Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第563夜

スタンドから入れる



 会社の指示で、ビジネス関係のセミナーに出席した。部下とのコミュニケーションみたいなことが主題である。
 その講師は、イントネーションこそ標準語風だが、イ段やウ段の母音がはっきり発音されることから関西の人であることが一発でわかるタイプ。
 それ自体はその人のパーソナリティに属するし、時折、はっきり関西弁になって笑いをとるのも受講生の集中力を維持するには必要なものであろう。
 が、ときおり妙な説明をする。
 受動的であってはいけない、ということを言うときに、“passive”という英単語を持ち出してきたのだが、これについて「通過してしまう」ということだ、と“pass”で説明していた。
 残念ながら、この二つは全く経歴が別で、“passive”は“passion”、“pass”は“pace”と関連する語である。
 尤も、その時点での形だけで説明する民間語源みたいなのはどこにでもあって、ビジネス会話で使われそうな別の例を探すと、「『挨拶』ってのはどちらの字も手偏であることわかるとおり、人の手と手を介して行われるものだ」なんてのがある。
「挨」は本来「押す」「叩く」、「拶」は「迫る」という意味で、「挨拶」という語も「押しのけて進む」という意味。まぁ、手でやることに変わりはないが、これが、禅宗での問答を経て、いわゆる「あいさつ」となったのは日本独特の使い方である。日本でそうなんだからいいじゃん、というのであれば、手偏がどうこうと漢字の成り立ちにまで戻ってはいかん。

 上の、イ段やウ段の母音、というのは東日本の人にはわかりにくいかもしれない。たとえば、「学習曲線」「忘却曲線」の「曲線」にある「く」を、気持ち唇を突き出すような感じで言ってみるとわかる。東日本、つまり標準語の発音ではここの母音が弱くなって、うっかりすると「きょっせん」のように聞こえることもある。だから「忘却曲線」はカ行音の連続であることも手伝って「ぼうきゃっきょっせん」のようになることもある。
 その「く」をマスターしたところで、「学習曲線」を
がくしゅうきょせん
 ではなく
がくしゅうきょせん
 と発音すると、関西風「学習曲線」のできあがり。

 人間が人との会話で受け止める情報の中で、「言語そのもの」「音声」「視覚」の占める割合はどれくらいか、という話題が出た。大雑把に言うと、それぞれ 10%、30%、60% である。つまり、我々は言語でコミュニケーションをとっている、と思いがちだが、言語から取得している情報は一割しかない。
 言語学関係の分野ではよく出てくる話だし、このセミナーの直前にも映画関係の文章で、ちゃんとした作品であれば音声を消しても理解できる、というのを読んでいたので、うんうんとうなずきながら聴いていたのだが、当惑した人は多かったようである。“face to face”の会話、電話、メールの順で意思の疎通が難しくなることを考えればわかると思うのだが。

 休憩時間に、車の話をしている人がいた。お互いに知っているガソリンスタンドがあったらしく、「よぐあそこのスタンドがら入れます」と言ったのを聞いてびっくりした。
 いや、格助詞についても地域によって違いがあるのは知っている。困ったことに、秋田でどうなのか、ということがわからない。どっかでそういうのを呼んだような記憶もあるのだが、見つけ出せなかった。
 しょうがないので、いつものごとく楽をしてググってみる。
 が、「スタンドからいれる」の例は皆無。
 これで手がかりは途切れる。「から」の方言的使用方法なんて探しようがないじゃないか。

 唯一思い出せたのは、鳥取方言。「から方言」という言葉もあるくらい特徴的なのだが、それはまさにこのパターンで、ある行為が行われる場所について「から」を使う。前にも使った例で恐縮だが、普通は「二階から転んだ」って言われると大慌てするはずだが、これは単に二階の畳の上で転んだ、という意味で、二階から地面に転落したということではない。
 これと「スタンドがら…」の違いは、「入れる」という動作がもともと、「タンクから入れる」「給油口からいれる」と、「から」との関係が深い、ということである。したがって、そこの部分だけを聞くと違和感はない。仮にこれが、(例がないことを根拠に) 単なる誤用だとすれば、誤用が生まれる土壌はあった、ということである。

 ちなみに、「二階から」で調べたところ、「二階から目薬」という諺をネタにした記事が多いのでびっくりした。興味のある人は調べてみてくださいな。

 俺の仕事はプログラマで、順調だと数日もの間、人と口をきかないことがある。しかも別の会社に派遣されている。
 同じ会社の同僚はいて、事務手続き上、俺は彼の上司なのだが、仕事面で言えば、派遣先の社員に使われている、ということで対等。このセミナーが役に立つの見込みは今のところ、ない。




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