ご飯の話、もう少し。
こないだ、その高級米を研いでから炊飯器のタイマーをセットして、翌朝、蓋を開けたら妙に量が多くて艶がない。やってしまった。秋田弁で言うところの「
めっこまま」である。
米の澱粉は吸収が悪い。「β澱粉」と呼ばれる型なのだが、加熱することで吸収の良い「α澱粉」となる。そうするには 100 度近い温度を 20 分キープする必要がある。そこまで温度を上げることができないと
めっこままになってしまうわけだ。
昨今の高機能炊飯器では難しいかと思えばさにあらず。研いで水に浸した米を一晩中、保温状態にするだけでよい。俺の簡易型炊飯器の場合、時間を設定してもセット ボタンを押さないとそういう状態になるので、二年に三回くらいの頻度でやらかす。
これはもう捨てるしかない。リカバリ策がないこともないようだが、それをやってる時間はないので、涙を呑んで釜からかき出す。
水が 100 度になる前に沸騰してしまう高地では
めっこままができやすいので、登山などであれば前もってα化してある米を使うとか、そういうところに住んでいるのであれば、圧力釜を使うとか、高地対応の炊飯器を使うとかの工夫が必要になる。
「
めっこめし」という言い方もあるようだが、仲間であろう。『 (秋田県教育委員会編、
無明舎出版)』では「固め」と「片目」をひっかけて「目っこ」なのだ、としているが、『語源探求 秋田方言辞典 (中山健、秋田協同書籍)』は、「煮える」が「
ねる」と発音されることがあり、それが「寝る」になって、「片目は寝てて (煮えてて)、片目は寝ていない (煮えてない)」と説明している。実は同じ解説なんだろうか。
「
ごっちんめし」は西日本だが、いかにも硬そうな雰囲気はある。
「
ほち」という形もあるらしいのだが、どのあたりで使われるかの情報がイマイチ見つからず。中国・四国あたりか?
「
がんだめし」は関東あたりらしいが、なんだか連邦軍のモビルスーツみたいな名前だ。
関係ないけど、第一話でガンダムが立った場所って「大地」じゃないよな。何を今頃、って話だし。
さて、ご飯を炊く前の作業。
米を研いだ後、水につけておく。これを秋田では「
うるがす」と言うのだ、というのは何度も触れた。
北海道や新潟などでは「
うろがす」という形もあるらしい。
「
かす」という言い方がある。東海から北陸辺りの例が見つかる。
すっかり忘れていたが、これは自分でも
取り上げていて、「浸す」「淅す」と書く。さんずいで想像できる通りの意味である。
*1
で、面白いのは、米を水につけておくことだけを指すのではない場合があるらしい、ということである。研ぐ作業も含むことがあるようだ。
ウェブの記事を見た限りでは、個人差じゃないのだろうか、という気もしないことはないのだが、そもそも、ご飯を食べることが主目的なわけだから、一連の作業でもあることだし、研ぐ作業と水につけておくことをわざわざ分けて考える必要はなく、それはそれで理にかなったことなのかもしれない。
「
かす」自体は、例えば衣服の汚れを取るためとか、野菜類の灰汁抜きのためにつけておくことも指すそうだ。別に米専用の語ではない。
やることは一緒だが、秋田弁の「
うるがす」はそういう場合には使えない。「
うるがす」はふやけることを想定している様な気がする。
「
かしく」という形もある。これは福井の例が多い。古語辞典を引くと「炊く」と書くことが解る。
また、炊飯可能な状態に持っていく作業全体を「
しかける」という地域もある。山口の例が多いが、宮崎という記事もある。俺の語感で言うと、作業全体というより、最終的に炊飯器にセットすることを「
しかける」と言い、それがその前段階をも含む、ということなのではないかと思う。「
かす」と同じような考え方かしらん。
さて、炊き上がったご飯を茶碗に――
標準語形は、一応、「よそう」である。「装う」と書くのだが、本来は食事の用意をすることを指すらしい。
「よそる」は、大辞泉によれば、「よそう」と「盛る」の混交だそうな。俗語ではあるが、俚言ではない、ということになる。
「
つぐ」「
つける」という形もある。どうも、あちこち読んでみたところでは、一概に俚諺形とはいいづらい感じがある。例えば、「
つぐ」は西日本らしいのだが、北陸の例もあったりして、ちと絞れない。まぁ、近いってば近いが。
「
つぐ」のは酒などの飲み物って語感。
しかもたくさん飲むもの。コーラはつげないような気がする。あるいは、「継ぎ足す」の「つぐ」に引っ張られてるのかもしれない。
なので、俺個人としては「ご飯をつぐ」には違和感があるが。だとするとやっぱり地域差なの?
そんなこんなで高級米はみな食ってしまった。
確かにモチモチしてて冷えても艶がある。さすがあきたこまち。
でも、ほかの新米と区別がつくか、って聞かれると困ってしまう辺り、やっぱり俺は高級米なんぞ食う資格はないのではないか、という気がしてしょうがない。