Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第484夜

「あがる」ふたたび



 随分との話を蒸し返す。
 秋田弁の「開がる」である。
 読み方は「あがる」で、「」は濁音。
 意味は、「開く」とほぼ同じ。
 この「ほぼ」がポイントで、前にとりあげたときは、「行為者の存在を前提としているが、その詳細には触れない」というニュアンスを持っている、ということにした。「開ぐ」のほうは、行為者の存在は埒外である、としている。
 つまり、「げんげ さびど思ったっけ、戸、開がってらもの (すごく寒いと思ったら、戸が開いてるんだもの)」という発話には、「誰だよ、開けっ放しにしたの」という含みがある。
戸、開いでらもの」には、誰が開けたのか、なぜ開いているのかについては関心がない。勿論、これは、その表現単体では、ということであって、その後で「誰だよ」を付け加えることはできる。結果的には、ほとんどの場合に交換可能である。
 前には、更に、「立でる立だる」「続げる続がる」も並べ、この仮説の材料とした。

 自動詞と他動詞の関係は、単純なものではない。
 こうすれば自動詞が他動詞になる、というルールはない、と思ったほうがいい。
 ないことはないのだが、数が多い上に、例外も多く、ちょっと「ルール」とは呼びくいのである。
 例えば、
1) 自動詞が -aru、他動詞が -eru(染まる/染める)
2) 自動詞が -u、他動詞が -eru(立つ/立てる)
3) 自動詞が -eru、他動詞が -u(焼ける/焼く)
4) 自動詞が -ru、他動詞が -su(残る/残す)
5) 自動詞が -iru、他動詞が -oru(起きる/起こす)
 あたりが思いつくが、勿論これだけではない。
 2) と 3) などはこともあろうに正反対。-eru の形を -u にしたところで、それだけでは他動詞なのか自動詞なのかはわからないわけである。
「立てる」が「立つ」なんであれば、「当てる」が「当つ」なのか、と言えばそうではない。
 結局、ある動詞が、どのパターンに当てはまるのかは、自動詞形と他動詞形の両方を知っていないとわからない、という堂々巡りになる。*1

 で、秋田弁の話だが、標準語では上の 2) のパターンに分類される動詞の中に、-u ではなく -aru の形を持つものがある、ということになる。新しく見つけた例では、「 (かし) げる傾がる」「届げる届がる」がある。
くっつがる」というのもある。「くっつく」はおそらく「くっ」+「付く」という成り立ちの語だと思うのだが、「つがる」という形はない。
 なお、ここで挙げた形をネットで検索すると、関東北部を含む、東北弁の領域で使われていることがわかる。東北方言に固有の現象だということなんだろう。
 東北で、2) に異パターンがある、というのがどういうことなのかはわからない。おそらく、古語にまで遡って研究しなきゃいけないことになるだろうと思う。素人のエッセイという範疇から逸脱するので、というか、とてもそんな技量はないので、ここまでにする。*2

 標準語に目を向ける。
「縮める」の自動詞形には「縮む」と「縮まる」がある。この違いはどうか。大辞林から用例を引っ張ってみる。
ウールは水で洗うと縮む
バネが伸びたり縮んだりする
ズボンの丈が縮む
恐ろしさに身の縮む思いをした
おかげで命が十年も縮んだよ
差が縮まった
 上の 3 つ、「ウール」「バネ」「ズボン」は、「縮む」ことはあっても「縮まる」ことはないと思うのだが、どうだろう。
 大辞泉の方では、
風船が縮む
タイムが縮む
 という例がある。これも、「縮まる」ことはないだろう。
 この程度の用例で判断するのも問題かもしれないが、「縮まる」は、“shrink”する要因が外部にある場合にしか使えないのではないか、という気がするのだが。
 バネは、それ自身の形状によって縮むのだし、ウールも、洗濯という外的要因はあるものの、その科学的性質によって縮む、という捉え方ができる。
 なんかの作業の締め切りまでの期間が短くなった、という場合、これは「縮まる」であって「縮む」ではない (「縮む」とは言えない、ということではない)。期間が短くなるのは、期間そのものが自発的に短くなったからではなく、誰かが締め切り (あるいは着手時期) を移動したからである。
 ということで、最初に書いた、「(このパターンの)-aru 形他動詞には、明確に言及されるとは限らないが、行為者の存在が前提とされている」という仮説に合うように思う。

 ただ、合わない例も見つけてしまったので、白状しておく。
「休まる」である。
「休む」との違いは、「休む」が動作を指すのに対して、「休まる」が、そういう状態になることを指す、という点である。完全に主体的な内容であって、誰かが何かをしたので休まる、ということは全くの埒外である。
 ただ、「休まる」は、「休まった」という形がある程度で、ほとんどの場合に「休まる」という形で使われるのではないか。「休まっている」「休まれば」「休まれ」という形は不自然に感じられる。
 一方、「差が縮まった」と「差が縮まっている」は、形も、時制も異なるのに、交換可能である。
 この点に原因を求めることができるような気がする。

 すっかり方言から離れてしまったが、最後に、時折、問題にされる表現を挙げて、宿題にでもしようと思う。
「つなぐ」と「つなげる」の違いについて述べよ。
「回線をつなぐ/回線をつなげる」、「明日につなぐ/明日につなげる」などなど。
 まぁ、ググれば、それに関する意見表明も含め、すぐに出てくるけど。




*1
 公開直前に見つけたので考察が追いついてないが、「切れる−切る」に対して、「切らす」という形がある。
 これは、「砂糖を切らしている」の「切らす」ではなく、「切る」の別形で、「ベルトを切らす」などのように使う。
 同じパターンとして、「抜く/抜かす」もある。マラソンなどで先行ランナーを「抜かす」ことがあるのだが、この辺になると、秋田弁とか東北弁という範囲から出ていそうな気もする。ただし未確認。(
)


*2
  他動詞形と自動詞形のどちらが先でどちらが派生なのか、ということも考慮しなければならないと思うが、それを確認する作業量はおそらく膨大だと思われる。 (
)





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