Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第659夜

一方通行



 ここはトップページにカウンターを置いてある。
 それがここのところ大台を切ると言うか危険水域に入ったと言うか、ともかくそういう数値になっている。早く言えば、誰も読んでねぇなこりゃ、という感じ。
 内容がスカスカになってるという自覚はあるのだが、それに加えて、文章がなってないようだ、ということに気づいた。
 気づいたきっかけは仕事で、ここのところ、仕事で書く文章がわかりにくいという評価をたて続けに食らっている。俺の文章ってダメなのか? と思い始めているところで、一旦、そういう目で見始めるともうどうしようもない。アラが山ほど見つかる。

 それはさておき (おくのか)、俺の文章にダメ出しをする職場の人たちの言うこと、実はこれがわかりにくい。質問されても何を聞かれてるのかわからないことが多い。おそらくそこに壁というか溝というか深くて暗い川があって、ダメ出しはその結果であろうと思っている。
 目下、職場で文章を書く作業は、作文ではなく翻訳のような気がしているところである。

 多分、引越しして自分の慣れた言語環境とは別のところに入り込んだ人はこんな感覚を抱いているのではないか。
 別の言語なら腹をくくれるからいいだろうが、方言の場合、なまじ似ているだけに切り替えが難しい。
 まるっきり違う、全く聞いた事のない単語がある分にはさほど問題にならないと思う。聞けばすむ話だし、おそらく多くの場合、話す方も、あぁそれはほかの地域では通じないだろうな、ということは理解するはず。
 面倒なのは文法の違いであろう。何度も取り上げているが、西日本での「降りよる (進行中)」と「降っとる (完了)」のようなアスペクトの違いなんかが典型例か。
 こうやって並べる分にはなんとかわかるが、いきなり「降っとる」を聞いてそれを正しく理解できるかどうか、となると、無理ってことになるんじゃあるまいか。
 秋田を含む東北で使われる、「いらっしゃいますか」に対する答え、過去形のように見える「居だ」とか。これは「た」だからって過去ではなく完了形で、つまり、今もいるのである。説明されないと、「じゃ、今はどちらに」とか聞き返しそうだ。多分、それにも「居だ、居だ」って帰ってくるんだろうが。

 これって、「こちら、ミソラーメンになります」と似てたりしないかしらん。

 あと、齟齬をきたしそうなのは、「気づかない方言」か。
 言っているネイティブの方はそれが方言だなんて思っていない。外の人にも通じると思っている。「気づかない方言」の特徴は、標準語と形が同じ、またはそっくりなことだから、外の人はそのそっくりな語の意味で理解しようとする。そこで「は?」となればいいが、誤解という形で理解されてしまった場合は問題が起きる。
 たとえば「しあさって」とかな。うかつに使うと約束が守られないことになる。
ごあさって」まで行けば、全国で通じる言葉ではなくなるので「は?」系、さほど問題はあるまい。
 大昔、津軽での「あさって」を紹介したこともある。「あさって来い」と言われた人が、二日経ってから行ったら約束の日は過ぎていた、というのもの。この「あさって」は「歩いて」という意味。言ったほうは、やってくる手段を説明しただけだったのだった。

 方言話者が、標準語を代表とする他方言でコミュニケーションをとるのは、翻訳作業に近いらしい。一回、自分が言おうとしていることを意識に上げて、翻訳してから口にする。
 俺が上京したときはどうもそういう意識はなかったような気がする。アクセント、イントネーションは一部おかしかったらしいし、“1kg”を「いっきろ」というのが標準形ではない、ということも知らなかったが、それが原因で口下手になった、ということはない。もともと口下手だし。

 そろそろ冒頭の話に戻るが、学生として上京したような場合、周囲が友人であれば、多少の問題はあっても理解してくれようとする。「田舎の人だからしょうがないよね」というような余計なお世話のケースもあろうが、まぁ好意的である。
 が、仕事ではそうはいかない。客やら偉い人やらは、別に理解してやる義理はない。こっちから、理解してもらえるような言い方をしなければならない。
 そういうことは例えば『プレジデント』みたいな雑誌にも時々書いてあって、ふーん、と思ってたが、いざ自分がその立場になってみると、それはちと理不尽ではあるまいか、と思ったりする。逆に、仕事なんだから、と言わせてもらえば、人がわかりやすく報告してくれるのを待ってる、というのは間違いじゃないんだろうか。




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