Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第638夜

江戸語東京語標準語 (後)



『江戸語東京語標準語』に借りた文章、後編。

 教科書に目を戻すと、「おとうさん」「おかあさん」が全国的に使われるようになったのは教科書のおかげ。ただし、特に東京辺りでは非難轟々。
 これは西日本系の表現なので、「坊っちゃん」では、主人公が「おっかさん」と言い、下宿の婆さんが「おかあさん」と言っている。
「カ」を「ク」と発音するのは、今でも秋田の老年層で観察されることがあるが、日本のあちこちで使われていた。これを「カ」にしたところ、やっぱり非難の嵐だったそうな。
 ところがこれもやっぱりいつの間にか定着してしまう。ただ、教科書の方は「カ」にしたり戻したりでブレがあったようで、統一されたのは戦後だそうだ。

 話は大正・昭和に飛ぶ。
 NHK ができ、アナウンサーという職業が生まれる。
 昭和初期にはアナウンサーはすべて東京採用で、一括して育成してから地方に配属、というシステムになっていたらしい。
 条件として、両親とも東京出身、できれば山の手、というようなのがついていたのだそうで、ということは下町の言葉は既に「標準語」としては否定されていたことになる。
 やがて始まるラジオドラマの演者もその線で選んでいたというからすごい話である。
 その人たちは舞台役者から選ばれていたが、そのうち、東京放送劇団というのができる。ものすごい講師陣と、二年というおそろしく長い訓練期間 (前述のアナウンサーが二ヶ月である) を経て最初に放送したのが、地方を舞台にしたドラマ。
 これが、なんで方言のドラマをやるんだ、って非難を受けた、というのもすごい。時代を感じるというだけではすまないものがあるような気がする。

 やがて第二次世界大戦になる。
 ここで面白い話が二つ。
 多くの人々が戦争に引っ張られていくが、その過程で、標準語神話が崩壊した、というのである。
 それは、都市部は田舎に比べてホワイトカラーが多い。農村出身者に比べると体力に劣る。その結果、都市部の人々からなる部隊はどうしても遅れをとる。
 また、食糧難で都会の人は田畑のある田舎に頼らざるを得ない。疎開というものもある。その結果、都会と農村、東京と田舎の立場が逆転した、という。
 もう一つは国防婦人会、愛国婦人会。あわせて会員 1,000 万人と言うからかなりの規模だ。これは、事情はどうあれ、女性の社会進出である。

 話は戦前に戻る。
 柳宗悦が沖縄に行った際、方言札に代表されるような「撲滅運動」を見て、それを痛烈に非難した。沖縄は沖縄で、県の方針として標準語化を図っているところだったから、真っ向から衝突。この本によれば、警察まで出てきて柳一行を弾圧しようとしたのだそうである。
 ひでぇなぁ、と思いつつこの話をググって調べてみたら、「オリエンタリズム」という表現にぶつかって、ちょっと目が覚めた。
 前にも書いたが、「オリエンタリズム」というのは、ものすごく乱暴な言い方をしてしまうと、「自分が持っていないものに対する高い評価」である。で、困ったことに、高い評価を与えているのに、そこに偏見が伴っている。さらに乱暴を重ねれば、「上から目線で与える高い評価」である。
 別に、柳宗悦がそうだと言うのではなく、自分がネイティブでない方言に対してとやかく言うのは、ひょっとしたらオリエンタリズム的な面が否定できないのではないか、と思ったのである。自分がネイティブでない、自分にとって異質なものに対して公平な評価はできないってことかもしれない。
 ものすごく卑近なところで言ったって、方言話者が方言を捨てるにはそれなりの理由があるわけで、それをつかまえて「方言の衰退」とか外から言うのは間違いなのかもしれない。
 それはひょっとしたら、自分の言葉遣いと若い人の言葉遣いが違うと口を極めて罵詈雑言を投げつける「正しい日本語」教とおなじベクトルなのかも。

 とは言いながら、標準語、またはある一定の表現形式を押し付ける、という行為にはやっぱり賛成できない。
 この本の最後でも、「あれもあり、これもある」と書いている。一色に染まってしまうのは気持ち悪い。




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