Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第474夜

『日本語学』から (前)



日本語学』で「方言ブーム」の特集をしていた。
 前号が「方言の文法」で、おやまぁ明治書院も流行に乗るんかいな、と思っていたのだが、そこは流石に、定期購読者に送ってくる封筒の宛名が「〜先生」となっている学術雑誌である、浮ついたものではなかった。

 まず、2004/12 の「方言の文法」から少し。
 八亀弘美氏の「標準語の文法と方言の文法」。
 さまざまな言語を比較する類型論では、動詞と名詞は連続的なものとして、その中間に形容詞 (や形容動詞) を位置づける。日本語内部でも、ある方言では形容詞で表現するのに、別の方言では動詞を使う、ということが起こりうる。
 たとえば、「痛い」という形容詞は秋田弁では「やむ」という動詞で表現される (「いで」もあるし、標準語には「痛む」もあるが)。「満腹だ」という状態 (これは名詞かもしれないが) は「はらつえ (腹強ぇ)」という、主語+述語の表現になる。
 過去の状態を形容する形として、たとえば「あげくてあった (赤くてあった)」というような形がある。これは、「その時、赤かった」ということで、単なる過去ではなく、一時的な状態であることを示す。紅葉狩りに行ったときのことを話すのには使えるが、交通事故の目撃者が車の色を証言するのには使いにくい。こういう、構造そのものが異なり、他方言では自然な言い換えができない現象も多々ある。

 篠崎晃一氏の「方言文法における対人表現」。
 これは、人に何かを言うときに、「どういう風に」言うか、という問題である。
 漠然としていてあれだが、例えば文章中では、「行ってきます」と言ってでかけるとき、関東では「いってらっしゃい」、関西では「早うお帰り」と返事することが多い、としている。どちらも、やっていることに大差はない (形式的なもので、意味を半ば失っている、ということ。関東では、早く帰ってきて欲しくないと思っている、というわけではない) が、そこに確かに違いがあらわれる、ということである。
 人に物を借りる場合、「貸してください」の前に、「あのー」と遠慮がちに切り出したり、「○○を忘れちゃったんですけど」と状況を説明したり、「○○をお持ちですか」と確認したり、といろいろなことを付け加えるが、それに東西差がある、という調査が紹介されている。
 詳しくは現物に当たってもらうとして、東 (正確には首都圏) の方が遠慮がちらしい。差がはっきり現れるのは、相手が親しい人でない場合と、大したことのない依頼の場合 (金を借りるにしても、\3,000 ではなく \100 というような) である、ということが述べられている。

 金田章弘氏の「特殊な方言文法」。
 この雑誌や『言語』を読んでいると、書き手が、与えられたテーマに疑義を呈したり、注釈を加えたりしていることがある。まず正確を期する、という学者らしい姿勢、という感じだが、この号と次の号では目立って多いような気がする。
 この文章もその検証から始まっているのだが、それを終えての、日本語の中で最も特殊なのは標準語である、という一文が目を引いた。
 確かに、人工的に作られた (改造された?) という側面もあり、全国的に通用させるという目的があったために「枝葉末節」が殺ぎ落とされている。言えば、英語の持つ特殊性に似ているのかもしれない。同様の記述が、「標準語の文法と方言の文法」にもある。
 よく、「由緒正しい表現が残っている」というような言い方で、方言現象は昔の標準語が持っていた現象がやや変形して残っているものだ、ということが言われるが、この文章では、標準語が獲得しなかった現象を方言が獲得している、という例があげられている。
 具体的には、「我々」と言ったときに、話し相手を含む“inclusive We”と、含まない“exclusive We”(AQUA in Akita) が琉球方言にあるという。

 英語の、例えば、格変化を (ほとんど) 起こさない、動詞の活用に性差がないなどの特徴は、初めから無かったのではなく、途中でなくなったのである。しかもそれはごく最近のことで、イギリスの歴史と深い関係を持っている。
 日本語の標準語もそれと同じような特殊性を持っている。そういう意味では、「味がない」「言いたいことが表現できない」というのは、当てはまるのかもしれない。
 ただ、しつこいようだが、「標準語」には実体がない。標準語で日常生活を送っている人はいないのである。イメージとして漠然と存在しているに過ぎない。
 今となっては、これまたはなはだ怪しいのだが、NHK のアナウンサーがニュースで使う言葉が、標準語に最も近いとされている。あれで生活できるわけはないのである。
 したがって、「標準語には味がない」と言っている人が言う「標準語」が一体、何を指しているのか、という点には注意を払わなければならない。多くの場合に、現在の東京方言のはずである。

 あらま。
 適正量を超えてしまったので、「方言ブーム」については来週。




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