Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第544夜

動揺する童謡



 いきなり方言ではないところから入るが、「浄書」という単語がある。辞書的な意味としては「草稿などをきれいに書き直すこと。また、そのもの(大辞林)」で、「清書」と同じ意味だが、音楽の分野では、「楽譜の、印刷目的の清書」のことを言う。
 俗語的表現ということではなく、「一般の単語として辞書に載っているのだが、ある業界では意味が違う、あるいは、ものすごく限定された意味で使っている」という単語も相当あるんだろうなぁ、と思った次第。
 コンピュータの世界では、「環境」なんつーのがそうかなぁ。プログラムを動作させるためにあれこれ設定することで、決して温度のこととか水質のことなどではない。
「環境」は、なにか本体になるものがあって、その周囲を指す言葉だと思うのだが、ことコンピュータのプログラムに関して言えば、「環境」は、それ自体が持っているデータの設定である。
 というわけで、こないだ「いなたい」を取り上げたばかりであるが、わずか一ヶ月ちょいで再び、音楽の話。

 単に「歌と方言」では必要以上に範囲が広くなってしまうので、「浄書」から入ったことでもあるし、「楽譜と方言」でやってみたら、童謡の類が引っかかった。たとえば盛岡タイムスの記事 がそうなのだが、消えかかっている各地の童謡 (ここでは子守唄だが) を記録する、というような話。
 個人的には、楽譜 (というか、音楽の表記法、「記譜法」) には「方言」があるのではないか、と思っている。
 邦楽の楽譜をテレビとか雑誌とかで見たことがある人もいると思うが、あれは縦書きで、遠目には漢文のようにも見える。これと五線譜との違いは言語差ということになると思うのだが、和楽器の場合、流派で違ったりするんじゃないだろうか。
 実は、今回の話は、その線で手をつけたのだが、「方言」について明確な記述が見つけられなかったので、ちょっと軌道修正をして、こういう形になった。

 で、童謡のほうだが、思いっきり東北弁で歌われる「どじょっこふなっこ」。これを「作詞:東北地方方言」とかって書いてるページがあって、なんじゃそりゃ、と思ったことであった。作詞者不詳というようなことを言いたいのだろうが、言いかえだとしてもおかしい。
 で、これについては、作詞者不詳ではないらしい。あちこち調べると、ちゃんと豊口 清志という名前が出てくる。
 秋田の歌なんだってよ。しかも、発信源が金足西小学校とえらくはっきりしている (平成 16 年のページに記述がある)。広めたのは玉川学園。旅行中に立ち寄った秋田でこの歌を聞き、気に入って取り上げた、というようなお話。
 ただ、同様の歌はあちこちにある、というような話もあり、諸説紛々、みたいな雰囲気もあるので、「東北地方方言」みたいな書き方をされてしまったりするわけだ。たまに「民謡」って書いてるところがあるが、それはまたまったく別の意味だろうに。
 歌詞は、まぁそんな事情だから本当に秋田弁かどうかってことをさておいても、濁音度の低いものになっている。広まったのが合唱系のルートで、濁音には格別の注意が払われただろうから、その線で変化したんだろうか。
 秋田弁としては、たとえば「夜が明けたと 思うべな」は「夜が明げだど」の方が正確である。

 福島雄次郎という作曲家の名前が多く出てくる。熊本出身、鹿児島の大学の教授をやった人だが、奄美大島の民謡を題材にした曲が有名らしい。『同声合唱とピアノのためのおもしろ方言遊び』というそのものずばりの楽譜集も出ている。

 外国の例も一つだけ。
「ロッホローモンド」というイギリスの民謡がある。“Loch Lomond”と書くのだが、“loch”はスコットランド語の「湖」、つまり、英語の“lake”である。方言とは言いにくいわけだが、まぁ勘弁して欲しい。
 なお、かの「ネス湖」も“Loch Ness”である。

「七つの子」は、「可愛い可愛いと鳴く烏」の歌だが、これは「聞き做し」だという話がある。 鶯が「法華経」と鳴いていると聞くように、「カァーカァー」を「カワイカワイ」と聞いた、ということだ。瀬戸内でそういうところがある、という話を聞いた。

 この歌、今は「かーわいーいー」と音符を割るが、本当は「かーぁわーいー」だったらしい。
 似た話は、「雪」という歌にもある。大方の人は「雪やこんこん」だと歌ってると思うが、正しくは「雪やこんこ」である。
 と断言はしてみたが、これまた両論あるらしい。
 というのも「こんこ」って何、というのが歌詞からは解明できないからである。作者不詳なので確認のしようもない。
 Wikipedia にあったのだが、一番の後半部分は「山も野原も」で始まる。「犬も喜び」につなげてしまうことは確かに多いかもしれない。

 この領域には「唱歌の改ざん」というような話題もある。さぐっていくと「正しい日本語」に行き当たったりしてなかなかに深い。
 個人的には、(原典と違う、というのは別として) 芸術作品に「正しい」という物差しを持ち込むのは間違いだと思うが。




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