記述におけるテキストの重要性 (下地利則)」では、テキストの種類と研究対象としての特徴について触れているが、これがなかなか興味深い。
 例えば調査の対象者にその人の個人史を語ってもらうとする。自分のことだからスムーズに進むと考えられるが、歴史なので過去表現が多く、未来表現などは出にくい。
 描写は、絵などを見せてそれを説明してもらうものだが、これもスムーズに行く。代名詞が出てきやすく、「これ見てみて」というような表現も観察できる。下地氏は対象者が退屈していると感じると、これに切り替えるそうである。

 雑誌の記事に対する印象を並べただけの、非常にうすっぺらな文章になってしまった。しかも、ほとんど方言に触れていない。まぁ、今更、気にしないけど。
 なにせ夕べの仕事は 3 時までかかって、したがって正しい日本語で言うと「夕べの仕事」ではなく、一方で医者に予約が入っていたので 7 時に起きなければならず、激しく睡眠不足。車もかなり雑な運転となっていた。
 おやすみなさい。




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