『
かわいい方言手帖』をだしにした文章、後編。
秋田の「
からぽねやみ」。ここが痛い、あそこが痛い、と仕事をサボろうとする怠け者のことで、「
やみ」は勿論、「病み」。問題は「
からぽね」だが、『秋田のことば』『語源探求 秋田方言辞典』では、「幹骨」とする説明をしている。「
から」は「体
(からだ)」ということらしい。
この本では、「脊椎からとった丈夫な薬莢」と説明している。「薬莢」というだけでかなりギョッとするが、「脊椎からとった薬莢」って一体、どういうことよ。
しょうがないのでググる。確かに、そういう記述は見つかる。「飛竜」の脊椎で作ったもので、「カラの実」で作ったのより頑丈らしい。だが、「飛竜」は伝説上の存在だし (「角竜」とか「剣竜」とか、恐竜の種類ではない、ということ)、「カラの実」とかいうのも聞いたことが無い。
しばらく調べて回ってわかったのは、「カラ骨」というのが、「
モンスターハンター」というゲームに登場するアイテムだ、ということだった。
とすると、この「脊椎からとった薬莢」というのは、このゲームを知っている人がニヤリとするための場所なのか?
福島では、眠くなることを「
ありがたくなる」というらしい。
それを調べてみて引っかかりを感じたのは、(方言から離れるが) たとえば、「秋になると温かい飲み物がありがたくなる」という表現。言いたいことはわかるが、なんだかしっくり来ない。「ありがたく感じられるようになる」ではないか。
だが、「秋になると葉っぱが黄色くなる」と形は一緒。別に主語が入れ替わっているわけでもない。
今のところ、「ありがたい」はもの (や行為) の状態ではなく、受け止める側の感情、つまり一時的な性質のものなので、「ありがたくなる」という形には出来ないのではないか、と仮説を立てておく。
秋田には「うるさい」という意味の「
すばらしい」という単語がある由。聞いたことが無いので調べてみた。
『語源探求 秋田方言辞典』によれば、「
しばらしい」という語があるようだ。「屡
(しばしば)」や「繁る」との関連が指摘されている。確かに、同じ音を繰り返されるとうるさく感じられる。
京都の「
ほっこり」。
本来は「疲れた」という意味だが、最近は、「(疲れたあとの)安堵感」を指すようになっているとある。
意味の変化を
Google で追うのは面倒くせぇなぁ、と思っていたのだが、あっさり「暖かい飲み物で
ほっこり」「
ほっこりと和む」というような表現が見つかった。というか、そういうのばっかり。それどころか「ほっとする、という意味」と断言しているページすらある。
まぁ、保守的といわれる京都ですらこの有様、ということで。
北海道の「
かぜる」。仲間に入れる、という意味だが、員数に数えることから来ている、と説明されている。「かてて加えて」の「糅てる」が変化した「
かでる」じゃないか。
全体として軽やかな筆致の中に、突然「員数」という単語が出てくると割とビックリする。
子供の遊びでメンコ。「
パッチ」「
パッタ」などという形が紹介されていた。
俺の場合、メンコは丸い奴、パッタは長方形 (トレーディング カードを縦長に二つに割った位の大きさ) だった。
佐賀・長崎では「いい気になる」ことを「
のぼせる」というらしいが、それって全国共通じゃねぇの?
「行きましょう」という意味の「
あべ」。
まず、秋田が抜けているのは承服できん。
「
行かず」は何度も登場する。こういう語は多い。
山梨の「
えべ」は、日本で一番短い「行きましょう」なんだそうだが、「
あべ」は?
神奈川の「
ハマチドリ」。
値段を聞くときに使う。“How much doller?”である。
こないだの「
ビーチパーリー」を思い出す。
神奈川とあるが、横浜限定だろうな。
「“GOOO”という意味の『よい』」
“GOOD”の間違いだろうな。
フォントの選択ミス、とも言える。サンセリフ系のフォントだと見分けがつきにくい。しかも丸っこい。
*1
なんか、全体に秋田が少ないような感じがする。なにせ全部で 1,000 語もあるから数えてないのでわからないが。
沖縄は明らかに少ないと思う。おそらく、距離がありすぎて、考えなしに載せていくと沖縄の言葉で埋め尽くされてしまうため、制限をかけたのではないか。
ここでは『かわいい方言手帖』を取り上げたが、
主婦と生活社の『
ちかっぱめんこい方言練習帳!』というのもある。買ってないが、まぁ、似たようなもんだろう。
今、もてはやされている方言の特徴は、各地の方言をまぜあわせて使っている、ということだそうだ。
産経新聞の記事には「
なまらせからしか」という例があるが、これは北海道と九州がまじっている。
これでわかる通り、つまりは言葉遊び、「チョベリグ」系の現象である。
好意的に受け止めている意見は多い。特に新聞がそう。経緯はどうであれ、これで方言に興味を持ってくれれば、とか、地域に関心を持ってくれれば、と言う。
だが、あるブログを呼んでいて深く頷いてしまったのだが、これは「流行」なのだ。それが廃れたとき、方言はダサいものになる。再び、時代遅れという衣をまとうことになるのだ。
今、はしゃいでいる大人の皆さん、そこまで考えてるのかな。