随分と
前の話を蒸し返す。
秋田弁の「
開がる」である。
読み方は「
あがる」で、「
が」は濁音。
意味は、「開く」とほぼ同じ。
この「ほぼ」がポイントで、前にとりあげたときは、「行為者の存在を前提としているが、その詳細には触れない」というニュアンスを持っている、ということにした。「
開ぐ」のほうは、行為者の存在は埒外である、としている。
つまり、「
げんげ さびど思ったっけ、戸、開がってらもの (すごく寒いと思ったら、戸が開いてるんだもの)」という発話には、「誰だよ、開けっ放しにしたの」という含みがある。
「
戸、開いでらもの」には、誰が開けたのか、なぜ開いているのかについては関心がない。勿論、これは、その表現単体では、ということであって、その後で「誰だよ」を付け加えることはできる。結果的には、ほとんどの場合に交換可能である。
前には、更に、「
立でる−
立だる」「
続げる−
続がる」も並べ、この仮説の材料とした。
自動詞と他動詞の関係は、単純なものではない。
こうすれば自動詞が他動詞になる、というルールはない、と思ったほうがいい。
ないことはないのだが、数が多い上に、例外も多く、ちょっと「ルール」とは呼びくいのである。
例えば、
1) 自動詞が -aru、他動詞が -eru(染まる/染める)
2) 自動詞が -u、他動詞が -eru(立つ/立てる)
3) 自動詞が -eru、他動詞が -u(焼ける/焼く)
4) 自動詞が -ru、他動詞が -su(残る/残す)
5) 自動詞が -iru、他動詞が -oru(起きる/起こす)
あたりが思いつくが、勿論これだけではない。
2) と 3) などはこともあろうに正反対。-eru の形を -u にしたところで、それだけでは他動詞なのか自動詞なのかはわからないわけである。
「立てる」が「立つ」なんであれば、「当てる」が「当つ」なのか、と言えばそうではない。
結局、ある動詞が、どのパターンに当てはまるのかは、自動詞形と他動詞形の両方を知っていないとわからない、という堂々巡りになる。
*1
で、秋田弁の話だが、標準語では上の 2) のパターンに分類される動詞の中に、-u ではなく -aru の形を持つものがある、ということになる。新しく見つけた例では、「
傾 (かし) げる−
傾がる」「
届げる−
届がる」がある。
「
くっつがる」というのもある。「くっつく」はおそらく「くっ」+「付く」という成り立ちの語だと思うのだが、「
つがる」という形はない。
なお、ここで挙げた形をネットで検索すると、関東北部を含む、東北弁の領域で使われていることがわかる。東北方言に固有の現象だということなんだろう。
東北で、2) に異パターンがある、というのがどういうことなのかはわからない。おそらく、古語にまで遡って研究しなきゃいけないことになるだろうと思う。素人のエッセイという範疇から逸脱するので、というか、とてもそんな技量はないので、ここまでにする。
*2
標準語に目を向ける。
「縮める」の自動詞形には「縮む」と「縮まる」がある。この違いはどうか。
大辞林から用例を引っ張ってみる。