Speak about Speech: Shuno の方言千夜一夜




第376話

泥棒の土壌



 自慢にもなんにもならないが、外出時には時間がかかる方である。
 別に化粧してるわけではなくて、火や鍵の始末時間がかかる。正確には、その確認に時間がかかるのである。
 昔、通勤途中にあるアパートが、ある日、火事で忽然と消えていた、ということがあって、それ以来、かなり神経質になった。その頃、埼玉県朝霞市に住んでいたのだが、東武東上線で出社しようとして、「あれ?」と思って、成増から戻ったことがある。2 駅かつ徒歩なので、相当のロスだ。
 何しろ、「消した」「閉めた」ってことを明確に思い出せないと不安になる。ところがこういう確認作業って単純作業なので、どうかすると――というより、ほぼ毎日、何かしら考えことをしてしまう。で、出かけてから、「あれ?」ということになってしまうのである。
 なので、身支度が整ってから本当に出かけられるまで、うっかりすると 20 分もかかってしまう。我ながら嫌になる。
 というわけで、戸締り関係。

かぎをかう (支う)」というのは何度か取り上げた。
 津軽ないし北海道では「じょっぴん かる」とも。これは南京錠の音であろう。
 岩手の一部では、鍵のことを「ツメ」とも言うらしい。なるほど。

 最近、いちいちリンクを張るのが面倒になったので、こういう風に、俚言形を挙げるだけにした。長らく更新されてないとか、しばらくするとなくなったりしてることも多いし。リンクを張るのは、単なる列挙でないページ、面白いページだけにしてみている。詳しくはググってみてください。

「鍵をかける」と言う。さて、「錠」の方は。
 基本に立ち返って語義を確認しておくと、「鍵」ってのは「鉤」になってるやつで、大抵は棒状である。最近はスティック状のもあるが。「錠」は、デンと構えてる奴で、形状としては四角だったり筒状だったり戸に組み込まれていたりする。「セクハラ」かもしれない、と思いつつ書くと、「鍵」がオス、「錠」がメス。
 で、人間が動かすのは「鍵」の方なので、「鍵をかける」というのが理に叶っているように思うが、聞くところによれば、「鍵で錠をかける」が正しいらしい。言われれば、「錠をかける」の検索結果には、保安上の注意事項など、「公式」の雰囲気がある文章が多い。
 俺の語感と、ザっと調べた感じでは、「錠をかける」には俚言っぽい響きがある。用例も多くない。Google では、「鍵をかける」が 12,000 例なのに対して、「錠をかける」は 300 例なのだ。
 で、「じょっぴん」はじめ、「施錠」という意味の俚言を「錠をかける」と説明しているところも多い。

 方言から逸れるが、チェーンロックなんかは、オスとメスを兼ねた道具だが、あれは「錠」だ。実は、「錠をかける」で検索すると、「補助錠をかける」という表現を使った防犯関係のページが多数ヒットする。*1
 車の、手に持つ方は、「キー」と言ったりもするが、「鍵」である。だが、ドアにくっついているあれを「錠」とは言わない。
 金庫は? あれを「カギ」と呼んでいないか?
 アルミサッシの、クイっとまわすだけのアレは? 鍵でも錠でもないよな。
 まぁ、「ロック」と呼べるのが、日本語の柔軟なところか。

 次が「泥棒」。
 どうやら「ぬすびと」系が多い。「ぬすっと」「ぬすっど」などが全国に散らばっている。「むすっと」がいくつかあったが、これは誤入力か?

 方言でよく話題になるのは「どろけい」という子供の遊びである。
 団体戦の鬼ごっこである――らしい。実は俺はやったことがない。泥棒側と警察側に分かれてやるため、この名前になっている。
 これには「けいどろ」「どろじゅん」「どろたん」などというバリエーションがある。最初のは、警察と泥棒の順番が入れ替わったもので、あとは「巡査」「探偵」であろう。

 逸れついでに、「ドロボーケズリ」。
 鉛筆の両端を削ることである。井上 史雄氏の集めた芯方言もとい新方言の一覧にある。『辞典 〈新しい日本語〉』にも載っている。

 最近、犯人の検挙率が下がったの、悪質な事件が頻繁に起きるようになっただので、コミュニティの重要性、というようなことが言われている。
 それ自体は否定はしないけれども、それは「相互監視」と同じ線上にあるのだ、ということは覚えておかなければなるまい。「隣の○○さんの家の様子をうかがってる怪しい奴がいる」で止まればいいが、「向かいの○○さんは車が新しくなった。よっぽど儲けているらしい」になるとプライバシーの侵害であり、覗きである。移動してつけ回さないだけでやってることはストーカーと変わりない。
 告げ口が罰則としてある、という点で方言札と通じるものがあるわけだが、そこには薄気味悪さを感じるべきである。
 新聞の投書や、ネットのエッセイ風文章を読んでいると、年配の人の現代風俗を嘆く声をよく見聞きするが、その社会を作って支えてきたのはあなたたちだろう? といつも思う。この辺、「正しい日本語」信者に対する俺の嫌悪感と繋がっているのだが。
 日本人は“l”と“r”を聞き分けたり発音し分けたりするのが苦手で、フランス人は“h”の発音が苦手。これは、日本人やフランス人が言語能力の点で劣っているのではなくて、そういう使い分けや発音がない言語状況で育ったからだ。
 同じように、生まれたとき既に携帯電話があった人に、有線電話すら一般的でない時代に育った人の、携帯電話に対する警戒感 (難しい、という抵抗感ではなく、「便利すぎてヤバそう」という感覚) を理解させるのはとてつもなく難しい。出会い系で被害に遭った子供たちを非難する大人に、その感覚を伝える努力はしたか、と問いたい。*2
 大体、「今の機械は難しすぎて使えない」という時点で「負け」である。自分がその機械で何をしたいのか、という目的がないからそういうことになる。「〜っていうかみんなやってるし」という言葉遣いの若者たちのことは言えない。*3




*1
 もとネタがあって、それをコピーしたようである。公的団体のホームページにはこういうのが多い。芸がない、とも言える。(
)

*2
 携帯電話のサービスが始まったのは 1987 年で、その頃はまだショルダー バックの大きさ。システム手帳大になったのが 1988 年で、折りたたみの登場は 1991 年。第 1 号の年に生まれた子供は、今年、17 歳になる。(
)

*3
 大体、携帯電話の絡んだ犯罪で被害にあっているのは未成年だけではない。まず、そんなのにひっかかる、いい大人の方を断罪してからにして欲しい。(
)




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