Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第439夜

親族



 葬式に参列してきた。
 に、伯父が他界したときの事を書いたが、その奥さんである。
 脳塞栓。
 それとは全く関係のない、しかもさほど深刻でもない病気で短期入院していて、もうすぐ退院、というタイミングだったそうだ。つまり、昨日まであんなに元気だったのに、というあれ。まだ、その事実が自分の中に落ちてきていない人もいるのではないか、という話もあった。
 早口で、よく通る声の人だった。子供を叱っている様子はよく目 (や耳) にした。

 世間一般でどういうものなんだろう。二親等や三親等の人々、つまり、祖父母、伯父・伯母・叔父・叔母 (それぞれどう違うかは各自で調べてみよう) がどういう人か、って理解しているものだろうか。
 いや、もちろん、人となりなんかはわかるにしても、どういう職業についていて、具体的にどういう仕事をしているか、というようなことは知っているものなんだろうか。
 俺の場合、叔父さんが、長男だということで、戦後の時期にものすごく苦労したらしい、という、その内容の一部を葬儀のときに知った。
 盆と正月くらいにしか顔を出さないせいだろうか。俺が上京した辺りから、その頻度は更に下がった。子供の頃は、秋のお祭りや「ナマハゲ」の頃にも行っていたが。*1
 盆正月の田舎、と言うと、親戚一同が集まっている、という印象を持っている人もいると思うが、迎える側も迎えるだけの側ではなく、よそに挨拶に行かなければならないわけで、結構、不在がちだ。折角、行ったのに、留守番の人しかいなかった、ということもちょくちょくある。

 さて、親族。
 これは、民法に規定がある。
 血族で六親等まで、姻族で三親等まで。
 姻族、つまり、結婚でできた親戚の三親等というのは、自分とその配偶者を基準にすると、義理の曽祖父母、伯父・伯母・叔父・叔母あたり。
 一方、直系の六親等というと、自分の親の従兄弟の子供まで。自分と似た年代になるわけだが、これって、ちょっと遠くないか? あなたは自分の「はとこ」全員を並べ上げることができるか? これは、別の言い方をすると、祖父母の兄弟姉妹を把握しているか? ということなのだが。

 こういうの、方言ではさぞ丁寧に決まっているのだろうと思いきや。
 ないのだ、意外なことに。
 無いわけじゃないんだが、ざっと探した範囲ではオジ・オバ止まり。標準語形では、「いとこ」「またいとこ」「ふたいとこ」「はとこ」(調べてみよう) とあるのに。
『秋田のことば (秋田県教育委員会編、無明舎出版)』を繰ると、直系が多いことがわかる。つまり、縦というか、通時的というか。父母、祖父母、曽祖父母、子、孫、曾孫、玄孫、来孫と並んでいる。
 寿命が延びた現代ならともかく、その昔、来孫ってあったんだろうか。あったんだろうなぁ。子供が全員、15 歳で子供をもうけたとしても、75 歳だぞ。
 もっと進めば「昆孫」となる。90 歳。
 葬式をした寺に、○回忌の表があった。今年、十三回忌の人の名前なんかが書いてあるわけだが、その中に百回忌というのもあった。つまり、百年前に亡くなった人ということなんだが、そうなると、覚えている人はまずいないものと考えるべきだろう。これと同じじゃないか。つまり、来孫、昆孫あたりになると、自分にとっての来孫というのではなく、この人はある人から数えると来孫にあたる、というような捉え方なのだろうと思われる。
 この辺の、水平方向の呼び方って、やっぱりないんだろうか。例えば、曽祖父同士がはとこである、というような関係。

 英語は数学的である。
「いとこ」は“cousin”だが、“first cousin”とも言う。当然、「またいとこ」は“second cousin.”理論的には、無限に増やすことができるわけだ。

「曾孫」の「ひこまご」、「玄孫」の「やしゃご」を俚言形として取り上げているサイトは多いが、どうやらこれは、どこかの地域に特有の表現ではないようだ。「やしゃご」は「やしわご」の変わったものらしいが、そういう俗語性がある位。「やしわご」って何。

『秋田のことば』にも記述があるし、前にも書いたと思うが、子供のランクは、長子とそれ以外とで分けられる。相続 (と言うより、家を継ぐこと) が絡んでくるためだと思われる。
 秋田弁で「あに」と言ったら、それは長男である (おそらく多くの地域で似たような感じだと思う)。たとえば三人兄弟の次男は、三男から見ても「あに」ではない。「おんじ」なのだが、これは「次男」という意味の言葉である。
 つまり、標準語の「兄」は年長者であることを指す言葉で、相対的なもの (次男は、三男から見れば「兄」であり、長男から見れば「弟」である) なのだが、「あに」は「長男」そのものを指す言葉なのだ。たとえば、子供はすべて女で、末っ子が男だ、という場合、彼は「弟」でありながら「あに」である。

 嗣子優先の考えは、「おんじけし」というような「弟に対する蔑称」がある、ということからも窺い知ることができる。

 俺の両親は、父が末っ子、母が長女、という組み合わせのため、父方のいとこと、母方の叔父とが近い年齢になっているのだが、そのどちらも「おじさん」「おばさん」と呼んでいる。
 これは、「おばさん」「おじさん」という言葉が、「親の兄弟姉妹」という意味と、「ある範囲を超えた年齢差のある年長者」という意味の二つがあるからだ。
 そのあたりまではいいが、「いとこ」を思い浮かべようとすると、年齢が手がかりにならないので、順番にたどっていかないとわからない。顔を会わせたときも、この人、俺の何にあたるんだっけ、ということは、とっさには出て来ない。
 なので、葬式の受付をやったのだが、ものすごく疲れた。





*1
 と言っても、男鹿ではない。
 秋田の沿岸部には、「ナマハゲ」のバリエーションが数多くある。更に言えば、秋田に限らない。 (
)





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