「食の方言」という表現は前から耳にしていて、割と興味があったのだが、今回、やっと調べてみる気になった。
きっかけは、「
B-1 グランプリ」である。
これは、全国の地域固有の料理を「B 級グルメ」と位置づけた上でのネーミングだ。
前に「
俳句甲子園」の名前にケチをつけたことがある。
*1
文学を志す者がスポーツ イベントにただ乗りするとは。
創造性を競う大会が、よその大会のふんどしを借りるとは。
この「B-1 グランプリ」もそう。
最近は、「○-1 グランプリ」ばやりだが、俺と同じことを考えた人がいるらしく、‘A’から‘Z’まで調べたページが幾つか見つかる。全部、揃っているようだ。揃っているどころか、ダブっている。当然だな。人の尻馬にのろうって人が 26 人いれば埋まる席だから。
尤も、「B-1 グランプリ」については、楽しむことと交流することが目的のイベントだから、そんなスタンスでいいのかもしれないが。
で、食の方言の旗手が、日経のサイトで連載中の「
食べ物 新日本奇行*2」である。
それをまとめたのが『
全日本 食の方言地図』である。早速、取り寄せて読んでみた。2003 年暮れに初版、翌年の 6 月に増刷されている。「早速」ではないな。
第一印象は、「ウェブで公開されている文章と、活字で読むための文章とは、グルーブが違う」というものだった。
言葉の端々に、いかにもウェブっぽいノリが感じられるのだが、それが活字と合わない。軽妙な文章、おふざけの文章はいくらでもあるわけだが、ウェブでの空気と活字の場合のそれとは違う、ということを実感した。
話を本筋に戻す。
ここは方言のホームページであってグルメのページではないので、食い物自体の詳細には触れないが、この二つは、人の移動や接触が契機になっている、という点で共通している。実際、この本の中でも、ある料理もしくは食べ方がその地域に登場したのは、かくかくしかじかの人々が移住してきたからではないか、などというような解説がなされている。
難しいのは、これは言葉の問題なのか食の問題なのかわからない、という現象が見られることである。
たとえば、直径 1cm に満たない、天ぷらの落し物みたいなアレ。西では「天かす」、東では「揚げ玉」と安易に説明してしまうが、それぞれの地元民に言わせるとイコールではないらしい。
ちょっと食い物から離れるが、仙台で運動着をさす「
ジャス」。旧泉市 (今の仙台市泉区) で育った知人は、「
ジャス」は「ジャージ」のちょっと上等な奴だと思っていた、と言っていた。そういうニュアンスの差が地元民にすらある。
「冷やし中華」だって、「
冷麺」とよぶ地域もあれば「
冷やしラーメン」と呼ぶところもあって、したがってこの本でも「いわゆる『冷やし中華』」と説明しているくらいだ。この時点では言葉の話だが、山形には、本当に「冷たいラーメン」(もちろん、そのための創意工夫はあって、単にラーメンを冷やしたものではないが、便宜上、そう説明せざるを得ない) もあり、それは「
冷やしラーメン」と呼ばれている。この辺から言葉ではなく食の問題になってしまうので難しい。
というわけで、料理談義にならないように注意深く話を進める。
冷やし中華で入ったので、冷たいものの話から。
コーヒーを冷たくして飲むのは日本だけらしいが、その呼び方は色々。
「
コールコーヒー」というのが大阪にあるらしい。“cold coffee”だろう。単なる訛りと捉えることもできるかもしれないが、ネイティブの発音を耳で聞いたとおりにカタカナに直すとこうなるような気もする。
この本では「冷」から「レイコー」という呼び方を引っ張り出し、女性の名前に絡めてひとしきりネタにしている。
「
コーヒ」という記述もあるようだ。こういうのは、田舎のドライブイン (絶滅寸前かもしれないが) あたりに行くと見られそうな気がする。
「
うどんころ」というのが登場する。名古屋で冷やしうどんのことらしいのだが、この「ころ」ってなんだ、という。「香露」と書く、という話もあるが、後付けだ、という意見もある模様。
この本、娯楽系のくせに、「正しい日本語」教である。飲食店でよく使われる、「こちら〜になります」を槍玉に挙げている。「じゃ、今はなんなんだ」という突っ込みを入れるだけじゃなくて、数ページを割き、
ロイヤルが出した言葉遣いに関する通達まで写真で紹介している。
でも、その通達、「〜になります」を禁止してはいるが、客を待たせることは「ウェイティング」としていて、カタカナ語の利用については無頓着。俺が「正しい日本語」を宗教だというのは、そういうことがあるからである。
「台ぬき」という言葉がある。
蕎麦屋で酒を飲む、という風流なことをするとき、つまみを何にするか、と考えると、まぁ、板わさあたりも思いつくが、せっかくの蕎麦屋である。天ぷらがあるじゃないか、と考える。蕎麦はあとでザルを頼むとして、天ぷらだけがほしい。こういうときに言う。つまり、天ぷら蕎麦の土台部分を抜いたもの、という意味である。
面白いのは「天ぬき」という表現。
「抜く」の方向が逆だ、ということに気づいてほしい。
大分、
前に、「逆オークション」という単語の曖昧性に触れたことがある。オークションには、売買と、値段の上下という二つの方向がある。それに、単に「逆」をくっつけたため、「買うほうが先に声をあげるオークション」と「最高額を提示して、買い手がつくまで値段を下げるオークション」という二つの意味が生まれてしまった。
それと同じである。「抜く」には方向があって、「抜いて持ってきたもの」と「抜かれて残ったもの」とがある。
「台ぬき」は、「天ぷら蕎麦から、土台を抜いて、残ったもの」。
「天ぬき」は、「天ぷら蕎麦から、天ぷらを抜いて、持ってきたもの」。
どっちも「天ぷら」をさしうるわけである。
もちろん、どちらも蕎麦をさしうる。
符丁っぽくなるが、「ぬき」とも言う。こっちの方がシンプルな分、誤解を招きにくいか。
というわけで、来週に続く。
*1
これについては、正岡子規つながりかもしれない、という気はする。
でも、「野球」という訳を考えたのは正岡子規ではない、というのは前に書いた。
(↑)
*2
これも NHK の昔の番組「新日本紀行」に借りたものである。
それはそれとして、NIKKEI NET の URL が“nikkei.co.jp”である、というのはミスリーディングだ。
(↑)
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