Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第197夜

ふるさと日本のことば (7) −埼玉、大分、鳥取−



埼玉県−見んべぇ (7/30)−

 さて、東京のお隣の登場である。この、首都圏を構成する地域をどう扱うのかが前から楽しみだった。東京自身もだけどな。
 案の定、冒頭のインタビューでは、方言は無い、という回答のオンパレード。まぁ、浦和だったらしいから、それも当然か。
 それでも、「熊谷や深谷の方だったら」という回答があったのは、浦和の人は、県内にも言葉の違いある、という認識はもっているということであろう。

 森村氏は、県北部のことを「けんほく」と言っていた。
 秋田では「けんぽく」である、という話はにもした。この番組を見て、「県」に東西南北をつけて呼ぶやり方があまり多くない、ということがわかったので、これについては再検討する必要があるだろう。

 俺も埼玉県 朝霞市に 3 年ちょっと住んでいた。
 街との波長はかなり合っていたと思うのだが、言葉にはあんまり記憶が無い。近隣住民との接触もあまり無かったが、朝霞市は和光市を挟んで板橋区に隣接しており、だいぶ東京よりの地域。おそらく、埼玉の独自色をはっきりと感じるにはもうちょっと先、川越辺りまで行く必要があるだろう。

 「はぁ」が「もう」であるという。秋田弁と一緒。
 栃木・群馬辺りまで行けば、言語的には東北だし、日光街道〜奥州街道ということで行き来もある。東北弁との類似点は探せば多いのではあるまいか。

 それはともかく、「かったるい」が埼玉弁である、というのには驚いた。
 荻野氏によれば、「腕 (かいな) だるい」の変化である可能性もある、ということだが、元々は、何かをした後の疲労感であったもの。現在の若者は、何かをする前の、気乗りしない状態を表現するのに使っている。
 意味の変化ではなく、借用であるという。
 そして、改まった場所では使用されない「新方言」。
 他にも何例か挙げられていたようだが、埼玉起源の全国共通後って他にもたくさんあるんじゃないか。
 漫画なんか読んでると「何やっとるん?」「そうなん?」あたりは目にすることがある。尤も、これは「ん」を付加することによって、コミカルな、あるいはかわいらしいイメージを出そうとしたもので、埼玉弁とは無関係かもしれないが。

 それにしても、ゲストに森村 誠一を持ってくるとは思わなかった。さだまさしかと思った。
作家 森村 誠一
東京都立大 荻野 綱男
浦和放送局 大沼 ひろみ


大分県−みちょくれ(8/6)−

 真野順子を久しぶりに見た。眼鏡をかけるとインテリ顔。
 上京当時、先輩にアクセントのおかしいのがあったら直してくださいと頼んでいたそうなのだが、「直してくださいって…正してくださいって意味なんですけど」と訂正していた。
 これは訂正の必要は無いわけである。「なおす」を「片付ける」という意味で使う地域があって、それに引きずられたのかもしれないが。
 具体的には忘れたが、先週の森村誠一もやっていたような気がする。
 ひょっとして過剰修正という奴か。

 山歩きの好きなおじさん二人が出てきておしゃべりを繰り広げる。
 繰り広げるのはいいが、一寸もありそうな蜘蛛が出てくるのには参った。俺は食事中なのだった。

 語彙としては、「すもつくれん」が面白かった。
 意味範囲がはっきりしなかったが、「役に立たん」「無意味な」「つまらん」ということらしい。年寄りが、テレビゲームに現を抜かしている子供に対して「すもつくれんようなことばっかり」という風に使う。
 これ「巣も作れない」ということだと理解していいのかなぁ。

 「むげねぇ」は「無碍に」か。秋田弁の「むどさがねぇ」に近いといえば近い。
 「さかしい」は意味が全く違った。年寄りが達者である様子を言うらしいのだが、秋田では文字通り「賢い」である。

 これまた驚きだったのだが、大分は海路を利用すると四国や中国に近い。その結果、九州弁っぽさがやや薄いのだそうだ。会話例が妙に聞き取りやすいと思ったのはそのせいだったのだろうか。
 更に、県東部の日田あたりになると、大分市よりは福岡市のほうが近くなるのだそうだ。古くから筑後川を通して交流があり、言葉も似通ってくるらしい。
 この番組を見ていると、現在の県境には無理があるのだ、ということがはっきりとわかってくる。

 吉六四ばなしが紹介されていたが、大分って雪降るのか。
 九州って、どこまでが降雪地域なんだろう。

 「よだきい」ってのは上司に向かって使っていい言葉なんだそうである。このことが吉六四笑学校の人の、「きちんとしたコミュニケーションの成立していない社会には『よだきい』は通用しない」という言葉の前提になっているわけだ。
 敬語体系が整ってないことについちゃ秋田も負けてないが、用事を言いつけられて「こえ」とか「うだで」は言えねぇよなぁ。

 父親の話を信用するなら、俺の血筋はずーーーっと遡ると大分に行き着くらしい。
 行ってみてぇなぁ。
女優 真屋 順子
大分大学 日高 貢一郎
大分放送局 石川 光太郎


鳥取県−(8/27)−

 MALTA が団塊だとは思わなかった。

 鳥取といわれてもピンと来ないのだが、「ことばの袋小路」という表現が興味深い。
 つまり、岡山との県境に高い山があって人の行き来が難しい。したがって、言葉は東西から入ってくる、というのである。
 ジャガイモのことを、東部と西部で「キンカイモ」というのに、中央部だけが「コーボーイモ」。これは、後から発生した「キンカイモ」が東西から入ってきたためであるという。
 しばらく経つと「コーボーイモ」が両面攻撃を受けて駆逐されるのが通常の流れだが、その前に「ジャガイモ」が全体を席巻してしまうのだろうなぁ。

 戸をたてる、という言い方は由緒正しいものである。まぁ俺自身も、つい最近まで意識していなかったのだが、「あけしめ」ではなく「あけたて」というのが正しいのだった。
 これが高年層では生きているらしい。やっぱり若年層には通じないそうだ。

 「から方言」ということで、学者の間では有名らしいのだが、鳥取では、場所を示す「で」が想像される場所に「から」が来る。
 したがって、「2 階から転んだ」なんて大事故を連想させる表現が普通に通るわけだ。
 鳥取大学が取材されていた。学生の 8 割が県外というのは驚いたが。
 「学食から食べる」「研究室から勉強する」などという例が採取されていたが、気になったのは、これが鳥取方言であることに、大学に入るまで気づかなかった、という人が少なからずいる、ということだ。
 確かに、「で」も「から」も標準語形にあり、この「から」が方言であることに積極的に気づくチャンスはない。しかし、テレビや様々な文章で「から」が使われていないことに気づくチャンスは山ほどあったはずである。なのに気づかなかった、というのはどういうわけだろう。
 まぁ、「気づかない方言」の一例とは言える。
 ちょっと意地悪な見方をすれば、こういう人がいる限り、方言はなくならないわけだ。

 地域特性として、鳥取といえば砂丘。
 したがって、畑を作ろうと思ったら海から遠く離れなくてはならない。つまり山の方向である。
 その結果、「畑に上がる」という表現が生まれる。これは、福部村の話。

 それにしても、森下氏の話の腰を折ったり、MALTA との話が噛み合ってなかったり、今ひとつ会話が流れなかったように思えるのは気のせいか。
サックス MALTA
元鳥取大学教授 森下 喜一
鳥取放送局 佐藤 洋之




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