Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第538夜

音楽用語と方言



 こないだ池袋に行ってきた。
 またかよ、って声が聞こえてくるが、今回は足代がタダなので勘弁していただきたい。
 俺の 2006 年をズタズタにしてくれた、かの東京長期出張だが、おかげでマイレージがたまり、国内往復航空券がゲットできた。したがって、必要なのは宿代とメイン イベントであるゴダイゴのコンサートのチケットのみ。
 正確に言えば、東京芸術劇場が企画したコンサートで、ゴダイゴのデビューアルバムに収められている組曲「新創世記」を、多くのミュージシャンとの競演で膨らませたもの。
 金曜日だし、ファンの人たちの話を聞いてたらいい席は割とすぐになくなってしまったらしくあきらめていたのだが、ものは試しで電話をしてみたら二階の前の方の席があっさり取れたので行くことにした。
 大きな会場なのでちと不安はあったが、一階の後ろよりはいいのではないか、という読みは的中、端の席ではあったが、クラシックの会場によく見られる楕円形に近い構造のため、全体のポジションとしては決して端ではない、という絶好のポジション。上だから楽器のセッティングまでしっかり見え、なかなかの席であった。

 今回改めて思ったのだが、東京はやはり方言の宝庫である。電車の中、あるいは街中でもいいが、気をつけて人の話を聞いていると、かなり多彩な方言が耳に入ってくる。関西方言が耳立つ、ということはにも触れたが、話す方も聞くほうも本当に頓着していない。

 そんなわけで、音楽に絡めてみる。
 やっぱ、ここのところの勢いは「のだめ」だろうか。
「カンタービレ」は演奏指示の用語で、「歌うように」という意味。もう有名かね。
 今、レッスンを受けている曲には“marcato”という指示が出てくる。カタカナでは「マルカート」だが、意味は「音を際立たせて」「それぞれの音をはっきり」。ふーん、と思ったんだが、英語の“marked”だな?! ということに気づいたのには、自分を褒めたくなった。
「のだめ」で色々とクラシック業界の隠語が知られたようだが、たとえば「ベトシチ」。ベートーベンの交響曲第七番のことである。「ベトシチ」という呼び方が生まれる背景には、この第七番には、第三番の「英雄」、第五番の「運命」、第六番の「田園」のような名前がついてないことがあげられる。「のだめ」のドラマでも、千秋先輩こと玉木宏が、地味な曲とか言ってたような気がする。
 ほかに、ドボルザークの第八番が「ドボハチ」、マーラーの第五番が「マラゴ」などなどあるらしい。ショスタコービッチの八番「タコハチ」などはお笑い業界とかぶる畏れがある。
 この辺は、「ιゝ ιゝ ⊃゛┼┐ゝ」の「楽隊用語の基礎知識」が詳しい。
 俗語に限らず、この分野には、フルートが「木管楽器」であるなど、興味深い用語は多い。大雑把に言うと、自分の唇で音を出すのが金管楽器、息を吹き込むととりあえず音は出てくれるのが木管楽器である。

 ポピュラー分野も変動が激しい。新しいことに対する興味が旺盛な人たちが支えるものだから当然の結果である。
「ギグ」という語がある。
 英和辞典としては、「主にジャズの演奏」「一回限りの演奏」ということになるようだが、カタカナ語としてはどうやら死語らしい。俺のところに、甲斐バンドの「シークレットギグ」といいう CD があるが、これが 1989.
 個人的には「ライブ」って単語の方が古いんじゃないかと思うのだが、今や、ニュースの生中継も、お笑いのステージも「ライブ」。「ギグ」はちょっと息の長い流行語、という感じだったのだろうか。
 氣志團は、「ギグ」と言っているらしいが、それはわざとだろう。彼らの「デリケートにキスして」が、80 年代前半のアニメ「魔法の天使 クリーミィ・マミ」の主題歌を踏まえていることからわかるように、あのバンドは明らかに狙っている。

 さて、「あれは?」と思った人もいるだろうか。
いなたい」である。
 この語に気づいたのは 2 年くらい前。
 当時は、ググった結果が 1p に収まるくらいだった。
 が、いまや 2 万件を超える勢い。
 ところが、その意味が判然としない。ググってもらうとわかるが、「関連検索」の欄に「いなたい 意味」というのが出てくる。みんな、意味がわかってないのである。
 大枠を言うと、ちょっと野暮ったい、田舎臭い、ただし、それを肯定的に捉えた感じ、なのだそうである。田舎臭くて聞いてられない、という場合、それは単に「田舎臭い」のであって、「いなたい」とは言わないようだ。
 意味からか、「田舎臭い」が語源だ、と断定している向きもある、
 で、どうやら関西起源の言葉らしい。したがって、イントネーションは「いなたい」。
 80 年代に生まれた表現、という話も聞くが、だとすればすでに 30 年近くも命脈を保っていることになる。
 これはひょっとしたら、土臭い感じの音楽が、多少の波はあるものの、一定の支持を得ている、ということではないだろうか。
 ただ、最近は否定的なニュアンスを持つようになっているようである。これはひょっとしたら、「いたい」との類似によるものではないだろうか。

「いなたさ」とは無関係のゴダイゴの「新創世記」だが、5 月に日本テレビの衛星デジタル局で放送されるらしい。
 そのためだけに加入するのもなぁ、と思っているところである。DVD 出してくれないかしらん。




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