Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第465夜

かわいい方言 (後)



かわいい方言手帖』をだしにした文章、後編。

 秋田の「からぽねやみ」。ここが痛い、あそこが痛い、と仕事をサボろうとする怠け者のことで、「やみ」は勿論、「病み」。問題は「からぽね」だが、『秋田のことば』『語源探求 秋田方言辞典』では、「幹骨」とする説明をしている。「から」は「体 (からだ)」ということらしい。
 この本では、「脊椎からとった丈夫な薬莢」と説明している。「薬莢」というだけでかなりギョッとするが、「脊椎からとった薬莢」って一体、どういうことよ。
 しょうがないのでググる。確かに、そういう記述は見つかる。「飛竜」の脊椎で作ったもので、「カラの実」で作ったのより頑丈らしい。だが、「飛竜」は伝説上の存在だし (「角竜」とか「剣竜」とか、恐竜の種類ではない、ということ)、「カラの実」とかいうのも聞いたことが無い。
 しばらく調べて回ってわかったのは、「カラ骨」というのが、「モンスターハンター」というゲームに登場するアイテムだ、ということだった。
 とすると、この「脊椎からとった薬莢」というのは、このゲームを知っている人がニヤリとするための場所なのか?

 福島では、眠くなることを「ありがたくなる」というらしい。
 それを調べてみて引っかかりを感じたのは、(方言から離れるが) たとえば、「秋になると温かい飲み物がありがたくなる」という表現。言いたいことはわかるが、なんだかしっくり来ない。「ありがたく感じられるようになる」ではないか。
 だが、「秋になると葉っぱが黄色くなる」と形は一緒。別に主語が入れ替わっているわけでもない。
 今のところ、「ありがたい」はもの (や行為) の状態ではなく、受け止める側の感情、つまり一時的な性質のものなので、「ありがたくなる」という形には出来ないのではないか、と仮説を立てておく。

 秋田には「うるさい」という意味の「すばらしい」という単語がある由。聞いたことが無いので調べてみた。
『語源探求 秋田方言辞典』によれば、「しばらしい」という語があるようだ。「屡 (しばしば)」や「繁る」との関連が指摘されている。確かに、同じ音を繰り返されるとうるさく感じられる。

 京都の「ほっこり」。
 本来は「疲れた」という意味だが、最近は、「(疲れたあとの)安堵感」を指すようになっているとある。
 意味の変化を Google で追うのは面倒くせぇなぁ、と思っていたのだが、あっさり「暖かい飲み物でほっこり」「ほっこりと和む」というような表現が見つかった。というか、そういうのばっかり。それどころか「ほっとする、という意味」と断言しているページすらある。
 まぁ、保守的といわれる京都ですらこの有様、ということで。

 北海道の「かぜる」。仲間に入れる、という意味だが、員数に数えることから来ている、と説明されている。「かてて加えて」の「糅てる」が変化した「かでる」じゃないか。
 全体として軽やかな筆致の中に、突然「員数」という単語が出てくると割とビックリする。

 子供の遊びでメンコ。「パッチ」「パッタ」などという形が紹介されていた。
 俺の場合、メンコは丸い奴、パッタは長方形 (トレーディング カードを縦長に二つに割った位の大きさ) だった。

 佐賀・長崎では「いい気になる」ことを「のぼせる」というらしいが、それって全国共通じゃねぇの?

「行きましょう」という意味の「あべ」。
 まず、秋田が抜けているのは承服できん。
行かず」は何度も登場する。こういう語は多い。
 山梨の「えべ」は、日本で一番短い「行きましょう」なんだそうだが、「あべ」は?

 神奈川の「ハマチドリ」。
 値段を聞くときに使う。“How much doller?”である。こないだの「ビーチパーリー」を思い出す。
 神奈川とあるが、横浜限定だろうな。

「“GOOO”という意味の『よい』」
“GOOD”の間違いだろうな。
 フォントの選択ミス、とも言える。サンセリフ系のフォントだと見分けがつきにくい。しかも丸っこい。*1

 なんか、全体に秋田が少ないような感じがする。なにせ全部で 1,000 語もあるから数えてないのでわからないが。
 沖縄は明らかに少ないと思う。おそらく、距離がありすぎて、考えなしに載せていくと沖縄の言葉で埋め尽くされてしまうため、制限をかけたのではないか。

 ここでは『かわいい方言手帖』を取り上げたが、主婦と生活社の『ちかっぱめんこい方言練習帳!』というのもある。買ってないが、まぁ、似たようなもんだろう。

 今、もてはやされている方言の特徴は、各地の方言をまぜあわせて使っている、ということだそうだ。産経新聞の記事には「なまらせからしか」という例があるが、これは北海道と九州がまじっている。
 これでわかる通り、つまりは言葉遊び、「チョベリグ」系の現象である。
 好意的に受け止めている意見は多い。特に新聞がそう。経緯はどうであれ、これで方言に興味を持ってくれれば、とか、地域に関心を持ってくれれば、と言う。
 だが、あるブログを呼んでいて深く頷いてしまったのだが、これは「流行」なのだ。それが廃れたとき、方言はダサいものになる。再び、時代遅れという衣をまとうことになるのだ。
 今、はしゃいでいる大人の皆さん、そこまで考えてるのかな。




*1
 左の“F”のように文字の端っこに飾りがついているのがセリフ。右のように、それがないのがサンセリフ。
   
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