乱暴な一般化は老化の証拠だな、と最近、思う。
「今の芸人には芸がない」「最近の映画は CG ばっかりだ」「こんなつまんねぇ歌ばっかり」などなど。
年間の映画公開数は (うろ覚えだが) 500 本程度なのだが、そのうちの何本を見たんだ、あんたは。曲の数なんて想像もつかないし、芸人の数も星の数。それをすべて把握してるかのように言うのは、自分の人生経験に自信を持っているからだろうし、同時に、シングル CD で発表された曲と、「紅白バージョン」の違いを識別できない、という鈍化もあるだろう。まさに老化。
尤も、CG なしの映画は今やほとんどない――年寄りが見る時代劇なんてのは、映ってはまずいものを消すのに、逆にコンピュータ使いまくりだったりする――はずで、「CG ばっかり」という言葉自体は正しいのだが、そこまで知ってて言うわけではあるまい。
こういう思い込みをためらうことなく表現した本がある。『
バカ日本地図』である。
最初に正しい都道府県地図をネット上に公開 (
借力)、こうだと思う、という意見を取り入れつつ修正していく。これにより、最小公倍数的 (最大公約数か?) な脳内地図が完成する。
最初のコメントが「鳥取と島根は区別がつかない」というもので、関係者はものすごく不快だと思うが、現実にそうだと思われる。特に東日本では、中国・四国・九州の県の配列を正しく記憶している人は多くないような気がする (その癖、東北がわかってない人がいると激怒する)。
「京都が海に面しているのは意外」というのは、時折、クイズ番組なんかで見かけるような気がする。
この後、神戸と名古屋が県となり、「神戸は日本海に面しているほどダサくない」とコメントがつく。「裏日本」の精神はまだ生きている。
肝心の東北だが、岩手と秋田はどっちがどっちだかわからない、公開時期に地震が相次いだため宮城の認知度は高く、しかし、仙台の方が有名、岩手より盛岡、福島ってどこ、というようなコメントが相次いだ結果、青森はほぼ実態どおりなのだが (これ、青森が話題にならなかった、ってことじゃないかという気がするんだが)、秋田が、現在の秋田南部から岩手北部、盛岡県が現在の秋田県北部に延び、岩手県南部から南は仙台県、さらに南下すると奈良時代のごとく境界不明で謎の地域となる。(
最終結果)
書名に「バカ」とあるくらいで、やっている本人たちはお遊びであることをわかった上でやっているのだが、実際問題として、日本の各地域がどんな風に見られているのか、という現実の具象化である。
後半は、個々人の脳内地図が並んでいる。こうなると、おそらくウケ狙いだろうと思われるのだが、大幅に間違っているにもかかわらず、十和田湖の境界について秋田と青森でもめていることを知っているなど、意外に豊富な知識がこぼれていたりする。
地図を南北・東西さかさにして、その上で現在の都道府県を配置 (九州が北海道、四国を津軽半島、琵琶湖を十和田湖に割っている) は秀逸だと思う。
この本の帯に、「ウンチクの次は、
ウル覚え」とある。
話は急に変わるが、ご当地検定がある。
京都検定 (京都・観光文化検定試験) については、公式テキストに複数の間違いが指摘されて話題になったが、このほかに、
札幌シティガイド検定、
東京シティガイド検定、
博多っ子検定、
沖縄・旅行地理検定なんてのがあり、秋田にも「
なまはげ伝道師」なんて資格もある。どれとは言わないが、ひっかけ問題が多い、という評判も聞く。
「なんでも試験にしやがって」と言うと老化なので気をつけようと思うが、基本的に、これは「お遊び」である、ということは忘れてはならない。もちろん、やっている方は本気だし、観光振興や文化継承という現実的な目的もあるのだが、その資格がないと県外追放される、とかいうものではなく、運転免許なんかとは違う、という意味で「お遊び」である。実際、京都では府外の人の受験者が多かったというし、なまはげでは 1/3 が県外だったとか。その地域に関心を持ってもらう、という点では一定の成果をあげた、と言えるだろう。
博多っ子検定では、博多に来襲していない怪獣を選べ、なんて問題があるそうだ。任せろ。
どの試験もおそらく、自分のことを知ってほしい、という人間本来の欲求に根ざしたものなんだろう。こういう人が『バカ日本地図』を見たら卒倒するかもしれない。
自治体合併にまつわるごたごたともつながる話である。
能代市は、
合併協議会から離脱した。どうあっても「能代市」でなければならないらしい。「負担が増えてもいいから能代市民でいたい」とインタビューに答えている老人がいたが、負担するのはあなたじゃありませんからっ。残念っ!
*1
河辺町と
雄和町はこの 11 日に
秋田市に吸収されたばっかりだが、
角館は
離脱を匂わせている。秋田県内の再編成、秋田市と
美郷町だけで終わったりしてな。
「なまはげ伝道師」でどういう問題が出たかはわからないのだが、どれも、各地の方言が出題されているそうだ。京都検定では「
じゅんさいな人」という表現の意味を問うていたらしい。
前にも書いたが、つかみどころがない人、ということである。
試験問題化してしまうことの問題は、「
じゅんさい」あたりはいいが、微妙にニュアンスが異なる表現の場合、「秋田市周辺では」という但し書きをつけなければならない、ということであろう。
仮に「東北検定」なんてのがあったとして、「
しょし」の意味を問うた場合、秋田なのか、山形なのかを明記しないと、「恥ずかしい」と「ありがとう」で全く違うので (音声をつければいいかもしれないが、難度がぐっと上がってしまう) 回答不能になってしまう。
生活の言葉はアナログなものなのだ。
というわけで、話がきちんと元に返ってくる。
「今どきの歌はつまらん」と言ったら言ったで、そのつまらん歌がなんで紅白で披露されているのか、ということを説明しなきゃならなくなる。好き嫌いの一般化は大やけどのもとだ。間違いない。