Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第425夜

夢見し酔いもせず



 こういうことを言うと、また「人でなし」よばわりされそうだが、「夢」って言葉は嫌いである。正確に言うと、この言葉を使う人々の姿勢が嫌。
 それが「達成するべき目標」であるのならいいが、大半の人は夢見るだけで何もしない、って感じなのがどうにも。「癒し」ってのが嫌いだ、というのと似ているかもしれない。昔、安室奈美恵の歌で、夢は見るもんじゃない、かなえるものだ、というような歌詞があったが、大いに賛同。
 阪神淡路の地震で、被害云々を別にして強烈に印象に残っているのは、1 週間くらい経ってから現地入りしたアナウンサーが、「今、私達にできるのは何でしょうか。被災者の皆さんにを与えることはないでしょうか」とぬかしていたことである。正気か? と思った。こんな間抜けなことをアナウンサーに言わせる放送局、案の定、大揺れに揺れている。尤も、今時、揺れてない放送局なんかないが。*1

 その「夢」を名前に抱く音楽番組、「夢・音楽館」。
 はじめての (久しぶり、だったか?) テレビ出演という岡村孝子さだまさし、という組み合わせなのでビデオにとって見た。
 さだ氏の「遥かなるメリークリスマス」。出だしは普通のラブソングかと思わせるが急に雰囲気が変わり、後半には明瞭かつ鋭利なメッセージ ソングとなる。紅白で聞いてびっくりした。
 その歌詞、「十把一絡げ」。さだ氏ははっきり「じっぱ」と言っていた。
 これは、「正しい」発音である。現在の標準語では、「十」を促音便化する場合、「じゅっ」ではなく「じっ」と発音する。「十戒」は「じっかい」、「十返舎一九」も「じっぺんしゃ」である。
 ググってみると、東京方言だと思っている人がいることがわかる。
 まず、「じっ」が字面から想像しにくい発音だ、ということがあるだろう。標準語っぽくない。
 実際には「標準語」なので、それとの関連で、東京方言か、と感じるのだろうか。
 なぜ「じっ」なのかと言うと、「十」は本来「じふ」だったからである。これが後に「じゅう」となったが、促音便も「じふ」から生まれた。「じゅう」が「じっ」に変化したのではない。この二つは親子ではなく (えらく年の離れた) 兄弟なのである。
 さだ氏は長崎出身だが、中学生のときに上京していたというから、こういう「正しい」日本語を身につける機会は多かったのだと思われる。言葉を大事にする人だし。

 岡村氏の方は、いたってマイペースというか。昔からの路線を忠実に守りつづけている、という印象。
 ただ、高い声は出なくなっているようだ。
 こちらは愛知県岡崎市出身。それっぽい発音を聞いた、という記憶はない。

 急に毛色が変わって、ココリコ ミラクルタイプ。変わりすぎか。
 実はこの話は、正月番組というくくりで「紅白交流」に書こうと思っていたのだが、すっかり忘れていたのだ。で、あわてて「夢・音楽館」とくっつけている。
 見るのは二度目くらいなのでよくは知らないのだが、松下由樹・小西真奈美・坂井真紀・加藤夏希が OL に扮したコントをレギュラーでやってるらしい。正月特番では、彼女達が看護婦で、寮では同室だった、という設定のコントがあった。夜、ちょっとしたことが原因でけんかになり、それぞれの方言で爆発する、というものだった。
 松下由樹が名古屋、小西真奈美が鹿児島、加藤夏希が秋田、坂井真紀は英語だった。
 きしめん、さつまいも、きりたんぽ、とステロタイプ炸裂なので、内容は云々しない。ま、そんなもんだろ、というあたり。

 加藤夏希は本荘出身である。秋田の日本海側南部。
 このあたりは由利・本荘とくくられることが多いのだが、秋田市に隣接する岩城町から南はかつて亀田藩・本荘藩・矢島藩であって (「砂の器」を読んだ/見た人なら「亀田」という地名は記憶にあると思う)、秋田藩ではなかった。ときに「由利モンロー主義」などと言われる、独立独歩の精神性を持っている。
 狭い地域に「首都」が 3 つもあったことになり、それぞれに武家言葉があった (現在はほとんど確認できない)。また、秋田弁ではなく、新潟から山形の日本海側を一括した方言に分類する考えもある。
でろ」という語尾がある。推量の意味で、県内のほかの地域では「だべ」などとなるところだが、さらに「がろ」という形もある。
「さて〜をやろうか」というとき、秋田市周辺の秋田弁では「やるが」と「 (か)」が終止形に接続するが、由利・本荘では「やろが」と未然形に接続する。共通語では「やるか」も「やろうか」もあるので気づきにくいかもしれないが、こと秋田弁というくくりで見ると、この逆はない。*2

「未然形」と書いたが、『本荘・由利のことばっこ (本荘市教育委員会、秋田文化出版)』では「意向形」という語を使っている。なんだこれ、と思って調べたら、日本語教育の分野では主にこの語を使うようだ。
 というのも、五段動詞の場合:
 未然 連用 終止 連体 仮定 命令
 やら・ない やり・ます やる やる (とき) やれば やれ
 やろ・う
 という風に、オ段が上に戻ってきて、ア段と共に「未然形」となる。ところがこの二つの未然形は意味が違うわけだ。そこで、この「やろ・う」の未然形が「意向形」と呼ばれることになった。

 このココリコ特番については、ネット上に色々と感想がアップされている。
 これが、ほとんど否定的な内容なのに驚く。
 いや、別に馬鹿にしてるわけじゃない。妙な引用をして誤解されると困るので、内容や URL はここには書かない。興味がある人は検索してみてください。
 わからん、とかそういう意味の「否定的」。夏希ちゃんの秋田弁可愛い、とかいうのがない。
 この番組に限らなければ、そういう感想はある。彼女も秋田出身だということを隠してはいないようだ。まぁ、「秋田殺人事件」に出ておいて今更隠してもしょうがあるまいが。
 名古屋弁・鹿児島弁という、どちらかと言えばメジャーな方言と比較すると、そうなってしまうのかもしれない。あと、彼女のファンかどうか、というのも大きいだろう。
 一つ安心したのは、方言に対して否定的な発言も見られるようになってきたな、ということ。掲示板やブログによっては極端なのもあるが、ちょっと前までの「方言ナショナリズム」みたいなページがやたら多い、というこれまた極端な状況からは脱却しつつあるようだ。

 話を「夢・音楽館」に戻す。
 パーソナリティの桃井かおりは映画撮影のため、ハリウッドにいたのだが、その留守を預かったのが、イッセー尾形とか中村雅俊とかの多士済済である。
 これは、彼女の交友関係の広さを物語っているということであると同時に、彼女は、ちょっとした不在を待ってもらえる人だ、ということだ。
 やはり、こうありたいものである。
 これは夢か、達成可能な目標か。キツい質問だな。





*1
 
に書いたが、縦長の懸垂幕を「横断幕」と言っていたのも、この局だ。()

*2
「ない」は断定が過ぎるかと思う。相互に影響しているし、共通語の「やろうか」が変化した「やろが」を秋田市で使う、ということも想像できる。(
)





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