もう 1 ヶ月近く経ってるが、出張が決まったのは仕事始めの日である。もうちょっとゆっくり行こうぜ、おい、と思ったことであった。
日帰りなのでノート パソコンを持っていく必要もなく (キーボードのついた PDA が欲しいと思わないこともないが)、筒井康隆の『
家族八景』を持っていったのだが、これは帰りのリムジンバスの中で読みきってしまった。
「リムジンバス」って和製英語じゃないかな、と思って調べたらそんなこともないようだ。
goo で確認したら、“limousine liberal”って単語を見つけて微笑。貧乏人に同情する、リムジン (バスじゃなくて乗用車) に乗るような金持ちのことだそうだ。
で、帰りの飛行機、一時間が暇になるので、空港の第二ターミナルにある丸善で『
タブーの漢字学 (阿辻哲次)』を買った。
これ、面白い。
冒頭には方言に関係のある文章がある。福岡で「
ひだるい」という語を聞いたときの話。
これは、空腹である、という意味で、「ひだるし」という形が古語辞典に載っている。「飢し」と書く。
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中部地方で「
ひどろしい」と言うと、それは「まぶしい」という意味である。「
ひづるしい」という形もある。
同じような意味の「ひもじい」という語がある。これも、ちょっと古い感じはするが、一応、全国区の言葉である。これは、女房詞だという。
そもそも、ものを食うというのははしたない行為とされてきたし、それでなくても、宮中では上品な言葉づかいが要求される。何かを指そうとして直接に言うのもはしたない行為なので、遠まわしの言い方になる。この「ひもじい」は、腹減った、という状態を「例の『ひ』という文字ではじまる言葉の状態」と言ったことに始まる。恋愛感情を抱いていることを「ホの字」などと表現するが (これも古いか)、これと同じ過程で生まれた語なのだ。
で、「お目にかかる」が「
おめもじ」、「杓子」が「
しゃもじ」。びっくりした。
わかつきめぐみ という、俺の好きな漫画家の、『言の葉遊び学
(白泉社、JETS COMICS/JTC192、1999)』という作品がある。広辞苑を元ネタに、いろいろな言葉を紹介する、という漫画。よくまぁこれだけ集めたもんだ、という位の「言の葉」が登場するのだが、元が元だけに、女房詞をはじめとする古い、雅な言い方が山ほど。
主人公が酒呑みということで、酒に関する話題は多いが、「九献」という呼び方がある。「三々九度」の「九」らしいのだが、ここから「九文字」という呼び方も派生した。
また、「おっこん」という言い方もある。「こん」は「献」との関連を想像させるが「おっ」がわからない。
ググってみたのだが、解決しなかった。
代わりに別の例を見つけた。
「お好み焼き」のことを「
おっこん」と言っているページが多数ある。「お好み焼き」と言えば大阪と広島があるが、どうも広島に偏っているような気がする。ただし、方言ではなく、自分とその周囲でそう言っているだけ、と考えてる人が多い。
それにしても、漫画家の作家生命は短い。一世を風靡した人でも、はっと気がつくと引退していることが多い。太刀掛秀子とかな…。
ストーリーも考え、絵も描き。想像以上に辛いんだろうなぁ。
竹宮恵子とか萩尾望都のパワーには敬服する。
そういう中で、わかつきめぐみ が着実に活動を続けているのはとってもうれしい。
話を『漢字学』に戻す。
なんで「タブー」なのかと言うと、性や死、トイレに関する漢字の話だから。
性に関する章では、かなりのページを割いて、現代中国語は扱わない、と宣言している。
これは、この本で得た知識をひけらかされてはたまらない、という筆者の気遣いである。
心配しすぎのような気がしないことはないが、世の中には、中途半端な知識を開陳して悦に入る輩が多い (俺を数えてもらってかまわない)。特に、この分野は、相手や自分の立場や状況を十分に理解しないで使うと大変なことになる。
ここでも、この章に関する説明はしない。現物に当たってください。
中国では、時の支配者の名前に使われている文字を避ける、という習慣があったそうだ。
例えば、「世」って字を使う皇帝がいると、「世」の字が使えない。困るのは文章を書く人である。こんな、しょっちゅう出てくる字が使えないのでは手も足も出ない。
まず、別の字を当てることを考える。例えば「世」を「代」に置き換えられるケースがある。「世代」なんて言葉があるように意味が似ているからだ。
あるいは、「欠字」と言って、その字の最後の一角を書かない、という逃げ方もあるそうだ。これによって、その文章が書かれた時期から、権力者がその地位にいた時期を特定できる、という余禄もあるらしい。
それ自体はまぁ面白いと言えば面白いが、本っ当に、権力を得るってのは
ろくなものじゃない、ってことがよくわかるエピソードである。